帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第二十一章:サイオンの希望

125:飽和する危機感

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 ルカは自分の胸が急激に締め付けられ、塞いでいくのを感じる。

 レオンからの情報は罠かも知れず、正しいとは言い切れない。わかっていても、彼の語るスーの姿がくっきりと脳裏に描き出されてしまう。

「大公はスー王女を拘束するために、彼女に薬物を使ったのだとフェイが教えてくれました。依存性があり、その苦しみはとてつもないもので、このままでは廃人になってしまうと。フェイも幾度も大公に訴えたと言っていましたが、ディオクレア大公は王女の状況を深刻に受け止めていないようでした。スー王女は今はもう意識もなく、とても危険な状態です。僕はそのことを訴えにこちらに参りました」

 レオンが再び深くこうべを垂れる。

「本当に申し訳ありません、兄上」

 これがもし演技であれば、レオンも相当な曲者だろう。そう思わせるくらいには真に迫っていたが、ルカには事態が咀嚼できない。

(スーに薬物? フェイとかいう女がサイオンの実情を知らないはずがない。麗眼布の依存性をごまかすために、レオンに嘘を織り交ぜているのか?)

 だとすればレオンはサイオンの抑制機構やスーのもつ役割を知らないことになる。ディオクレアはレオンには何も真実を伝えていないのだろうか。第二皇子という肩書きだけを欲し、傀儡として機能させようとしているのならば、レオンを蚊帳の外に立たせているのも不思議ではない。

「レオン殿下。ディオクレア大公殿下と皇太子殿下の関係は複雑です。皇太子殿下のお立場では、今ここでそれを鵜呑みにするのは難しいでしょう」

 ルカが何も言えずにいると、ガウスが横から口を挟んだ。深く頭を下げていたレオンが顔をあげる。

「ですから、僕は自らこちらへ赴いたのです。僕の通信網にほどこされた大公の監視をかいくぐるには、これしか手段がなかった。どうか信じてください、兄上」

 縋るような眼差しで、切実に訴えてくる。ルカは手にしていた端末を目の前の小卓に置いて、レオンにもわかるように開く。

「レオン、おまえを信じるか信じないか、すこし相談させてもらう。……ルキア、今の話を聞いてどう思う?」

 繋いだままの端末から、ルカはレオンとの会話をルキアにも聞かせていた。ルキアは迷わず方向性を示してくれる。

(今のレオン殿下とのお話はこちらで記録させていただきました)

 ルキアは端末の向こう側から、すぐにレオンの訴えに意味を持たせる。

(レオン殿下、いま仰ったことがディオクレア大公殿下に不利な要件となることはご理解しておられますか?)

「ーーもちろんです」

(では、スー王女を利用してディオクレア大公殿下がなさったことは、不当な行いであったとここで証明されるのですね)

「はい、証明します」

 レオンには迷いがない。罠だと考えるには、ディオクレアに不利に働くだけの言質だった。

(ルカ殿下)

 ルキアの中では結論が出たようだった。

(私のこれまでのレオン殿下の印象と合わせても、殿下は嘘はおっしゃっておられないでしょう。レオン殿下はディオクレア大公殿下の陣営にあるように思われがちですが、おそらく殿下ご自身は皇帝陛下を指示されているはずです)

 ルカが感じていたレオンへのとらえ所のない立ち位置は、ルキアも感じていたようだった。そして、ルキアならある程度の裏付けをもって語るだろう。

(そして我々の知る込み入った事情は一切知らされていない。おそらく現段階では、大公殿下にとって核心は皇帝陛下への交渉の切り札でしかないと思います)

 ルカの権利を剥奪するための成り行き。いま描かれているのはそういう絵なのだ。ディオクレアにとっては自身の野望を叶える初めの一歩にすぎない。

 サイオンの技術を目の当たりにし、パルミラに眠る鉱石を手中におさめ、最終的にディオクレアがどんな世界を目指すのか。皇太子からサイオンの王女を奪うのは、さらに展開していく陰謀の単なる開幕の一手。

 野望を叶えるために、ディオクレアがサイオンの王女であるスーをどんなふうに扱うのか。すでに答えは出ていた。
 ルカは感情が焼けつきそうになる。後悔と焦りが入り乱れて、冷静な判断を見失いそうだった。

(我々にはスー王女を救い出すことには元々異論はありません。私はレオン殿下を信じて動くのも一つの策ではあると思います)

 目元を手で覆おうようにして黙るルカを、ルキアは端末から気遣わしげに見守っている。ガウスがルキアの発言をうけてレオンを見た。

「ルカ殿下にスー王女を救い出して欲しいと、レオン殿下はそう仰いましたが、何か策はお持ちですか?」

「もちろんです。兄上にディオクレア大公の懐に飛び込めなどという無謀なことは言いません」

「では、どのような方法で?」

 レオンにはすでにスーを救い出すための算段があるようだった。レオンにスーの現状を打ち明けたフェイという女性が描いた、王女救出にいたる筋書き。

「フェイも後悔していました。まさかディオクレア大公がスー王女にあれほど酷い仕打ちをするとは思っていなかったようです」

 レオンはフェイを信じて語るが、ルカには信じるための理由が足りない。

 ディオクレアの演説の時に、彼女はすでにスーの危機を知っていたのだろうか。サイオンの暗号で伝えていたのなら、彼女が天女の麗眼布を持たないスーを案じていることには筋が通る。

(ルカ殿下。レオン殿下が嘘を仰っておられなくとも、それで全てが解決するわけではありません)

 ルキアがすぐに釘をさしてくる。

(我々がフェイという女性の策にのるのは、賭けになると申し上げます。リン殿に託す方が間違いがないかと)

「ーーわかっている。だが、リン殿は別の危険をはらんでいる。フェイという女性は、おそらくサイオンを開放するためにクラウディアが守らねばならない存在だ。リン殿より先に会えるのなら、その機会を活かすことも考えたい」

 焦燥にのまれそうになる心を何とか繋ぎ止めてルカが答えると、ガウスとルキアがともに安堵した気配を感じた。

(殿下が我を忘れておられないのであれば、その決断を尊重します)

 ルキアの意見をうけて、隣でガウスが頷いた。

「たしかに我々にはパルミラに潜むサイオンの情報がないに等しい。リン殿に先手を打てる機会であると捉えるなら、レオン殿下の提案には大きな意味があると思います」

 ルカは頷いてみせたが、許されるのなら、今すぐにでもレオンの後を追ってスーの元へ走りたかった。そのごまかしようのない焦燥に、サイオンの希望というもっともな理由をつけたに過ぎない。

 皇太子としての責務も立場も、すべてが暗い予感に呑まれて見えなくなる。

 麗眼布がもたらす苦痛の中で、自分を思って泣いていたスー。
 禁断症状に衰弱し、今はもう意識もないという。

(もし全てが手遅れになってしまったらーー)

 にじみ出す絶望が、遮ることのできない濁流のように心を埋めていく。
 冷静さを欠いている自覚があったが、ルカにはもう抗うことができなかった。
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