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第二十章:サイオンの真実と王女
115:もたらされた手がかり
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ルカとスーの衣装を担当したサンディ・ウォルトが、再びルカの私邸を訪れたのはレオンの婚約披露から一週間後のことだった。
ずっとルカの私邸に滞在しているリンは、すでにパルミラにある敵の本拠地を突き止めている。だが依然として麗眼布を応用した特殊な模様や意匠の情報が得られないらしい。
その件については、まるで緘口令が敷かれたかのように皇帝にもルカにも有力な情報が入ってこなかった。ルクスの総帥であるテオドラも、目隠しをされているような不自然さを語るだけで、やはり手がかりにたどり着かないようだ。
サンディ・ウィルトが訪れたのは、そんなふうに事態が暗礁に乗り上げた矢先だった。
「盛大な痴話喧嘩でもされたのですか?」
サンディは帝国貴族の女性が持たない覇気のよさで、挨拶のあとに勢いよく冗談を言って笑う。
あまりの気安さに、リンが隣で驚いたように彼女を見ていた。
サンディの帝室にへりくだることのない様子は、おそらく皇帝ユリウスと彼女の母の関係性に起因しているのだろう。服飾の組合を創設するにあたって、皇帝ユリウスとサンディの母は共に戦った戦友のようなものだった。
当時、帝国貴族の反発は苛烈を極め、服飾界の女王と謳われるサンディの母が、いまでも帝国貴族を嫌悪しているのはその筋では有名な話である。
帝国の貴族社会において、サンディの母が心を開くのは唯一皇帝であるユリウスだけなのだ。
「ついこの間まで、スー王女は皇太子殿下に首ったけでしたのに」
侍従長のオトが彼女を招いた広間に、接待のための茶や茶菓子を用意した。サンディはオトにも親しみのある様子で話しかけるが、さすがのオトも彼女の迫力に呑まれている。
「あんなに必死にルカ殿下の気持ちを射止めようとされて。スー様は見た目と違い、いじらしい方で応援しておりましたのに」
からかうようなサンディの物言いも、豪快な笑い声も、ここまで臆面がないと好感がもてる。
オトに向いていた矛先が、彼女の退室で再びルカに戻ってきた。
「噂はともかく、ルカ殿下もスー様を大切にされていると思っておりましたが、何か行き違いが?」
「とても耳の痛いお話ですが。あなたはそのような苦言を言いにこちらへ?」
ルカは憤ることもなくさらりと話題を促す。サンディからは、ディオクレアが公開したスーの言葉を鵜呑みにしていないことが伺えた。熾烈な派閥争いの一端くらいにとらえているはずである。
「いいえ。母の頼みでこちらに参りました。どうやらユリウス陛下から内密にお話を賜ったようで、本日はそれを皇太子殿下にお持ちしたのです」
「陛下が直々にウォルト家に?」
「個人的な依頼のようです。おそらく帝室が関わらないように、秘密裡に進めたかったのでしょう。母は帝国貴族を毛嫌いしておりますが、陛下のお願いとあっては、そのような嫌悪は取るに足らぬことですので」
「陛下はいったい何を?」
「ルカ殿下にお贈りしたいものがあるそうですよ」
「陛下が私に?」
「はい。御覧になればわかります」
サンディは面白そうにルカの様子を伺いながら、持参した大きな細長い箱をルカとリンの前に置いた。
「こちらです」
彼女は手際よく箱を開けて、中におさめられている巻物のような生地を見せる。
それは反物と呼ばれる一続きの布で、サイオンや遠州の地では一反で一着の衣装となるらしい。家紋ではない幾何学的にも見える模様が幾重にも重なり、美しい面を作っている。
「ルカ殿下は、レオン殿下の婚約披露の際に、家紋を廃した意匠の美しさに感嘆されたとお聞きしました。中でも大公殿下の意匠は素晴らしかったようですね。それでその生地を求めておられるとお聞きしました。皇帝陛下はそれをルカ殿下に贈りたいと……」
「素晴らしい!」
ルカよりも先に声を上げたのは隣にいるリンだった。即座にサンディが手にしている反物に手を伸ばして抱えようとしたが、不自然に動きを止めた。
「リン殿?」
彼は顔色を蒼白に変えていたが、不敵に笑う。
「ーーこれは本物ですね」
ルカは察して、すぐにサンディが抱えている反物を視界に入らないように箱に戻した。リンもサンディに不調を悟られないように、すぐに姿勢を正す。
ルカは皇帝ユリウスの機転に感銘を受けながら、サンディに感謝する。
「ありがとうございます。たしかに陛下にそのようなお話をしました。でも、まさか本当に贈ってくださるとは」
真相を語らず、ルカは皇帝ユリウスに話を合わせた。心の底から皇帝とサンディの母の間に築かれていた友好関係に感謝したくなる。
「でも今回の件では母は嘆いておりました」
サンディは愚痴を漏らすかのように続ける。
「どうやら流通に圧力がかかっているようです。母も手配するのに苦労したようですが、また一部の帝国貴族が市場の独占を目論んでいるのではないかと危ぶんでおりました」
麗眼布とは関係ない視点だったが、サンディの母の懸念はルカにも理解できる。
「流通に圧力ですか。調べてみる必要がありそうです」
「はい。ユリウス陛下も危機感を頂いているから、今回は母にこのような秘密裏なお願いをされたのではないかと、私は勘ぐってみたりいたしますが」
ユリウスには麗眼布の応用を紐解く目的しかなかったが、模様や意匠を追うことで、意外なものまで一緒に釣れたというのが事実だろう。
流通の圧力には大公ディオクレアが関わっていそうである。未知の鉱石の流通路も隠されていた。特殊な意匠を施した生地についても、同じ手段を講じているのは明らかだ。
ルカは忌々しい気持ちになったが、サンディのもたらした反物の意味は大きい。
リンの様子を伺ってみると、彼は反物を入っている細長い箱を見つめたまま、何かを考えている。
「ルカ殿下、どうかいたしましたか?」
サンディの快活な声を聞いて、ルカは視線を目の前のサンディに向けた。
遠慮のない溌溂とした様子に、スーの屈託のない笑顔を思い出す。
自然とほほ笑みが浮かんだ。
「この度は、ウォルト家に深く感謝いたします」
ずっとルカの私邸に滞在しているリンは、すでにパルミラにある敵の本拠地を突き止めている。だが依然として麗眼布を応用した特殊な模様や意匠の情報が得られないらしい。
その件については、まるで緘口令が敷かれたかのように皇帝にもルカにも有力な情報が入ってこなかった。ルクスの総帥であるテオドラも、目隠しをされているような不自然さを語るだけで、やはり手がかりにたどり着かないようだ。
サンディ・ウィルトが訪れたのは、そんなふうに事態が暗礁に乗り上げた矢先だった。
「盛大な痴話喧嘩でもされたのですか?」
サンディは帝国貴族の女性が持たない覇気のよさで、挨拶のあとに勢いよく冗談を言って笑う。
あまりの気安さに、リンが隣で驚いたように彼女を見ていた。
サンディの帝室にへりくだることのない様子は、おそらく皇帝ユリウスと彼女の母の関係性に起因しているのだろう。服飾の組合を創設するにあたって、皇帝ユリウスとサンディの母は共に戦った戦友のようなものだった。
当時、帝国貴族の反発は苛烈を極め、服飾界の女王と謳われるサンディの母が、いまでも帝国貴族を嫌悪しているのはその筋では有名な話である。
帝国の貴族社会において、サンディの母が心を開くのは唯一皇帝であるユリウスだけなのだ。
「ついこの間まで、スー王女は皇太子殿下に首ったけでしたのに」
侍従長のオトが彼女を招いた広間に、接待のための茶や茶菓子を用意した。サンディはオトにも親しみのある様子で話しかけるが、さすがのオトも彼女の迫力に呑まれている。
「あんなに必死にルカ殿下の気持ちを射止めようとされて。スー様は見た目と違い、いじらしい方で応援しておりましたのに」
からかうようなサンディの物言いも、豪快な笑い声も、ここまで臆面がないと好感がもてる。
オトに向いていた矛先が、彼女の退室で再びルカに戻ってきた。
「噂はともかく、ルカ殿下もスー様を大切にされていると思っておりましたが、何か行き違いが?」
「とても耳の痛いお話ですが。あなたはそのような苦言を言いにこちらへ?」
ルカは憤ることもなくさらりと話題を促す。サンディからは、ディオクレアが公開したスーの言葉を鵜呑みにしていないことが伺えた。熾烈な派閥争いの一端くらいにとらえているはずである。
「いいえ。母の頼みでこちらに参りました。どうやらユリウス陛下から内密にお話を賜ったようで、本日はそれを皇太子殿下にお持ちしたのです」
「陛下が直々にウォルト家に?」
「個人的な依頼のようです。おそらく帝室が関わらないように、秘密裡に進めたかったのでしょう。母は帝国貴族を毛嫌いしておりますが、陛下のお願いとあっては、そのような嫌悪は取るに足らぬことですので」
「陛下はいったい何を?」
「ルカ殿下にお贈りしたいものがあるそうですよ」
「陛下が私に?」
「はい。御覧になればわかります」
サンディは面白そうにルカの様子を伺いながら、持参した大きな細長い箱をルカとリンの前に置いた。
「こちらです」
彼女は手際よく箱を開けて、中におさめられている巻物のような生地を見せる。
それは反物と呼ばれる一続きの布で、サイオンや遠州の地では一反で一着の衣装となるらしい。家紋ではない幾何学的にも見える模様が幾重にも重なり、美しい面を作っている。
「ルカ殿下は、レオン殿下の婚約披露の際に、家紋を廃した意匠の美しさに感嘆されたとお聞きしました。中でも大公殿下の意匠は素晴らしかったようですね。それでその生地を求めておられるとお聞きしました。皇帝陛下はそれをルカ殿下に贈りたいと……」
「素晴らしい!」
ルカよりも先に声を上げたのは隣にいるリンだった。即座にサンディが手にしている反物に手を伸ばして抱えようとしたが、不自然に動きを止めた。
「リン殿?」
彼は顔色を蒼白に変えていたが、不敵に笑う。
「ーーこれは本物ですね」
ルカは察して、すぐにサンディが抱えている反物を視界に入らないように箱に戻した。リンもサンディに不調を悟られないように、すぐに姿勢を正す。
ルカは皇帝ユリウスの機転に感銘を受けながら、サンディに感謝する。
「ありがとうございます。たしかに陛下にそのようなお話をしました。でも、まさか本当に贈ってくださるとは」
真相を語らず、ルカは皇帝ユリウスに話を合わせた。心の底から皇帝とサンディの母の間に築かれていた友好関係に感謝したくなる。
「でも今回の件では母は嘆いておりました」
サンディは愚痴を漏らすかのように続ける。
「どうやら流通に圧力がかかっているようです。母も手配するのに苦労したようですが、また一部の帝国貴族が市場の独占を目論んでいるのではないかと危ぶんでおりました」
麗眼布とは関係ない視点だったが、サンディの母の懸念はルカにも理解できる。
「流通に圧力ですか。調べてみる必要がありそうです」
「はい。ユリウス陛下も危機感を頂いているから、今回は母にこのような秘密裏なお願いをされたのではないかと、私は勘ぐってみたりいたしますが」
ユリウスには麗眼布の応用を紐解く目的しかなかったが、模様や意匠を追うことで、意外なものまで一緒に釣れたというのが事実だろう。
流通の圧力には大公ディオクレアが関わっていそうである。未知の鉱石の流通路も隠されていた。特殊な意匠を施した生地についても、同じ手段を講じているのは明らかだ。
ルカは忌々しい気持ちになったが、サンディのもたらした反物の意味は大きい。
リンの様子を伺ってみると、彼は反物を入っている細長い箱を見つめたまま、何かを考えている。
「ルカ殿下、どうかいたしましたか?」
サンディの快活な声を聞いて、ルカは視線を目の前のサンディに向けた。
遠慮のない溌溂とした様子に、スーの屈託のない笑顔を思い出す。
自然とほほ笑みが浮かんだ。
「この度は、ウォルト家に深く感謝いたします」
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