帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第二十一章:サイオンの希望

128:かけがえのない王女の想い

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 どういう意図があるのかわからなかったが、ルカは目前で開かれた頁にスーの筆跡を見て思わず手を伸ばした。白紙の上に法則性もなく何かが書かれている。

(ルカ様にあえたら元気が出るのに)

(落ち込んでいる場合ではなかったわ、どうすればいいのかしっかり考えなくては)

 スーらしい前向きな文面だった。

(ここに来てからどのくらい時間が経ったのだろう。ルカ様と連絡がとれない状態が続いている)

(どうにかしてここから出る方法を考えなければいけない。時折やってくる女は全く話を聞いてくれない)

 思いついたことをメモするような一貫性のない文章だった。

(わたしとそっくりな彼女。双子でしかありえないけれど、もし本当に天女の複製だったとしたら、ディオクレア大公殿下のおっしゃっていたことは本当なの?)

(本当にルカ様はすべてを知っていたのかしら?)

 記された言葉はとりとめがなく、日記というほどしっかりとした内容でもない。

(ルカ様に会いたい)

(声を聞けば、きっとこんな気持ちはすぐに晴れる)

(連絡を取る方法を考えなければ)

(きっと全て作り話だと笑ってくれる)

 自分の気持ちを整理するための呟きのようだった。書き綴られたことから、スーがディオクレアにサイオンの真実を聞いたことがうかがえる。全てを聞かされたスーがどんな気持ちでいたのかを思うと、ルカはそれだけで胸が苛まれた。

(ディオクレア大公殿下の仰ったことは本当かしら?)

(麗眼布があればよく眠れるのに)

(私は本当に生贄なの?)

 ページを繰るごとに、だんだんと綴られる筆跡が乱れ始めるのがわかる。

(私は信じない)

(ルカ様を信じる)

(ここから出られない)

(吐き気がする)

 時折、文字が不自然ににじんでいる。紙面が濡れて乾いたように歪んでいた。

(眠れない)

(頭が痛い)

(ルカ様に会いたい)

 紙面の歪みが涙の痕なのだとわかると、呟きとともに黒く塗りつぶされた文字や、無造作に破かれた頁が目立つようになっていく。

 彼女の心をあらわすかのように、筆跡が歪んで震えていた。

(複製なんて気持ち悪い)

(気分が悪い)

(きっとルカ様に迷惑だった)

(頭が割れるように痛い)

 綴られたスーの言葉も片言になり、さらに文字がみだれていく。

(痛い)

(苦しい)

 紙面に残されているのは、蝕まれていくスーの心の軌跡だった。

(気が狂いそう)

(苦しい)

(眠りたい)

(ルカ様の)

(声が聞きたい)

 ルカはやりきれない気持ちのまま、さらに頁を繰った。

 続きを見るのが恐ろしかったが、見届けなくてはならない気がした。
 空白の目立つ紙面に、点々とスーの健気な心が見え隠れしている。

(会いたい)

(あいたい)

(ルカさまに)

(苦しい)

(かなしい)

 失われ蝕まれていく正気。それでも記されるのは、ひたむきな想い。

(ルカさまが)

(だいすき)

(ルカさま)

(かなしい)

 意識を失う間際まで、それでも彼女の胸の中にあったのは。

(だいすき)

(るかさま)

 スーの文字を追う紙面に、パタリと雫が落ちた。ルカの視界が熱をはらみ、ぼやけて揺らめく。濡れた文字がじわじわとにじんだ。振り絞るようにつづられた文字の上にパタパタと涙が落ちる。

(るかさま)

 最後までつづられていたのは、ルカへの気持ちだった。

(だいすきで)

(ごめんなさい)

「ーーーーっ……」

 声にならない嗚咽で、ルカの肩が震える。こらえようと思っても、押し寄せた感情をせき止める術がない。
 次々に溢れ出た涙で世界が揺らめき、何も見えなくなる。

 ただスーの想いだけが募っていく。

 彼女が謝ることなど何もない。 
 謝らなければならないのは自分で、伝えなければならない言葉を、まだ何も伝えていない。

 彼女の一心さに報いず、そそがれ続けた献身に何一つ返していないのだ。
 自分はただ与えられただけだった。

 彼女から。
 愛しく、鮮やかな世界を。

「スー……」

 こんなに悲しい気持ちを抱かせたまま、彼女を眠らせることなどできない。
 最後だと認めることはできなかった。

 ルカは寝台に横たわるスーの顔に触れる。動かない表情のまま、像をうつさない赤い瞳。虹彩が煌めく結晶のように美しいのに、何も見えていないのだ。弾けるような笑顔が幻のように遠い。

「スー、……もう一度、ーー笑って……」

 笑ってほしい。心からの願いだった。
 無邪気な笑顔でずっと傍にあってほしい。

 ルカは彼女のぬくもりのない体を抱き寄せた。柔らかい。同時にふわりと花のような香りが広がる。なつかしくさえ感じる、スーの放つ甘い芳香。

(まだ生きている)

 ルカは抱き寄せたスーの体を感じながら、彼女が生きていることを強く心に刻んだ。嘆くのはふさわしくない。諦めないと心に決めたことを思い出す。

(スーはここにいる。絶対に取り戻してみせる)

 彼女の想いに報いるために、伝えるために、ここで諦めることはできない。立って歩み続ければ開ける道があるのだと信じる。

 スーが自分を信じてくれたように。
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