帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第九章:離宮で過ごす王女と皇太子

50:ルキア・ベリウスと皇太子

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 離宮での滞在は、スーの休養明けのリハビリにも一役買った。

 乗馬の練習は寝台で凝り固まっていたスーの体をほぐす良い運動になり、馬との触れ合いは、より彼女の気持ちを慰めてくれるようだった。

 何事にも一生懸命な性分らしく、スーは乗馬の練習に夢中になって、生き生きと毎日を過ごしている。

「楽しそうですね」

 ルカが大木の下に設えた椅子にかけて、本を開きながらスーの乗馬を見守っていると、ふいにルキアの声がした。

「ルキア、来ていたのか」

 離宮にはユエンやオトをはじめ館の者が数人同行しているが、ルキアは滞在していない。
 ルカが何か良くない報せでもあるのかと身構えると、ルキアが笑う。

「そんな顔をなさらなくても、今日は私もオフなので顔を出してみただけです」

 言われてみれば休日だった。長く謹慎で休んでいるために、暦の感覚が抜け落ちている。改めてルキアを見ると、公務に携わる時にはかかさない眼鏡をかけておらず、服装も王宮で決められた装いではなく私服だった。

「殿下への風当たりもゆるくなって来ていますし、休暇が明ける日も近いとだけ申し上げておきます」

 眼鏡の助けがなくても、彼の知的な雰囲気は損なわれない。謹慎が解けると言わない辺りに、ルキアからの皮肉めいた含みを感じた。

「楽しんでおられるようで良かったです」

 ルキアが騎乗して辺りを駆け回っているスーを目で追いかけている。

「そうだな。彼女の気持ちを癒すには、ここは良かったのかもしれない」

 ルカの隣の椅子に腰掛けながら、ルキアが小さく笑う。

「スー様はもちろんですが、私が申し上げたのは殿下のことです」

「――まぁな、せっかくの機会だから、ゆっくり過ごしているが」

 幼い頃もこんなふうに大木の木陰で、ルキアとヘレナと一緒に、他愛ないことを話しながら過ごした。今ではルカにとって宝物のように美しい思い出だった。

「スー様との滞在は、殿下にも楽しい思い出になりそうですね」

 ルキアの言う通り、スーと過ごす離宮での日々も穏やかに過ぎていく。優しい眼をした馬達とスーの笑顔を見て過ごす毎日は、心を緩めてくれる。

「何か言いたげだな」

 スーと過ごす安逸さは自分でも認めているが、ルキアに指摘されるのは癪にさわる。

 ユエンやオトもそうだが、ルキアとガウスもスーと自分の関係が、形式だけではなく本当に親密になれば良いと考えている節がある。

「殿下はお気づきかどうかわかりませんが、スー様とご一緒の時、殿下はよく笑っておられますよ。だから周りの者は、みんなスー様の味方なのです」

 自覚しつつあることを、ルキアはしっかりと言葉にして放ってくる。
 ルカは繰り返すだけだった。

「彼女のことは大切にしている」

「大切、ですか。殿下は頑固ですからね。……その頑なさが、いったいどこから来ているのかが気になりますが」

 他愛ない口調に、ひやりとした冷静な刃を感じた。ルカを思って働く、ルキアの鋭い洞察。

 クラウディアとサイオンの繋がりを白紙に戻す。
 ルキアもガウスも、ルカの秘めた希望を心得てはいるが、そのためにルカが何を決断しなければならないのかは、わかっていない

 誰にも、決して明かすことができない決意がある。
 一子相伝の掟がもたらした残酷な現実。

 生贄よりも酷く惨い契約。天女の残した唯一絶対の愛。
 第零都で陛下とともに彼女の姿を見た時に感じた、おぞましい戦慄。

 この因習を自分の代で終わらせたい。ルカの心に刻まれてしまった楔。
 相手がルキアでも打ち明けることのできない、暗い決意を忘れることはない。

 スーを解放できるのか。あるいは同じ道を辿らせて犠牲にしてしまうのか。
 ルカにはまだわからない。サイオンの全てを手放せるだけの情報も、準備も、圧倒的に足りていないのだ。

 だから、彼女に素直に心を傾けることができない。
 自分が無力なままでは、いつか彼女を裏切ってしまう。その可能性がある限り、スーに愛を囁くことなど許されるはずがなかった。

「……また眉間に皺が寄っていますよ」

 ルキアに言われて、ルカは険しくなっていた自分の表情に気づいた。苦笑すると、ルキアがやれやれと言いたげにため息を漏らしている。

「それにしても、あの白馬は立派な馬ですね」

 ルキアもスーが騎乗しているピテルに感嘆している。

「へぇ、おまえでもそんな感想になるのか」

「誰が見てもそうでしょう。スー様の叔父は一体何者なのでしょうね」

 リンが仄めかしていたとおり、王宮の警備について細かく指摘を受けたと、ルキアからも聞いていた。あまりに的確な意見だったと、ルキアもリンには一目置いている。

 もしかすると未だ実態の掴めない、暗殺と諜報に暗躍する一団の頭領ではないかとまで、予想を膨らませているようだ。ルキアがそう考えてしまうのも無理はない。

 王宮でのリンの立ち居振る舞いは、洗練された無駄のない鮮やかさがあり、恐ろしいほどに残酷だった。

「リン様が味方であるのは幸運です」

「正確にはスーの味方だな」

「同じことですよ」

 あっさりとルキアが決めつける。ルカには何も答えられない。割り切れない思いを抱えたまま顔をあげると、ピテルに乗ったスーと目があった気がした。彼女はすぐに隣のルキアに気づいたようだ。騎乗していたピテルから降り立つと、一目散にこちらへ駆けつけてくる。

「ルキア様! おいでになっていたのですか?」

 ルキアが立ち上がって、スーに一礼した。

「はい。スー王女、ごきげんよう」

「ごきげんよう!」

「楽しそうですね」

「はい! とても! ルカ様に乗馬を教えていただいて、毎日練習しています。とても楽しいです」

 元気いっぱいに笑うスーに、ルキアも笑顔を返している。

「あの白馬が、叔父様からの贈り物だとか?」

「はい」

「立派な白馬ですね。殿下に乗せていただきましたか?」

「はい! 私が乗馬の練習を始める前に! とても素敵でした!」

「そうですか」

 にこやかにスーと話していたルキアが、意味ありげに傍らに座っているルカを見る。

「殿下、あんなに立派な白馬であれば二人乗りが必然でしょう。もうお二人で一緒に騎乗されないのですか?」

 嫌な角度からの痛烈な皮肉だった。見抜かれた気がして、ルカは再び眉間に皺がよる。不穏な空気を感じ取ったのか、スーが慌てて付け加えた。

「私が独りでも騎乗できるようになりたくて、ピテルを独り占めしているだけです」

 ルキアが笑顔のまま、ぴしゃりと言い放つ。

「それは少しもったいないですね」

 横目でルカを見る彼の知的な口元に、不敵な笑みが浮かんでいた。完全に悪戯を思いついた幼馴染の顔をしている。幼い時から、ルキアがこの笑い方をするときは、何かを企んでいる時だった。

「スー様。では、せっかくなので私と一緒に騎乗していただけませんか」

 ルカは幼馴染の策略に頭を抱えたくなる。ルキアはあからさまにこちらを見て面白そうに笑っていた。

(ルキアめ、余計なことを考える……)

「ルキア様とですか?」

 スーには全く意図が伝わらないだろう。戸惑った顔をしてルキアを見ている。ルカが仕方がないと立ち上がった。

「ルキア。申し訳ないがピテルは私とスーの馬だ」

「しかし、もったいない乗り方をしておられるようですが?」

 悪魔のような男だなとルカは胸の内で悪態をつくが、ルキアはいけしゃあしゃあとしている。

「――おまえ……」

 ルキアが勝ち誇ったように笑っている。苛立ったが、ルカは諦めてスーの肩を叩いた。

「スー。ピテルには、私と乗りましょう」

「はい!」
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