帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第十二章:野望は皇太子の寵妃

65:皇太子の特別な女性

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 テラスに食後の飲み物が運ばれてくると、ルカが執事のテオドールに人払いを命じた。スーは何か特別な話でもあるのかと姿勢を正す。

 食事を始めた頃より日が昇り、空からは朝焼けの赤さが失われている。辺りはくっきりとした明るさに満たされ、気温が高くなり始めていた。

 ルカはカップを持ち上げて一口含むと、気持ちを整理するかのように目を閉じた。スーにも彼の緊張が伝わってくる。

「あなたに話しておかなければならないことがあります」

 再びスーを見たルカの眼差しには、暗い光があった。

「はい」

 スーは手に持っていたカップを置いた。ルカは話すべきかどうか迷っているようにも見えたが、すぐに本題を切り出した。

「新しい婚約者のことです。私はあなた以外にも、妃を持つことになるかもしれません」

「はい」

 頷きながら、スーは張りつめていた気持ちを少し緩める。もっと落ち込むような話をされたらどうしようかと思っていたが、考えすぎだったようだ。

「存じております」

 帝国に嫁ぐ時から覚悟していたことである。スーは今さら改まって話をしてくれるルカの誠実さに心が温かくなった。

「でも、ルカ様からわたしにお話しいただけるとは思っていなかったので嬉しいです」

「……嬉しい?」

「はい。皇家に多妻が認められていることは知っていましたし、帝室に関わる話題は連日それで持ち切りです。でも私の立場では、ルカ様から直接お話を伺うことはできない事かと思っていました」

 スーにはきちんと伝えてくれるルカの気遣いが嬉しい。自然と笑みがこぼれる。

「だからお話いただけるのであれば嬉しいです」

 素直に気持ちを伝えると、ルカがじっと伺うようにスーの顔を凝視している。無言のまましばらく見つめられて、スーは沈黙に耐え切れなくなる。

「ルカ様? わたしの顔に何か?」

 スーは思わず自分の顔を手で確かめてしまう。

「あ、もしかして食事で顔が汚れていますか?」

 あたふたとナフキンを手にして口元を拭うと、ルカがふうっと大きく息をついた。それから自嘲的に小さく笑う。

「スーの覚悟には叶わないですね」

 言葉の意味を推し量れずにいると、ルカがほほ笑む。人払いする前の柔らかな空気が戻ってきた。

「あなたはいつも予想外の反応をする」

「予想外の反応ですか?」

 何か失礼な行いがあったのかとスーが焦ると、ルカが小さく笑った。

「スー、とても好ましいという意味です」

「え!? 好ましい?」

「はい。スーに新たな婚約者の話をすれば、もっと落ち込むかと思っていました」

「どうしてですか?」

「どうしてって……」

 ルカが心底驚いたような顔をしている。

「ふつうは嫌ではないですか? 自分の婚約者に違う女性がいるのは」

「それはたしかに嫌ですが。……ルカ様がそんなことまで気遣って下さるとは思っていませんでした」

「ーー私はそんなに冷たい印象ですか?」

「そういう意味ではありません!」

 力いっぱい否定して、スーはまくしたてる。

「わたしは帝国にとつがなければルカ様とお会いすることも叶わなかったのです。クラウディア皇家に多妻が認められているからこそ、ルカ様のような素敵な方の妃になれる機会をいただけたわけですし、だから、他の妃となる方を否定するのはおかしな話ではないかと」

「なるほど、スーは逞しいですね」

「いえ、でも! ルカ様が他の方を好きになってしまわれるのはやっぱり嫌です。多妻の宿命であったとしても、そこはわたしにも乙女心がありますので! だから他の方に負けないように頑張るのみです! ルカ様の目に他の方が映らないような寵妃になるのが、わたしの野望です」

「野望……」

「あ、違……、あの、ーー夢です! お迎えになる婚約者がルカ様の想い人ならわきまえますが、そうでないなら、正々堂々と寵を競って戦います!」

 勇ましく豪語してから、スーはぎくりと見落としていた事実に気づく。

「もしかしてお迎えになる婚約者の方は、ルカ様の恋人だったり、好きな方だったりしますか?」

 一転して顔色を曇らせると、ルカが可笑しそうに笑った。

「スーはぜんぶ顔に出ますね」

「ルカ様、笑いごとではありません。お迎えになる方は、ルカ様の特別な方なのですか?」

 突如沸き上がった考えにスーはどんよりと不安になる。そんなふうに考えていなかった自分の鈍さを呪った。ルカはひとしきり笑ってから、まっすぐスーを見た。

「スー。私には恋人も特別な女性もいません」

「本当ですか?」

「はい。……ああ、でも今はあなたが私の特別な女性です」

「!?」

 スーは零れ落ちそうなほど目を大きく見開いた。

(もしかして聞き間違いかしら?)

「あの、いま、ルカ様の特別がわたしだと」

「はい。スーは私にとって特別です」

 喜びで舞い上がりそうになったが、スーはすぐに思い直す。舞い上がりかけた魂の裾を掴んで、ぐっと踏ん張った。

「それは、いったいどういう意味の……」

「あなたとは、一夜を共にした仲ですので」

「え!」

「私の部屋で、朝まで一緒に過ごした女性はスーが初めてです」

 まるで一線を越えた関係のように言われて、スーはかぁっと全身に血が巡るのを感じた。

「ルカ様はまたわたしのことをからかっておられますね!」

「ーーはい。つい、反応が面白いので」

「ルカ様!」

 どうやら魅力的な大人の女性までの道のりは遠い。

(負けないわ!)

 スーは作戦を考えなければいけないと、ふつふつと新たな闘志を燃やした。
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