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第十五章 皇太子の罪と王女の恥
88:麗眼布にこめられた気持ち
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「そんなに素直に人を信じて、いつか傷つくのではないかと心配になります。ルキアも私も、スーが思っているよりずっと狡猾です。私たちは必要であれば平気で嘘をつきますし、人を騙します。愚直なだけでは、ここでは生きていけません」
「はい。心得ておきます。ですがルカ様。わたしも誰でも信頼しているわけではありません」
「そう願いたいです」
苦笑すると、スーがこちらに身をのりだしてくる。
「わたしはルカ様に愚直でありたいだけです。だからもし、ルカ様に誠実であるために嘘をつくことが必要であれば、迷わず嘘をつきます」
「スー」
「本日のことも秘めておくべきことだったのかもしれませんが、自分のためにルカ様に隠しごとをするのは誠実ではないと感じたのです。今日のことに関しては、いかようにも罰をお受けします」
「ルキアがくわだてたことであれば、スーを責める必要はありません。あなたもルキアが関わっているから、身の安全を疑わなかったのでしょうし」
「ーーはい」
「それで、私に話したいこととは何ですか?」
「あ、お話はルカ様にきちんと今日のことを謝りたかったということです」
スーにとっては謝罪が重要な話だったのだろう。
「あなたらしいですね」
ルカが微笑ましく感じていると、スーがふたたび意欲的な力のこもった視線でルカをみた。
「でも、もう一つ大切なお話があります。と言っても、これはお話というよりは……」
言いながらスーはかたわらに置いていた小物いれのような鞄をひきよせる。
「じつはルカ様にお渡ししたいものがあります」
鞄の中から綺麗に包装されたものをとりだして、スーがそっとルカの前に差しだした。
「わたしからルカ様に贈り物です」
てのひらサイズの贈り物は綺麗につつまれて、赤いリボンがかけられている。ルカには中身の予想ができないが、スーの顔をみて、すぐに拒否するという選択肢はきえた。喜んでほしいという期待と不安の入り混じった気持ちが、彼女の顔にあらわれている。赤い瞳を輝かせて、じっとルカの様子を見守っていた。
「ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「もちろんです!」
リボンをほどいて綺麗な包装をはずすと、中からは刺繍のみごとな小さな生地が姿をみせた。ハンカチというには小さく、厚みがある。両側には刺繍の美しさをそこなわない、あざやかな組紐がついていた。
「クラウディア皇家の紋章ですね」
草花がつらなった複雑な模様にいろどられて、精巧に紋章が刺繍されていた。
「これはサイオンではおなじみの麗眼布です。ルカ様に差しあげるために作っていたものが完成したので、贈らせていただきます」
「作った? では、スーがこの刺繍を?」
「はい」
あらためて眺めても、複雑な刺繍は美しくみごとだった。ルカはスーにそんな特技があったのかと、素直におどろいた。
「とても綺麗です」
感嘆すると、スーの明るい声が咲いた。
「良かった。麗眼布には家紋を施すのですが、意匠にはいろんなアレンジがあってとても綺麗なんです。ぐっすりと眠りたい時には、ぜひ使ってください。抜群の遮光性でとてもよく眠れます。翌朝は気持ちがすっきりします」
嬉しそうに笑っているスーをみて、ルカは彼女の真意を理解した。
「――ありがとう、スー。大切にします」
「いいえ! ルカ様。これは大切にしなくても、わたしがいくつでもお作りしますので」
「いくつでも?」
「はい」
まるでいつまでも傍にいると言われているようだった。彼女の健気さに、もう何度胸をしめつけられてのいるだろう。ルカは無性に彼女を抱きしめたい気持ちになったが、なんとか目の前の笑顔を眺めるだけにとどめた。
手の中にある麗眼布をみつめる。精巧に縫いとられた刺繍は、一朝一夕にできるような容易な意匠ではない。
ルカの両親の命日。スーが今日という日を思って用意していたのがわかってしまう。それでも彼女は五年前のことを何もきかない。
ルカの気持ちを推測してなぐさめたり、何かを語ることをしない。
無邪気に駆けよってくるのに、決してルカの心を土足でふみあらすようなことはしないのだ。心地の良い距離感だった。
「ルカ様、せっかくなので、今夜はこちらで晩酌を――」
「ダメです」
こんな気持ちで、酔って蠱惑的になったスーの相手をするのは厳しすぎる。
なんとしても阻止しなければならない。
ルカは例年の夜とはちがい、自分の気持ちが紛れていることに気がついておかしくなった。
「ルカ様にとって、わたしはまだまだ魅力的な女性ではないようです」
「何度も言いますが、スーは魅力的な女性です」
「そう言って、いつも社交辞令でかわそうとしておられます」
「社交辞令ではありません」
信じられないと言いたげに恨めし気な顔しているスーを見て、ルカは笑ってしまう。両親の命日にも彼女が傍にいれば、込みあげる弾劾に耐えるだけの日ではなくなる。
いつかスーを抱いて眠れば、罪に囚われるような夜も遠ざかるのだろうか。
長い夜を独りきりで耐えることはなくなるだろうか。
(――いつか……)
未来を思い描くために必要な、欠けたピース。
スーを求めるためには、自分に足りないものがある。
足りないもの。
ルカにはもうわかっていた。
(……私に、覚悟が足りていない)
成し遂げるという決意の先につかみとるべき、覚悟が。
サイオンの全てを放棄する未来を望み、その志しの実現にむけて歩みはじめている。
それでも。
たどりつく未来を信じて、彼女をえらぶ。
ルカにはまだ、その覚悟だけが足りない。
「はい。心得ておきます。ですがルカ様。わたしも誰でも信頼しているわけではありません」
「そう願いたいです」
苦笑すると、スーがこちらに身をのりだしてくる。
「わたしはルカ様に愚直でありたいだけです。だからもし、ルカ様に誠実であるために嘘をつくことが必要であれば、迷わず嘘をつきます」
「スー」
「本日のことも秘めておくべきことだったのかもしれませんが、自分のためにルカ様に隠しごとをするのは誠実ではないと感じたのです。今日のことに関しては、いかようにも罰をお受けします」
「ルキアがくわだてたことであれば、スーを責める必要はありません。あなたもルキアが関わっているから、身の安全を疑わなかったのでしょうし」
「ーーはい」
「それで、私に話したいこととは何ですか?」
「あ、お話はルカ様にきちんと今日のことを謝りたかったということです」
スーにとっては謝罪が重要な話だったのだろう。
「あなたらしいですね」
ルカが微笑ましく感じていると、スーがふたたび意欲的な力のこもった視線でルカをみた。
「でも、もう一つ大切なお話があります。と言っても、これはお話というよりは……」
言いながらスーはかたわらに置いていた小物いれのような鞄をひきよせる。
「じつはルカ様にお渡ししたいものがあります」
鞄の中から綺麗に包装されたものをとりだして、スーがそっとルカの前に差しだした。
「わたしからルカ様に贈り物です」
てのひらサイズの贈り物は綺麗につつまれて、赤いリボンがかけられている。ルカには中身の予想ができないが、スーの顔をみて、すぐに拒否するという選択肢はきえた。喜んでほしいという期待と不安の入り混じった気持ちが、彼女の顔にあらわれている。赤い瞳を輝かせて、じっとルカの様子を見守っていた。
「ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「もちろんです!」
リボンをほどいて綺麗な包装をはずすと、中からは刺繍のみごとな小さな生地が姿をみせた。ハンカチというには小さく、厚みがある。両側には刺繍の美しさをそこなわない、あざやかな組紐がついていた。
「クラウディア皇家の紋章ですね」
草花がつらなった複雑な模様にいろどられて、精巧に紋章が刺繍されていた。
「これはサイオンではおなじみの麗眼布です。ルカ様に差しあげるために作っていたものが完成したので、贈らせていただきます」
「作った? では、スーがこの刺繍を?」
「はい」
あらためて眺めても、複雑な刺繍は美しくみごとだった。ルカはスーにそんな特技があったのかと、素直におどろいた。
「とても綺麗です」
感嘆すると、スーの明るい声が咲いた。
「良かった。麗眼布には家紋を施すのですが、意匠にはいろんなアレンジがあってとても綺麗なんです。ぐっすりと眠りたい時には、ぜひ使ってください。抜群の遮光性でとてもよく眠れます。翌朝は気持ちがすっきりします」
嬉しそうに笑っているスーをみて、ルカは彼女の真意を理解した。
「――ありがとう、スー。大切にします」
「いいえ! ルカ様。これは大切にしなくても、わたしがいくつでもお作りしますので」
「いくつでも?」
「はい」
まるでいつまでも傍にいると言われているようだった。彼女の健気さに、もう何度胸をしめつけられてのいるだろう。ルカは無性に彼女を抱きしめたい気持ちになったが、なんとか目の前の笑顔を眺めるだけにとどめた。
手の中にある麗眼布をみつめる。精巧に縫いとられた刺繍は、一朝一夕にできるような容易な意匠ではない。
ルカの両親の命日。スーが今日という日を思って用意していたのがわかってしまう。それでも彼女は五年前のことを何もきかない。
ルカの気持ちを推測してなぐさめたり、何かを語ることをしない。
無邪気に駆けよってくるのに、決してルカの心を土足でふみあらすようなことはしないのだ。心地の良い距離感だった。
「ルカ様、せっかくなので、今夜はこちらで晩酌を――」
「ダメです」
こんな気持ちで、酔って蠱惑的になったスーの相手をするのは厳しすぎる。
なんとしても阻止しなければならない。
ルカは例年の夜とはちがい、自分の気持ちが紛れていることに気がついておかしくなった。
「ルカ様にとって、わたしはまだまだ魅力的な女性ではないようです」
「何度も言いますが、スーは魅力的な女性です」
「そう言って、いつも社交辞令でかわそうとしておられます」
「社交辞令ではありません」
信じられないと言いたげに恨めし気な顔しているスーを見て、ルカは笑ってしまう。両親の命日にも彼女が傍にいれば、込みあげる弾劾に耐えるだけの日ではなくなる。
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サイオンの全てを放棄する未来を望み、その志しの実現にむけて歩みはじめている。
それでも。
たどりつく未来を信じて、彼女をえらぶ。
ルカにはまだ、その覚悟だけが足りない。
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