帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
133 / 170
第二十二章:皇太子と王女の関係

133:真実を知った王女

しおりを挟む
 とても悠長に休んでいるような気持ちではなかったので、スーはオトに身支度を整えるように頼んだ。久しぶりにサイオンの衣装に袖を通すと、ますます自分らしさを取り戻したような気がする。

 ディオクレアに囚われていた時はとてつもなく体調が悪かったが、それを差し引いても、なぜ自分があれほど弱気になっていたのか不思議でたまらない。

(ルカ様のことを思うと、涙が止まらなくなったわ)

 スーは自分の部屋からつながるテラスに出る。外は上着を羽織って出ないと肌寒い。以前に庭を見た時よりも季節が移ろっている。自分が不在のあいだに花壇の様子も変わっていた。

(これからは寒くなるわね)

 まだ室内に引き返したくなるほどの寒さでもない。スーがテラスの椅子にかけると、オトが温かい飲み物を用意してくれた。

「ありがとう、オト」

 素直に感謝を伝えて、スーは自分に付き従うように傍らに立っていた女を仰いだ。

「あなたも一緒にどうですか?」

 オトや館の者の様子には、自分とそっくりの女を警戒する様子はなかった。誰もがフェイと呼んで、スーが目覚めたことに対して感謝を表明しているほどである。

 女は戸惑った顔をしたが、頷くとスーの向かいの席についた。オトが彼女にもスーと同じ温かい紅茶を淹れた。スーは女への警戒心をといて尋ねる。

「わたしはまだあなたの自己紹介を聞いたことがないのだけど、もうわたしにも名乗っていただけるのでしょうか」

 歩みよる姿勢をみせると、フェイは座ったまま会釈する。

「失礼しました、スー王女。私はフェイと申します」

 自分とうり二つの顔。そのことが示唆する事実は受け入れがたいが、呑み込まなければならない現実があるのかもしれない。少し緊張しながら、スーは少しずつ芽生えていた予感を打ち明ける。

「もしかして、あなたがディオクレア大公殿下の元からわたしを連れ出してくださったのですか?」

 女――フェイは、少し迷ったように視線を伏せたが、ふたたびスーの目を見るとはっきりと答えた。

「スー王女を救い出したのは、皇太子殿下です」

「え?」

 スーは意外な事実に、思わず身を乗り出してしまう。

「皇太子殿下って、ルカ様のこと?」

「はい、もちろんです」

「――そう、だったのですか」

 スーは心の底から安堵する。知らずにこわばっていた肩から力が抜けた。

(ルカ様が来てくれた……)

 彼にも何か不測の事態があったのかと危惧していたが、どうやら思い違いだったようである。

 ディオクレアの策によって、スーと同時に、ルカにも危険が迫っているのではないかと考えていたのだ。けれどルカがディオクレアの元からスーを連れ出してくれたのであれば、その身を案じることもない。きっと今も公務に追われて多忙なだけだろう。

(考え過ぎただけ? でも、みんながあまりにも思わせぶりだから……)

 心の片隅に引っかかるものがあったが、スーは最大の不安は解消したのだと前向きにとらえる。考えなければならないことはたくさんあった。

 温かい紅茶を飲んでいても緊張で指先が冷たくなる。スーは深呼吸をすると、覚悟をきめて次の質問をした。

「さっき、ユエンが不在の理由を教えてくれたけれど、それは――、その」

「事実です」

 フェイは迷わず宣告する。

(サイオンの抑制機構から逃れるためには、麗眼布れいがんふの依存性を乗り越えなければなりません)

「麗眼布《れいがんふ》の依存性……」

 それを事実だと認めることは、スーにとって強い抵抗があった。
 でも、今となってはフェイが嘘をつく理由もないはずである。

 麗眼布の正体。振り返れば、ディオクレアがそれを利用していたのは明らかだった。

 パルミラへ向かう寝台車の個室では、薬物を与えられたかのように意識が朦朧としていた。窓のない部屋に監禁されてからの、禁断症状とも言える、とてつもない苦痛。

 思い出すだけで、掌に汗がにじむ。
 過酷な体験のすべてが、サイオンに秘められていた真実につながる。

 スーの正体も、人々を支配する恐ろしい天女の呪縛も。
 ディオクレアの言っていた荒唐無稽な話が、事実なのだと示している。

 スーはふうっと大きくため息をついて、フェイを見つめる。

「サイオンの真実は、みんな知っていた事なの?」

「いいえ。これは永くサイオンの機密であり、その事実を知るのは、帝国においては皇帝陛下と皇太子殿下だけです」

 スーは心臓がわし掴みにされたような衝撃に耐える。

(……やっぱり、ルカ様はすべて知っていた)

「私はそのサイオンの機密をディオクレア大公殿下に打ち明けてしまった。サイオンを呪縛から解放することを望んで……。私のしたことは裏目に出ましたが、今回のことは、すべてそこから始まったことです」

「では、わたしは本当に生贄としてルカ様に嫁いだの?」

「――はい。でも皇太子殿下はそんなことを望んでおられません。皇帝陛下も皇太子殿下も、ずっと王女とサイオンの自由のために動いてこられた」

 フェイの語ることを疑うような気持ちは湧いてこない。これまでのルカの行いを思えば、彼がサイオンとの因習を断ち切ろうとするのは当然だと思える。

(ルカ様は優しいから、わたしに言えなかったのだわ。……わたしが何も知らずに慕っていたから)

 フェイが続けて何かを語っていたが、もうスーの耳には入ってこなかった。

(わたしはずっとルカ様を困らせていた。でも、ルカ様はずっと私を大切にしてくれた)

 ディオクレアが自分を見る眼差しはまるで異物を見るようだったが、ルカからはそんな非情さを感じたことがない。

(出会った時から、ずっと優しかった)

 クラウディアとサイオンにどんな経緯があったとしても、その事実が失われることはない。
 いつでも優しかった。
 けれど、それはスーへの同情と、皇太子として責務の延長にあった振る舞いなのだろう。

(……おしどり夫婦は諦めなくちゃ)

 ぼんやりとそんなことを思う。いまだにルカへの想いは強く胸に灯っている。でも、この思いは決して実らないのだ。
 ルカに愛してもらうには、スーの出生はあまりにもいびつすぎた。

(でも! ルカ様はこんな私にも思いやりをもって接してくれたわ!)

 自分に言い聞かせるように、スーは自分の気持ちを確かめる。

(これはようするに、わたしが単にルカ様のタイプではなかったというだけの話よ! 残念だけど、わたしがルカ様を大好きなことは変わらない! 何も変わらない!)

 泣きたくなるような気持ちを追い出すために、必死になって自分を鼓舞していると、テラスに執事のテオドールが飛び込んできた。

「スー様! ルキア様がいらっしゃいました!」

 ひどく切迫しているテオドールの様子が、ふたたびスーに嫌な予感を芽生えさせる。「どうしたの?」と問いかけるより早く、ルキアもテラスに現れた。

「スー様!」

 彼はものすごい勢いでスーの元へやって来る。

「火急の要件です! すぐに私とともに来てください!」

 いつも冷静沈着なルキアからは考えられない剣幕である。スーは思わずしゃきんと立ち上がってしまった。

「な、何かあったのですか?」

「殿下が危篤です!」
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...