85 / 170
第十五章 皇太子の罪と王女の恥
85:黒をまとう皇太子
しおりを挟む
大規模な港湾のにぎやかな様子が遠くにみえる。さらに向こう側には海が広がっているのがわかった。第三都ガルバの貿易港ともつながり、第二都バルティアにもちかい。スー達を乗せた車は、まっすぐに賑やかな港へと向かわず、海岸線をたどるように作られた道路を走っている。
交通量は極端に減り、前にも後ろにも車の姿がみえない。
時折ルキアが端末で何らかのやりとりをしている。ルカについている護衛からの連絡のようだった。
「スー様は、船酔いはされますか?」
端末から顔をあげると、ルキアがスーに問う。
「船酔いですか?」
「はい。今日は波が穏やかなようですが、酔うようであれば念のため酔いどめを服用しておかれた方がよいかと」
「では、船に乗るのですか?」
スーは一気に目が輝く。
「実はわたしは海に出たことがありません。湖で船酔いをしたことはありませんが、海ではどうなるのかわかりません」
サイオンは山脈に囲まれた王国で、国土が海に面していないのだ。観光名所となっている巨大な湖しか知らない。
初めての海を船で体験できるのは素直に嬉しい。スーの期待に満ちたまなざしに気づいたのか、ルキアがほほ笑む。
「そうでしたか。本日はあまり船内をご案内できないので残念です。もっと楽しい船旅にお連れできれば良かったのですが……」
「いいえ! 大丈夫です! いつかルカ様とご一緒できる時のために勉強にもなりますし」
わくわくと気持ちを高ぶらせるスーとは裏腹に、隣のヘレナが大きくため息をついた。
「殿下は船をご利用になるのですね」
ルキアから酔いどめを受けとって、ヘレナが迷わず服用している。
「ヘレナ様は船酔いされるのですか?」
「はい。わたくしは船がすこし苦手ですわ。戻ってからもしばらく足元がふわふわいたしますし」
憂いを帯びたヘレナの顔も美しい。どんな仕草にも女性らしい色気があるのをうらやましく思いながら、スーも念のため酔いどめをもらった。
海岸線から続く長い桟橋のまえで、車が一度とまった。石造りの桟橋は広く、一隻の大きな船が停泊している。
立派な客船だった。桟橋にはほかに人気がない。ルカもすでに乗船しているのか姿はなかった。
客船を貸し切っているのか、もともと皇家の専用船なのかスーには判断がつかない。
待機していた者に誘導されて、スー達を乗せた車がゆっくりと車両甲板へと乗り入れる。
ルキアにうながされて車を降りると、ふわりと潮の香りが鼻をつく。湖にはない海の香りを胸いっぱいに吸いこんでひたっていると、ほどなくしてもう一台車両が入ってきた。
少しの距離をとって、スーたちの乗っていた車の隣にとまる。自分達にも護衛の車がついていたことに、スーはそのときになってようやく気づいた。
ルキアに指示をうけて、ふたたび護衛が船内に散開していく。
ルカのあとを追って乗船すると聞いたとき、スーは自分たちの存在に気づかれるのではないかと心配だった。けれど、それは杞憂だったようだ。忙しなく動く護衛を目の当たりにして、スーは改めてルカや自分たちの周りでうごく者の多さを実感した。
(――帝国の皇太子は決して自由ではありませんので)
ヘレナの言葉の意味がよくわかる。両親への弔い。そんな特別な日にもルカは一人ではない。決して一人にはなれないのだ。
(わたしは今までなにを見ていたのだろう)
スーは帝国での日々を窮屈だと感じたことはない。いつも真新しい刺激に満ちていて、周りの者も優しい。ルカがいかに心を砕いてくれていたのかを、あらためてかみしめた。
彼を多忙だと思いはしたものの、皇太子として私的なひとときまで束縛されているとは考えたこともなかった。きっとルカが自分に見せないようにふるまっていたからだ。
(やっぱり、ルカ様はお強い方なのだわ)
ルカの素晴らしい資質を再確認しながら、スーはルキアに案内されて、最上階にある船橋に設けられた客室へとはいった。まるで小さな城内にある居間のように、弾力のきいた長椅子が迎えてくれる。調度も穏やかに洗練されていた。
ソファにかけて、スーは改めて客室内をみまわす。壁面がガラスばりで明るい。船橋まわりの甲板の様子と海がよくみえた。
客船が動きはじめたのか、船体がゆるやかに回旋をはじめる。桟橋をはなれると、海に白い波をえがきながら船が走りだした。みるみる岸の様子が遠ざかっていく。
「ルカ様が船橋の甲板においでになると、わたしたちに気づかれるのではありませんか?」
ルカがこの船内のどこにいるのか、スーは知らない。
ガラスばりの客室。こちらからみえるということは、向こう側からもみえるはずだった。ルキアもガラスのまえに立って甲板の様子をたしかめている。いまルカがあらわれると、完全にみつかってしまうだろうと、スーは気が気ではなくなる。海をみわたすだけであれば階下の甲板からでも充分できる。もしかすると船橋からつながる甲板は立ち入り禁止になっているのだろうか。
でも、ルカのために用意された船である。どう考えても船橋より見晴らしのよい場所はない。
「大丈夫ですよ、スー様。船室は全て半透視ガラスになっておりますので、外からは内側が見えません」
ハラハラしているスーの様子がおかしかったのか、ルキアが笑っていた。
「そうなのですか?」
こんなにもはっきりと甲板の様子や海がみえるのに、ふしぎな仕掛けだった。
「スー様、殿下はあちらの船室にいらっしゃいますわ」
ヘレナにうながされてスーが視線をむけると、ブリッジの甲板をわたった位置に、こちらと対になるような客室があることに気づく。半透視ガラスが鏡のように甲板と海のきらめきを反射していた。
ルキアのいうとおり、客室内の様子をうかがうことはできない。
「あ、ルカ様!」
向こうがわの船室をでて、ルカがブリッジの甲板にあらわれた。
無造作に束ねたゆるく癖のある金髪が、潮風にあおられて広がる。けぶるように光る長い頭髪とは対照的に、いっさいのひかりを飲みこむような漆黒の装いが深い。
にわかに明るい世界に黒点が染みをつくったように、ずんとスーの胸に迫るものがあった。去来した迫力に、知らずに体がこわばる。
喪服といえるような正装ではないのに、それが彼なりの喪服なのだとわかってしまう。甲板の木目と青い海のさなかにあって、ルカの漆黒の衣装は異様なほどに印象的だった。
いまにも魔に魅入られて、どこかへ連れさられてしまいそうな儚さをかんじる。彼が手にしている純白の花束。花弁の白さがまぶしく、痛みをもたらす。美しいのに、この上もなく哀しい絵画のようだ。
ルカが遠くの海を眺めながら甲板を歩いている。ふとこちらの客室へ視線がなげられ、スーはここにいることを見破られたのではないかとぎくりとした。
交通量は極端に減り、前にも後ろにも車の姿がみえない。
時折ルキアが端末で何らかのやりとりをしている。ルカについている護衛からの連絡のようだった。
「スー様は、船酔いはされますか?」
端末から顔をあげると、ルキアがスーに問う。
「船酔いですか?」
「はい。今日は波が穏やかなようですが、酔うようであれば念のため酔いどめを服用しておかれた方がよいかと」
「では、船に乗るのですか?」
スーは一気に目が輝く。
「実はわたしは海に出たことがありません。湖で船酔いをしたことはありませんが、海ではどうなるのかわかりません」
サイオンは山脈に囲まれた王国で、国土が海に面していないのだ。観光名所となっている巨大な湖しか知らない。
初めての海を船で体験できるのは素直に嬉しい。スーの期待に満ちたまなざしに気づいたのか、ルキアがほほ笑む。
「そうでしたか。本日はあまり船内をご案内できないので残念です。もっと楽しい船旅にお連れできれば良かったのですが……」
「いいえ! 大丈夫です! いつかルカ様とご一緒できる時のために勉強にもなりますし」
わくわくと気持ちを高ぶらせるスーとは裏腹に、隣のヘレナが大きくため息をついた。
「殿下は船をご利用になるのですね」
ルキアから酔いどめを受けとって、ヘレナが迷わず服用している。
「ヘレナ様は船酔いされるのですか?」
「はい。わたくしは船がすこし苦手ですわ。戻ってからもしばらく足元がふわふわいたしますし」
憂いを帯びたヘレナの顔も美しい。どんな仕草にも女性らしい色気があるのをうらやましく思いながら、スーも念のため酔いどめをもらった。
海岸線から続く長い桟橋のまえで、車が一度とまった。石造りの桟橋は広く、一隻の大きな船が停泊している。
立派な客船だった。桟橋にはほかに人気がない。ルカもすでに乗船しているのか姿はなかった。
客船を貸し切っているのか、もともと皇家の専用船なのかスーには判断がつかない。
待機していた者に誘導されて、スー達を乗せた車がゆっくりと車両甲板へと乗り入れる。
ルキアにうながされて車を降りると、ふわりと潮の香りが鼻をつく。湖にはない海の香りを胸いっぱいに吸いこんでひたっていると、ほどなくしてもう一台車両が入ってきた。
少しの距離をとって、スーたちの乗っていた車の隣にとまる。自分達にも護衛の車がついていたことに、スーはそのときになってようやく気づいた。
ルキアに指示をうけて、ふたたび護衛が船内に散開していく。
ルカのあとを追って乗船すると聞いたとき、スーは自分たちの存在に気づかれるのではないかと心配だった。けれど、それは杞憂だったようだ。忙しなく動く護衛を目の当たりにして、スーは改めてルカや自分たちの周りでうごく者の多さを実感した。
(――帝国の皇太子は決して自由ではありませんので)
ヘレナの言葉の意味がよくわかる。両親への弔い。そんな特別な日にもルカは一人ではない。決して一人にはなれないのだ。
(わたしは今までなにを見ていたのだろう)
スーは帝国での日々を窮屈だと感じたことはない。いつも真新しい刺激に満ちていて、周りの者も優しい。ルカがいかに心を砕いてくれていたのかを、あらためてかみしめた。
彼を多忙だと思いはしたものの、皇太子として私的なひとときまで束縛されているとは考えたこともなかった。きっとルカが自分に見せないようにふるまっていたからだ。
(やっぱり、ルカ様はお強い方なのだわ)
ルカの素晴らしい資質を再確認しながら、スーはルキアに案内されて、最上階にある船橋に設けられた客室へとはいった。まるで小さな城内にある居間のように、弾力のきいた長椅子が迎えてくれる。調度も穏やかに洗練されていた。
ソファにかけて、スーは改めて客室内をみまわす。壁面がガラスばりで明るい。船橋まわりの甲板の様子と海がよくみえた。
客船が動きはじめたのか、船体がゆるやかに回旋をはじめる。桟橋をはなれると、海に白い波をえがきながら船が走りだした。みるみる岸の様子が遠ざかっていく。
「ルカ様が船橋の甲板においでになると、わたしたちに気づかれるのではありませんか?」
ルカがこの船内のどこにいるのか、スーは知らない。
ガラスばりの客室。こちらからみえるということは、向こう側からもみえるはずだった。ルキアもガラスのまえに立って甲板の様子をたしかめている。いまルカがあらわれると、完全にみつかってしまうだろうと、スーは気が気ではなくなる。海をみわたすだけであれば階下の甲板からでも充分できる。もしかすると船橋からつながる甲板は立ち入り禁止になっているのだろうか。
でも、ルカのために用意された船である。どう考えても船橋より見晴らしのよい場所はない。
「大丈夫ですよ、スー様。船室は全て半透視ガラスになっておりますので、外からは内側が見えません」
ハラハラしているスーの様子がおかしかったのか、ルキアが笑っていた。
「そうなのですか?」
こんなにもはっきりと甲板の様子や海がみえるのに、ふしぎな仕掛けだった。
「スー様、殿下はあちらの船室にいらっしゃいますわ」
ヘレナにうながされてスーが視線をむけると、ブリッジの甲板をわたった位置に、こちらと対になるような客室があることに気づく。半透視ガラスが鏡のように甲板と海のきらめきを反射していた。
ルキアのいうとおり、客室内の様子をうかがうことはできない。
「あ、ルカ様!」
向こうがわの船室をでて、ルカがブリッジの甲板にあらわれた。
無造作に束ねたゆるく癖のある金髪が、潮風にあおられて広がる。けぶるように光る長い頭髪とは対照的に、いっさいのひかりを飲みこむような漆黒の装いが深い。
にわかに明るい世界に黒点が染みをつくったように、ずんとスーの胸に迫るものがあった。去来した迫力に、知らずに体がこわばる。
喪服といえるような正装ではないのに、それが彼なりの喪服なのだとわかってしまう。甲板の木目と青い海のさなかにあって、ルカの漆黒の衣装は異様なほどに印象的だった。
いまにも魔に魅入られて、どこかへ連れさられてしまいそうな儚さをかんじる。彼が手にしている純白の花束。花弁の白さがまぶしく、痛みをもたらす。美しいのに、この上もなく哀しい絵画のようだ。
ルカが遠くの海を眺めながら甲板を歩いている。ふとこちらの客室へ視線がなげられ、スーはここにいることを見破られたのではないかとぎくりとした。
0
お気に入りに追加
515
あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】都合のいい女ではありませんので
風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。
わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。
サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。
「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」
レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。
オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。
親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。
※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる