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第二十二章:皇太子と王女の関係
138:筋肉痛という告白
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「うう……」
スーは全身の痛みにうめく。
ルカの病棟へ向かいながら、昨夜のはりきりすぎた自分に後悔していた。
いつもならルカの顔を見られると思うと心が弾みすぎてスキップをしたくなるのに、今日に限っては全身が痛くて普通に歩くこともままならない。
病棟の通路に敷き詰められた美しい模様の絨毯が、硬い床よりは衝撃を緩和してくれるが、それでも一歩を踏み出すごとに痛みが走る。
(毎日トレーニングを続ければ、体が慣れてくれるのかしら?)
スーの全身の痛みは、筋肉痛である。
ルカとの婚約が白紙になったあとに何ができるかを考えてみたが、明らかになったのは、自分には秀でた資格も経験も取り柄もないという、厳しい現実だった。
ルカが元帥をつとめる軍に入って一兵卒から成り上がるしかないと考えてみても、スーが兵に志願するにはか弱すぎるらしい。
(きっとガウス様は根本的に無理だと仰りたいのだろうけど、わたしは諦めないわ! 何の取り柄もないわたしがルカ様にお仕えするためには、行動あるのみよ)
ぎくしゃくと不自然な様子で通路を進んでいると、不在のユエンの変わりにスーについているオトが「大丈夫ですか?」と労ってくれる。
「昨夜はいきなりお部屋で柔軟に腹筋にスクワットに腕立て伏せ……、とにかく突然トレーニングをはじめられるのですから驚きました」
「ガウス様が綺麗な筋肉を育てる方法を教えてくれたから、ちょっと試してみただけよ」
「スー様がムキムキになる必要はないかと思いますが」
オトと話しながら、なんとか病室の大きな扉までたどり着く。
病室は彼が意識を取り戻したあと、壁面がガラス張りの部屋から変わっていた。新しい部屋はさらに豪奢で、まるきり帝国貴族の邸宅を移築したかのように広い。
もはや病室というのは相応しくない規模だった。通路でつながってるだけで、一つの小さな離宮のように独立している。午前中は面会に訪れる者に解放されているようだが、スーが訪れる昼下がりの午後には、まるで人払いされたように人の気配がなくなっていた。
オトが「では、また後ほどお迎えにあがります」と病室の扉口でスーに会釈すると、歩いて来た通路を戻っていく。
スーはルカに会えるという高鳴る気持ちを抑えて、ふうっと大きく呼吸をする。筋肉痛で無様な歩行にならないように、ぐっと気を引き締めて病室の扉に手をかけた。
「ルカ様、お体の具合はいかがですか?」
スーが室内へ入ると、いつもの寝台に彼の姿が見えない。一瞬慌てたが、すぐに寝台とは違う方向から「スー」という、胸をときめかせるルカの声がした。
見ると、彼が広い室内に設置された卓を挟むように、向かい合わせに置かれた長椅子の片側に座っている。手元では紅茶を淹れる準備をしているのか、匙に茶葉が盛られていた。
「ルカ様!? 何をなさっているのですか? もう起き上がっても大丈夫なのですか?」
予後の経過観察だけならまだしも、彼は左肩から背中にかけて大火傷をしているのだ。動かせば痛みを伴うはずだった。
「そのようなことはわたしがいたします! ルカ様はお休みになってください!」
スーが駆け寄ると、ふわりと茶葉の甘く清々しい香りが広がる。
ルカの手から匙を奪い取ろうとすると、逆に彼に手を握られる。
「スーこそ、どうかしたのか?」
「え?」
「いつもとちがって仕草が不自然だ」
「あ……」
気合いで乗り切ろうと思ったものの、やはり筋肉痛のぎこちなさはごまかせなかった。ぐるぐるとどう言い繕うべきかと考えるが、何も出てこない。
「あの、これは……」
ルカにつよく手を握られているせいもあり、スーは舞い上がってますます頭が真っ白になる。
「スー?」
自分の顔を覗き込むように寄せられた、美しいルカの顔面がすぐそこにある。近すぎる気配に耐えきれず、スーはあっという間に暴露した。
「これは筋肉痛です!」
「…………」
「ガウス様に綺麗な筋肉を育てる方法を教えていただいたので、鍛えてみようかと思いまして! 昨夜、調子にのって頑張りすぎたのです!」
素直に打ち明けると、スーの手を握っていた彼の手が離れる。
「あなたがガウスのようになっては困る」
ルカは困ったように笑うと、スーに「座ってください」と向かいの長椅子を示した。
「いえ、ルカ様はベッドに戻られた方がいいです。紅茶は私がお淹れします」
「大丈夫だから……。私にまかせて」
ルカは手際よく表面の光沢や模様が美しい茶鍋に茶葉を落とし、お湯を注いだ。 甘く若々しい香りが揺蕩うように、あたりに充満する。茶鍋に蓋をすると、彼は卓上にあった砂時計をコトリと反転させた。
長い指先の動きが綺麗で、スーはそんな仕草にも気持ちがうっとりと満たされる。
(ルカ様は何をしていても絵になるのだわ)
見惚れながら、スーがおずおずと向かいの長椅子にかけると、ルカがこちらを見た。出会ったばかりの頃は見ることが叶わなかったほほ笑み。温かみのある色が彼の表情を彩っていく。
アイスブルーの眼差しにうつる感情が、穏やかに発色してスーの心を染めた。
(いつからだろう、ルカ様がこんなふうに笑ってくださるようになったのは)
社交辞令のほほ笑みが失われると、いつも胸が切なくなるほど彼の笑顔は優しかった。
とくにパルミラから戻り、目覚めてからは、ますますそれが顕著になった気がする。
スーに語りかける声にも、見つめる眼差しにも、甘さがにじんでいるように感じる。それは妃になることを諦めた、スーの未練が見せる幻想なのだろうか。
「今日はスーに大切な話をしておこうと思って」
「大切なお話ですか?」
スーは一気に緊張して背筋がピンと伸びる。
「はい、私はこれまであなたに何も打ち明けず、何も語ってこなかった」
ルカの声が自嘲的な響きを帯びている。
「私はあなたが帝国に嫁ぐ意味を知っていました。生贄のような運命をもって私の花嫁となることを。本当は私が打ち明けておくべきことだったのに、あなたはディクレアから全てを知らされることになった。それがスーをどれほど傷つけることになったのかは、理解しているつもりです。本当に申し訳ありません」
「でも、それは、軽々しく言えるようなことではなかったからで……、何も知らずにルカ様を慕っていたわたしにも罪があります。わたしはルカ様の本意をわかろうともせず、これまでずっと、ご迷惑をおかけしておりました」
「いいえ、スーには何の罪もありません。何も語らず、あなたに想いを伝えなかった私が悪かっ――」
「ルカ様が謝ることなんて、何もありません!」
スーはたまらなくなって強く訴える。これ以上、彼が罪悪感や呵責を抱える必要はないのだ。
「ルカ様は何も悪くありません……」
俯いてぎゅっと膝の上に置いた手を握りしめる。
帝国クラウディアとサイオンに結ばれた古からの契約。すべてを知ってしまった今ならわかる。
抗うために、彼がずっと戦ってきたこと。
サイオンの因習をたち切るために。そして花嫁となる王女の運命を変えるために。
「ルカ様! わたしからも大切なお話があります」
スーは心を決める。もう彼が皇太子としての責務や義務感に縛られる必要はないのだ。
「わたしから先にお話させてください。本当はもっと落ち着いてからご相談したかったのですが。でも、いまお話しておかないといけない気がします」
スーは全身の痛みにうめく。
ルカの病棟へ向かいながら、昨夜のはりきりすぎた自分に後悔していた。
いつもならルカの顔を見られると思うと心が弾みすぎてスキップをしたくなるのに、今日に限っては全身が痛くて普通に歩くこともままならない。
病棟の通路に敷き詰められた美しい模様の絨毯が、硬い床よりは衝撃を緩和してくれるが、それでも一歩を踏み出すごとに痛みが走る。
(毎日トレーニングを続ければ、体が慣れてくれるのかしら?)
スーの全身の痛みは、筋肉痛である。
ルカとの婚約が白紙になったあとに何ができるかを考えてみたが、明らかになったのは、自分には秀でた資格も経験も取り柄もないという、厳しい現実だった。
ルカが元帥をつとめる軍に入って一兵卒から成り上がるしかないと考えてみても、スーが兵に志願するにはか弱すぎるらしい。
(きっとガウス様は根本的に無理だと仰りたいのだろうけど、わたしは諦めないわ! 何の取り柄もないわたしがルカ様にお仕えするためには、行動あるのみよ)
ぎくしゃくと不自然な様子で通路を進んでいると、不在のユエンの変わりにスーについているオトが「大丈夫ですか?」と労ってくれる。
「昨夜はいきなりお部屋で柔軟に腹筋にスクワットに腕立て伏せ……、とにかく突然トレーニングをはじめられるのですから驚きました」
「ガウス様が綺麗な筋肉を育てる方法を教えてくれたから、ちょっと試してみただけよ」
「スー様がムキムキになる必要はないかと思いますが」
オトと話しながら、なんとか病室の大きな扉までたどり着く。
病室は彼が意識を取り戻したあと、壁面がガラス張りの部屋から変わっていた。新しい部屋はさらに豪奢で、まるきり帝国貴族の邸宅を移築したかのように広い。
もはや病室というのは相応しくない規模だった。通路でつながってるだけで、一つの小さな離宮のように独立している。午前中は面会に訪れる者に解放されているようだが、スーが訪れる昼下がりの午後には、まるで人払いされたように人の気配がなくなっていた。
オトが「では、また後ほどお迎えにあがります」と病室の扉口でスーに会釈すると、歩いて来た通路を戻っていく。
スーはルカに会えるという高鳴る気持ちを抑えて、ふうっと大きく呼吸をする。筋肉痛で無様な歩行にならないように、ぐっと気を引き締めて病室の扉に手をかけた。
「ルカ様、お体の具合はいかがですか?」
スーが室内へ入ると、いつもの寝台に彼の姿が見えない。一瞬慌てたが、すぐに寝台とは違う方向から「スー」という、胸をときめかせるルカの声がした。
見ると、彼が広い室内に設置された卓を挟むように、向かい合わせに置かれた長椅子の片側に座っている。手元では紅茶を淹れる準備をしているのか、匙に茶葉が盛られていた。
「ルカ様!? 何をなさっているのですか? もう起き上がっても大丈夫なのですか?」
予後の経過観察だけならまだしも、彼は左肩から背中にかけて大火傷をしているのだ。動かせば痛みを伴うはずだった。
「そのようなことはわたしがいたします! ルカ様はお休みになってください!」
スーが駆け寄ると、ふわりと茶葉の甘く清々しい香りが広がる。
ルカの手から匙を奪い取ろうとすると、逆に彼に手を握られる。
「スーこそ、どうかしたのか?」
「え?」
「いつもとちがって仕草が不自然だ」
「あ……」
気合いで乗り切ろうと思ったものの、やはり筋肉痛のぎこちなさはごまかせなかった。ぐるぐるとどう言い繕うべきかと考えるが、何も出てこない。
「あの、これは……」
ルカにつよく手を握られているせいもあり、スーは舞い上がってますます頭が真っ白になる。
「スー?」
自分の顔を覗き込むように寄せられた、美しいルカの顔面がすぐそこにある。近すぎる気配に耐えきれず、スーはあっという間に暴露した。
「これは筋肉痛です!」
「…………」
「ガウス様に綺麗な筋肉を育てる方法を教えていただいたので、鍛えてみようかと思いまして! 昨夜、調子にのって頑張りすぎたのです!」
素直に打ち明けると、スーの手を握っていた彼の手が離れる。
「あなたがガウスのようになっては困る」
ルカは困ったように笑うと、スーに「座ってください」と向かいの長椅子を示した。
「いえ、ルカ様はベッドに戻られた方がいいです。紅茶は私がお淹れします」
「大丈夫だから……。私にまかせて」
ルカは手際よく表面の光沢や模様が美しい茶鍋に茶葉を落とし、お湯を注いだ。 甘く若々しい香りが揺蕩うように、あたりに充満する。茶鍋に蓋をすると、彼は卓上にあった砂時計をコトリと反転させた。
長い指先の動きが綺麗で、スーはそんな仕草にも気持ちがうっとりと満たされる。
(ルカ様は何をしていても絵になるのだわ)
見惚れながら、スーがおずおずと向かいの長椅子にかけると、ルカがこちらを見た。出会ったばかりの頃は見ることが叶わなかったほほ笑み。温かみのある色が彼の表情を彩っていく。
アイスブルーの眼差しにうつる感情が、穏やかに発色してスーの心を染めた。
(いつからだろう、ルカ様がこんなふうに笑ってくださるようになったのは)
社交辞令のほほ笑みが失われると、いつも胸が切なくなるほど彼の笑顔は優しかった。
とくにパルミラから戻り、目覚めてからは、ますますそれが顕著になった気がする。
スーに語りかける声にも、見つめる眼差しにも、甘さがにじんでいるように感じる。それは妃になることを諦めた、スーの未練が見せる幻想なのだろうか。
「今日はスーに大切な話をしておこうと思って」
「大切なお話ですか?」
スーは一気に緊張して背筋がピンと伸びる。
「はい、私はこれまであなたに何も打ち明けず、何も語ってこなかった」
ルカの声が自嘲的な響きを帯びている。
「私はあなたが帝国に嫁ぐ意味を知っていました。生贄のような運命をもって私の花嫁となることを。本当は私が打ち明けておくべきことだったのに、あなたはディクレアから全てを知らされることになった。それがスーをどれほど傷つけることになったのかは、理解しているつもりです。本当に申し訳ありません」
「でも、それは、軽々しく言えるようなことではなかったからで……、何も知らずにルカ様を慕っていたわたしにも罪があります。わたしはルカ様の本意をわかろうともせず、これまでずっと、ご迷惑をおかけしておりました」
「いいえ、スーには何の罪もありません。何も語らず、あなたに想いを伝えなかった私が悪かっ――」
「ルカ様が謝ることなんて、何もありません!」
スーはたまらなくなって強く訴える。これ以上、彼が罪悪感や呵責を抱える必要はないのだ。
「ルカ様は何も悪くありません……」
俯いてぎゅっと膝の上に置いた手を握りしめる。
帝国クラウディアとサイオンに結ばれた古からの契約。すべてを知ってしまった今ならわかる。
抗うために、彼がずっと戦ってきたこと。
サイオンの因習をたち切るために。そして花嫁となる王女の運命を変えるために。
「ルカ様! わたしからも大切なお話があります」
スーは心を決める。もう彼が皇太子としての責務や義務感に縛られる必要はないのだ。
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