帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第十一章:変化していく距離感

62:花のような印

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「申し訳ありません!」

 スーが寝台を下りて、バタバタとルカの前まで駆け寄ってくる。そのまま絨毯に座して手をつくと、深く頭を下げた。すんなりとした手足の所作が無駄に美しい。妃教育で手に入れた成果が身についている。

「ルカ様のお部屋で寝台を借りて眠ってしまうなんて!」

 とんでもない焦りようで謝るが、彼女に非がないのはルカが一番知っている。

「本当に申し訳ありません! ルカ様がお休みになった後、すぐに部屋へ戻るべきでした。わたしの浅はかな考えで、ルカ様にご迷惑をおかけしてしまいました。毎日ご多忙でお疲れなのに、本当に申し訳ありません。久しぶりにお戻りになられたのにーー」

「スー」

 平謝りするスーの前に膝をついて、ルカは「あなたは何も悪くありません」と、永遠に続きそうな謝罪を遮った。

「謝るのは私の方です。昨夜は酔った勢いで、あなたにたいへん失礼なことをしてしまいました。こちらこそ、本当に申し訳ありません」

「そんな、ルカ様は全く失礼ではありませんでした!」

 昨夜のことを思い出したのか、スーの顔が一気に赤く染まった。肩を落として畏まったままだが、恥じらいながらも、キラキラとした目で意欲的に宣言する。

 扉の近くでオトがじっとこちらの様子をうかがっている気配を感じた。ルカは途轍もなく嫌な予感がする。

「わたしはルカ様のおかげでとても素敵な夜を過ごしました!」

 ああとルカは頭を抱えたくなる。完全に誤解を招く言い方である。スーは顔を紅潮させたまま、さらに追い打ちをかける。

「ルカ様はとても素敵でしたが、わたしが初めての経験で――」
「スー」

「ご迷惑をかけたのではないかと思って――」
「スー! あなたは何も悪くありません!」

 言葉を遮るように喰い気味に声をかけるが、スーは反省しているのか、俯いてもじもじと顔を赤らめている。彼女は大人のキスについて語っているだけだが、なぜか語弊があるように聞こえてしまう。

(いや、あんなキスをしてしまった罪も重いが……)

 ルカの胸の内で後悔が渦巻く。何を囁いてどうしたのかは覚えている。夢だと決めつけて望みを叶えようとした自分を呪い殺したくなる。昨夜の醜態には反省しかない。

「昨夜のことは私の失態です。本当に申し訳ありませんでした。だから、スーが謝ることはありません」

 心の底から詫びると、スーが戸惑いながらも「はい」と小さく頷いた。

 背後で一部始終を見守っているオトは、完全に一夜の出来事について誤解したに違いない。ふたたび館の者に吹聴して回る未来が見えた。

「ルカ様」

 オトの声が聞こえた。スーを前にして、なかったことを弁解するのも憚られる。ゆっくりと振り返ると、オトは職務に忠実な侍従長の顔したまま満面の笑みを浮かべていた。

「スー様もお目覚めになられたようですし、朝食の準備をいたしましょうか? テラスでお食事になれば、朝焼けが綺麗に見えるのではないでしょうか?」

「…………そうだな」

 言いたいことは山のようにあったが、全てを封印してルカはただ頷いた。
 オトがスーにやさしく微笑みかける。

「スー様、おはようございます」

「オト、おはよう。わたし、昨夜は部屋にも戻らずルカ様のお部屋で休んでしまって、本当にごめんなさい」

 絨毯に座り込んだまま、ひたすら顔を赤くして謝るスーは、ますます誤解を助長する様子である。ルカはもう駄目だと諦めの境地に至る。昨夜のことをどれほど否定しても、オトは信じない。館の者も聞く耳をもたないだろう。

「ルカ様はそんなことではお怒りになりませんよ。お疲れではありませんか」

 目覚めてすぐに疲れているはずがない。質問の内容がおかしいとルカは突っ込みたいが、オトは完全に思い込んでいる。柔和な笑顔でそっと労っているのだ。スーは瞳をいきいきと輝かせて笑った。

「ええ。ルカ様のおかげで、とてもよく眠れたわ」

 彼女は素直に答えているだけだが、ルカには冤罪を深める呪詛のように聞こえる。

「そうですか。では、私はこれで退がります。ユエン様にこちらにお迎えにあがるようにお伝えいたしますね」

 オトがすっと扉の前に立つ。

「失礼いたしました」

 一礼してから部屋を出て行った。ルカががっくりと脱力していると、スーがあたふたと辺りを見回している。ルカはふうっと気持ちを切り替えて声を掛けた。

「スー? どうかしましたか?」

 彼女の手を引いて立ち上がらせると、恥ずかしそうに小さな声が打ち明けた。

「あの、上着を羽織ってきたと思うのですが……」

 どうやら襟ぐりの開きが気になるようだった。たしかに普段より肌が露出している。大胆に強調された柔らかな線が、スーの女性らしい美しさをさらに引き出している。

 凝視するわけにもいかず、ルカは何気なく視線を向けていたが、彼女の首筋を見てぎょっとする。

 小さな皮下出血のあとが赤く滲んでいた。間違いなく自分が口づけて刻んだ印である。白い肌に映えて、まるで花の刺青が咲いているようだった。ルカはくらりと眩暈を感じる。昨夜の失態もここまで極まると笑うしかない。おそらくオトの視界にもしっかりと映っていただろう。

(――最悪だ……)

 ルカは長椅子の傍らに広がっていたスーの上着を見つけて、しっかりと彼女の肩に羽織らせた。
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