帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第十六章:試される皇太子と王女

93:空回りの野望と届かない言葉

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 ルカが広間で紅茶に口をつけたとき、室外から何かがやってくる気配がした。
 開放したままの大きな扉から、聞きなれた声がひびく。

「ルカ様!」

 予想にたがわずスーが駆けこんできた。足取りは軽やかで、派手な足音がするわけでないのに、彼女の声が場を明るくする。

 振り返るまでもなく、勢いよくやってきた赤い影が視界の端をよぎった。

「ご覧ください、ルカ様! サンディ様に帝国式のドレスを着せていただきました!」

 ルカはスーを正視した瞬間、思わず口にしていた紅茶を誤飲してしまう。

「ーーっ……!」

 おもいきり気管にすいこんでしまい、はげしくむせて咳き込んだ。

「大丈夫ですか?」

 赤いドレスをお披露目するために、美しい所作で会釈していたスーが慌てて傍に寄ってくる。

「どこかお加減が悪いのですか?」

 スーの手が労るように背中をなでる。至近距離で前屈みになった彼女から、ふわりといつもの花のような柔らかな香りが流れてくる。

 必要以上に強調された胸と肌の白さ。くらくらするような威力をもって、ルカの視界を埋める。すこしでも距離をとろうと無意識に上体をひくが、ただの気休めだった。彼女と触れ合いそうな距離感は変わらない。

「誰かお呼びした方がーー」

「いえ、大丈夫です。申し訳ありません。すこし意外だったので驚いただけです」

「え?」

 帝国式ドレスをお披露目しにきたはずの彼女は、きょとんとしている。女性の線を最大限に引き出した装いをしても、相変わらず媚びた毒気を感じない表情だった。

 ルカは気持ちが和らぐのを感じながら、スーの当初の目的に話を合わせた。

「あなたが帝国式のドレスを着ているのは珍しいですね」

「あ、はい。ルカ様と初めてお会いした時、サイオンの装いを天女のようだと褒めてくださったので。それが嬉しくて、こちらではできるだけサイオンのドレスを着るようにしておりました」

 スーのはにかむような笑顔は、どこまでもいじらしい。

 ルカにとっては反射的にでた社交辞令である。まったく覚えがないが、スーを見た時に天女のようだと思った記憶は鮮明だった。
 スーは着慣れないドレスを意識しているのか、ますます恥ずかしそうに頬を染める。

「でも本日は採寸のなりゆきで、こちらのドレスを着せていただいたので、ルカ様にもご覧になっていただきたいと思いました。いかがでしょうか?」

 彼女がドレスの華やかさを振る舞うように、くるりと身をひとまわりさせる。

 一部が編み上げになった髪型は、スーの艶やかな黒髪の美しさを損なわずうなじの白さをひきたてる。首筋から大きく開いたデコルテまわりを細やかな意匠が飾っていた。

 視界からもはち切れそうなほど、これでもかと存在を主張する胸元。帝国の紋章をモチーフにした柄が、角度によってドレス生地の光沢にそって閃く。

 静謐な広間に大輪の赤い薔薇が咲いたように、艶めいた華やかさを放っていた。

「とても綺麗です。いつもより艶やかで、本当に魔性の王女みたいですね」

「本当ですか? それは光栄です!」

 ルカにもスーが夜の華の噂について憤っているという話は聞こえていた。彼女自身は帝国貴族の奔放さをまったく持たないのだ。怒るのも無理はないと思うが、皇太子を虜にする魔性の王女という風聞については、なぜか喜んでいるらしい。

「すこしはルカ様を虜にできそうですか?」

 以前はどう答えるべきかと逡巡していたが、ルカはもう開き直っていた。

「すこしどころか、私はいつもスーの虜です」

 素直に口にしても、スーは決して鵜呑みにはしないのだ。おそらく大人の階段へと導かない限り、彼女はルカの好意を信じられないのだろう。なりゆきとはいえ、スーの熱烈な気持ちをかわすためにとり繕わなくても良いのは幸いだった。

 今も全身を紅潮させる勢いで照れているのがわかる。

「ルカ様はすぐにわたしをからかわれます!」

「からかっているつもりはありませんが……」

「ですが、ルカ様はわたしのお色気作戦にまったくびくともされません!」

 スーはうろたえた勢いで、秘めておくべき作戦を本人に暴露してしまっている。ルカは小さく笑った。

「スーのそういうところは、本当に愛しいと思っていますよ」

「え? い、愛しい?」

「はい」

「ルカ様が、わたしを?」

「はい」

 スーが「信じられない」と大きな赤い目で語っている。綺麗な顔がみるるみるうちに、色気よりは勇ましさを宿していく。ルカはスーの爆弾発言にそなえた。

「わたしはルカ様に恋をしてこんなに胸も大きくなったのに、ルカ様はまったく興味がないのですよ!?」

「………………」

 心の準備をしてもなお、返答に窮する告白だった。スーは睨みをきかせているかのような迫力のある顔で、ぐいぐいとルカににじり寄ってくる。

「それなのに、愛しいなんて……。前にも申し上げましたが、わたしはきちんとおっしゃっていただかないと、信じてしまいます!」

 力一杯きもちをぶつけてくるスーの健気さを、ルカはその時はじめて痛々しく感じた。
 言葉だけでは、もう彼女には届かないのだ。届かないからこそルカは口にできる。

 祝福にはほど遠い、いびつな関係だった。
 健気に励むスーの情熱を叶えることはできない。

 自分が何を望むのか。すでに答えは出ているのに。

「スー」

 それでも自分は彼女に伝えるのだ。届かない言葉を、届かないからこそ。

「あなたは、わたしの愛しい寵姫です」

「ルカ様は! 噂も面白がっておられます!」

「まさか。スーに夜の華とありもしない悪評が立つのは、まったく笑えない」

「そちらの噂ではなく、魔性の王女のお話です。ーーでも、わたしは光栄ですが、もしかしてルカ様は嫌な思いをされてーー」

 スーの声を聞きながら、ルカはふと広間の開け放たれた扉から、館の者がチラチラとこちらを伺っていることに気づく。

(……ルキアの差しがねだろうな)

 噂の上書きのために、ひきつづき二人の仲睦まじさを発信しなければならない。ルカもまさか私邸での様子が公表されるとは思っていなかったが、ルキアは嬉々として皇太子と王女の絵になる情報を欲しがっている。スーの気持ちを応援する延長に、館の者が協力しているのは疑いようもない。

(そういうことなら、仲睦まじさを演出しておこうか)

 あの角度から得られる画なら、スーの大胆な胸元も隠れるだろう。
 ルカは目の前で、溺愛報道について百面相をはじめたスーを見た。ルカが嫌な思いをしているのではないか?と自問自答をはじめて、スーは迷惑をかけている説で頭がいっぱいになりつつある。

「スー」

 ルカは彼女の白い手をとった。

「あなたは、わたしの愛しい寵姫です」

 もう一度届かない言葉を伝えると、スーの白い肌がこれ以上はないくらいのぼせあがっていく。
 羞恥のあまり勇ましい顔になってしまっても、肌は綺麗に色づいて誘う。まるで鮮やかな花が、蜜をもとめる蝶を導くように。

 握ったスーの手を、ルカは力に任せて引き寄せる。
 甘い香りが腕の中に飛びこんできた。華奢な体を抱きよせると、ぬくもりが眩暈をかんじるほど柔らかだった。

「る、るかさま!?」

 スーの戸惑った声が鼓膜をくすぐる。
 ルカは思ったことを包み隠さずつたえた。

「そのドレスは綺麗ですが、すこし卑猥です」

「も! 申し訳ございません! 実は胸のサイズがすこし小さくなっておりまして。でも、ルカ様を誘惑するにはちょうどいいのではないかと浅ましい野望をいだいておりました! お目汚しをしてしまい、本当に申し訳ござーー」

「スー」

「はい!」

「私は愛しい女性の肌は隠しておきたい」

「はい! え?」

「だから、サイオンの装いの方が好きです」

 おもいきり牽制をしてから、とまどいのあまり絶句しているスーにとどめのほほ笑みを向けた。

「あなたは、私の愛しい寵姫なので」

 決して届かない言葉をくりかえした。

「ルカ様は、またからかっておられますね!」

 スーは頬を染めて社交辞令だと受けとめる。そして、言葉が届かないことにルカは安堵するのだ。
 卑怯な思惑を胸の奥底にしずめて、ルカは笑う。スーが「もう、ルカ様!」と悔しそうな声をだした。
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