帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第十二章:野望は皇太子の寵妃

63:優秀な侍女の観察眼

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「さて、姫様」

 スーが自室へ戻ると、ユエンが着替えを用意しながらじろじろと様子を伺ってくる。

「昨夜はついにルカ殿下と一夜を共にされたようですが……」

「それについては反省しています。本当にごめんなさい」

 ユエンがルカの部屋まで迎えに来てくれた時も、猛烈な勢いで謝り倒したが、スーは再び殊勝な面持ちで頭を下げた。

 優秀な侍女は、スーの着替えに手を貸しながら不思議そうに首を傾ける。

「私が今さら姫様に嫁入り前の娘がはしたない! などと説教をするとお思いですか? ルカ殿下には他の婚約者候補のお話も持ち上がっているようですし、一足先へ行けてちょうど良かったではありませんか。私はおめでとうございますと祝福いたしますよ。それにしても、ルカ殿下も普通の男性だったのですねぇ」

「でも、ユエン。昨夜のルカ様は随分と酔っておられたので、その勢いだけで、別にわたしが特別な存在になったわけではないと思うの」

 今朝になって正気を取り戻したルカは、スーに何度も謝ってくれた。

 スーは昨夜の素敵なひとときには喜びしかなかったが、ルカの申し訳なさそうな顔を見て、少し気持ちを改めた。正気に戻ったルカにとって、昨夜のことは失態なのだ。

 甘い囁きも大人のキスも、酔った勢いで行った醜態。
 好きだから、あるいは愛しているから、という理由はどこにもない。

 アルコールによる酩酊で本能が働いただけである。
 ルカが謝るたびに昨夜の夢のようなひとときが色あせる。まるで魔法がとけるように、膨らんでいたときめきに寂しさが滲んだ。

「だから、わたしが今後現れるルカ様の新しい婚約者の方より、少しでも有利になったというわけではないのよ」

 昨夜のことを勘違いしてはいけないと、スーは自分に言い聞かせる。ルカの望むような魅力的な女性像には、まだ程遠いのだ。

「酔った勢い、ですか。……それでも殿下が手を出す程度には魅力的な女性であることは証明されたわけですし、この調子でお色気作戦に励めばよろしいのでは?」

 ユエンの飄々とした作戦に、スーの色褪せて萎えていた気持ちが、むくりと起き上がる。

「言われてみればそうね。酔えばルカ様の目にも、わたしは魅力的な女性に見えるのかもしれないわ」

 昨夜は実際にそうだった。泥酔していたとはいえ、魅力的な女性である可能性はゼロではない。

 いつか正気のルカから、昨夜のような甘い言葉を賜るために励めばよいのだ。酔っていたとしても、彼にそんなふうに思ってもらえた瞬間があったことは確かなのだ。

「ユエンの言うとおりね! わたし、お色気作戦を頑張るわ!」

 ふんすと意気込むスーに、ユエンが苦笑している。
 ふたたびじろじろとスーを観察しながら、彼女が抑揚のない調子で質問する。

「ところで、昨夜は避妊はしていただけましたか? 殿下はたいそう酔っておられたようですが」

「否認って?」

 ユエンの言葉が飛躍しすぎて、スーは急にわからなくなる。聞き返すとユエンがぴくりと片眉をあげる。

「殿下は姫様が子を孕むようなことがないように、事に及んだとき配慮されておいででしたか?」

「なっ! 子を孕むって!? 口づけだけで妊娠できるなんて聞いたことないわ!」

「ーー口づけだけ?」

「そ、そうよ。とても素敵な大人のキーー」

「姫様、殿下のお部屋で共に一夜を過ごして、本当に口づけだけですか?」

「そうよ!」

「では、この痕は?」

 ユエンがツンとスーの首筋をつつく。

「え?」

 俯いてみても、自分の首元をみることはできない。スーはそそくさと姿見の前へ行って、はじめて肌に刻まれた赤い痕を目にした。

「ふぎゃ!」

 変な声が出る。昨夜の想い出がくっきりと蘇ってきて、恥じらいで全身が火照った。

「ここここ、これ、ルカ様の……」

「キスマークですね。綺麗に咲いておられます。姫様、正直に仰ってください。昨夜はーー」

「何もしてません! いえ、何もって言うことはないけど、本当なのよ! ユエン」

「こんなふうに姫様の肌に触れておきながら、殿下は何もなさらなかったのですか? 本当に?」

「本当よ!」

 スーは恥ずかしさをごまかすように、急き立てるように口を開く。

「もちろんこんな状態になってわたしも覚悟を決めたわ! でもルカ様が眠ってしまわれて一気に緊張がとけて、その時に部屋に戻らなければと思ったのだけど少しだけ添い寝を堪能しようと欲望に忠実にしがみついていたらあまりにもルカ様の体温が心地よくて一緒に眠ってしまっただけで、だから本当に子を孕むような大人の階段は登っていないのよ! 本当よ!」

 一息に真実を吐き出しても、ユエンはしばらくじっくりとスーを観察していた。
 スーはひたすら恥じ入って、茹で上がったかのように肌を赤くするだけだった。
 やがてユエンが大きく息をついて、腰に手を当てた。

「そうでしたか」

「そうなのよ!」

 やれやれと言いたげな様子で、ユエンがまっすぐにスーを見た。

「姫様。もしこの先大人の階段を登った時に、子を孕むかもしれないと思った時は、真っ先に私にお知らせ下さい」

「もちろんよ!」

 スーがこくりと深く頷く。ルカとの一夜が未遂に終わったことが残念だったのか、ユエンはどこか物悲し気に目を伏せた。

「姫様のお身体は、何があっても私がしっかりと管理させていただきますので」

 今まで聞いたことがないような固く低い声の調子だった。得体の知れない波紋が胸に広がる気がして、スーは湧水のように滲んだ憂慮を振り払うべく、元気よく宣言する。

「ありがとう、ユエン。いつか絶対にルカ様との子を授かってお披露目するわ!」

「ーー姫様。……その前に大人の階段を登れると良いですね」

「うっ……」
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