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第九章:離宮で過ごす王女と皇太子
46:帝都の外れにある離宮
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スーの怪我が癒える頃には、帝都を照らす日中の陽差しが、さらに眩くなっていた。日向に出ると汗ばむほどで、新緑は深さを増し、往来に出ても草いきれで大気に青臭さが染みている。
医師によるとスーは若さゆえの驚異的な回復力だったらしい。
たしかに半月も経っていないことを思えば、ルカの予想よりも遥かに早い。
動き回ることに支障がないと診断されると、休養で低下した体力を鍛えるために、身体を動かした方が良いと指摘があった。
スーはさっそく張り切って以前の生活を取り戻そうとしたが、ルカは帝都の外れにある離宮を訪れることにしていた。離宮の敷地にある厩舎には、リンから贈られた立派な白馬がいる。
彼女の怪我が癒えたら、しばらくそちらで滞在できるように、すでに準備を整えてあった。
帝都内にある皇家の離宮は、スーの前にサイオンに誕生した王女が、当時の皇帝と仲睦まじく過ごした場所だと言われている。
手入れの行き届いた離宮の庭は、ルカの私邸とはまた趣が違う。一面が豊かに咲き誇り、まるで外界から切り離されたように、一帯が森のように茂っているのだ。
第七都に出向くほどの移動時間も要さず、自然を謳歌できる場所でもあった。
離宮周りに茂る大木が直射日光を遮って、庭先に心地の良い木陰をつくる。帝都にありながら、避暑地のような風情がある。
「ルカ様! こちらは物語に出てきそうな森で、とても素敵です! すこしサイオンを思い出します!」
スーは離宮の庭に続く門を超えた辺りから、見ていて微笑ましくなるほど興奮していた。
車窓から見える景色を、食い入るように眺めている。
「こんなところでルカ様と過ごせるなんて、これはもうご褒美ですね!」
(ご褒美か……)
相変わらず無邪気だなと思う反面、ルカはすこしやりきれない気持ちになる。
スーは自分の前では決して泣き言を言わない。
「あまり遠出はできませんでしたが、気に入っていただけたようで良かったです」
「はい! とても!」
何も変わらない。弾けるような笑顔も失っていない。怪我を治す間も様子を見守っていたが、彼女はずっと朗らかだった。婚約披露での出来事も、まるで武勇伝のように語ったりするのだ。
門をくぐってからも、館に着くまでしばらく車は走る。車窓の向こう側を見つめるスーの嬉しそうな横顔を眺めながら、ルカは胸が締め付けられるような声を思い出していた。
部屋の外に漏れ聞こえてきた、彼女の振り絞るような嗚咽。
スーの心に刻まれた見えない傷跡。
体の怪我が癒えても、体験はトラウマとなって彼女を苛む。
彼女の叔父であるリンは、スーが決して自分には見せることはない一面を示したかったのだろう。
大丈夫だと笑う、その胸の奥で、多くの感情を殺して振舞っていること。
リンにどのような思惑があったのかはわからないが、ルカの抱える罪悪はさらに大きくなって、じりじりと決意を蝕みはじめていた。スーの泣き声が覚悟を揺るがせる。
(殿下にも秘めた覚悟があるようですが、スーを相手にいつまでその偏見を貫くのか見物ですね)
リン・サイオン。クラウディアがプリンケプラ――恒久の庇護を約束した一族。
天女の守護者として、リンは役割を与えられていると言っていた。いったい何を知り、どこまで見抜いているのか得体が知れない。
だからといって、ルカの秘めた覚悟を、リンが正しく掴むことなど到底できないはずなのだ。
単なる言葉のあやだと分かっていても、彼の語る言葉は、いちいちルカを警戒させた。
(……偏見か)
リンはためらわず偏見だと言った。何を示唆しているのかは不明瞭だが、彼にはそう見えるのだろうか。
スーとの関係に、ルカは明らかに境界線を儲けている。必要以上に踏み込まないように。
もしかすると、スーを哀れだと決めつけている自分に、彼は気づいたのだろうか。
(ルカ殿下、今から厩舎を拝見すると言ったのは、もちろん嘘ですよ。この邸の敷地にはないでしょう? でも、白馬は一頭お贈りしますからね)
自分をスーの部屋から退出させるために言い出したことであるのは気づいていたが、白馬については本気のようだった。
後日、リンから贈られてきた白馬は、幻想的なほど立派で美しかったらしい。白馬は離宮の敷地にある厩舎で世話をしている。ルカもまだ目にしていないが、きっとスーが見れば喜ぶのだろう。
(自分を迎えに来た白馬の王子様と、初めてのキスをする)
リンが明かした、スーの滑稽なほどに幼い夢。
ルカが築いた、スーとの超えられない境界線。リンは見抜いて、仕掛けているのかもしれない。
姪の恋心を後押しするとでも言いたげな贈り物である。
リンの思惑どおりに進んだ場合、自分はいったいどこに辿り着くのだろう。
愉悦か、悲嘆か。
スーの手をとって、ともに歩む未来。ルカには幻想に等しかったが、今は望んでいないと言えば嘘になる。
クラウディアとサイオンの繋がり。
すべてを断ち切り、反故にしたその先にも、彼女との道が続く。
そんな未来を思い描きたくなっている。
(……こんなはずではなかったのに)
森をくぐるような小道を越えて、ようやく車が館の前に駐車した。敷地に降り立つと、スーは雰囲気のある館の外観に歓声をあげてから、浮き足立つ様子を隠さずルカを仰ぐ。
「叔父様の送ってくださった白馬も見られるのですよね」
「――はい。こちらでは乗馬も楽しめます」
「乗馬……、わたしもルカ様に習えば乗れるようになりますか?」
ルカは驚いて聞き返す。
「もしかして、スーは馬に乗ったことがないのですか?」
「……はい」
「それは意外でした」
馬で野山を駆けまわっている印象があったが、よく考えてみると、サイオンがいくら辺境の小国だとしても、馬が日常的な移動手段なわけがない。帝国では乗馬は完全に道楽である。飼育にかかる労力や費用を思えば、スーが馬になじみがないのも頷ける。
白馬の王子は、彼女にとって本当におとぎ話なのだ。
「スーなら、きっとすぐに乗れるようになりますよ」
「では教えてくださいね」
スーの嬉しそうな顔を見ていると、ルカも自然と笑顔になる。
離宮での滞在中は、できるだけ彼女の心を癒すことに努めようと、改めて思った。
医師によるとスーは若さゆえの驚異的な回復力だったらしい。
たしかに半月も経っていないことを思えば、ルカの予想よりも遥かに早い。
動き回ることに支障がないと診断されると、休養で低下した体力を鍛えるために、身体を動かした方が良いと指摘があった。
スーはさっそく張り切って以前の生活を取り戻そうとしたが、ルカは帝都の外れにある離宮を訪れることにしていた。離宮の敷地にある厩舎には、リンから贈られた立派な白馬がいる。
彼女の怪我が癒えたら、しばらくそちらで滞在できるように、すでに準備を整えてあった。
帝都内にある皇家の離宮は、スーの前にサイオンに誕生した王女が、当時の皇帝と仲睦まじく過ごした場所だと言われている。
手入れの行き届いた離宮の庭は、ルカの私邸とはまた趣が違う。一面が豊かに咲き誇り、まるで外界から切り離されたように、一帯が森のように茂っているのだ。
第七都に出向くほどの移動時間も要さず、自然を謳歌できる場所でもあった。
離宮周りに茂る大木が直射日光を遮って、庭先に心地の良い木陰をつくる。帝都にありながら、避暑地のような風情がある。
「ルカ様! こちらは物語に出てきそうな森で、とても素敵です! すこしサイオンを思い出します!」
スーは離宮の庭に続く門を超えた辺りから、見ていて微笑ましくなるほど興奮していた。
車窓から見える景色を、食い入るように眺めている。
「こんなところでルカ様と過ごせるなんて、これはもうご褒美ですね!」
(ご褒美か……)
相変わらず無邪気だなと思う反面、ルカはすこしやりきれない気持ちになる。
スーは自分の前では決して泣き言を言わない。
「あまり遠出はできませんでしたが、気に入っていただけたようで良かったです」
「はい! とても!」
何も変わらない。弾けるような笑顔も失っていない。怪我を治す間も様子を見守っていたが、彼女はずっと朗らかだった。婚約披露での出来事も、まるで武勇伝のように語ったりするのだ。
門をくぐってからも、館に着くまでしばらく車は走る。車窓の向こう側を見つめるスーの嬉しそうな横顔を眺めながら、ルカは胸が締め付けられるような声を思い出していた。
部屋の外に漏れ聞こえてきた、彼女の振り絞るような嗚咽。
スーの心に刻まれた見えない傷跡。
体の怪我が癒えても、体験はトラウマとなって彼女を苛む。
彼女の叔父であるリンは、スーが決して自分には見せることはない一面を示したかったのだろう。
大丈夫だと笑う、その胸の奥で、多くの感情を殺して振舞っていること。
リンにどのような思惑があったのかはわからないが、ルカの抱える罪悪はさらに大きくなって、じりじりと決意を蝕みはじめていた。スーの泣き声が覚悟を揺るがせる。
(殿下にも秘めた覚悟があるようですが、スーを相手にいつまでその偏見を貫くのか見物ですね)
リン・サイオン。クラウディアがプリンケプラ――恒久の庇護を約束した一族。
天女の守護者として、リンは役割を与えられていると言っていた。いったい何を知り、どこまで見抜いているのか得体が知れない。
だからといって、ルカの秘めた覚悟を、リンが正しく掴むことなど到底できないはずなのだ。
単なる言葉のあやだと分かっていても、彼の語る言葉は、いちいちルカを警戒させた。
(……偏見か)
リンはためらわず偏見だと言った。何を示唆しているのかは不明瞭だが、彼にはそう見えるのだろうか。
スーとの関係に、ルカは明らかに境界線を儲けている。必要以上に踏み込まないように。
もしかすると、スーを哀れだと決めつけている自分に、彼は気づいたのだろうか。
(ルカ殿下、今から厩舎を拝見すると言ったのは、もちろん嘘ですよ。この邸の敷地にはないでしょう? でも、白馬は一頭お贈りしますからね)
自分をスーの部屋から退出させるために言い出したことであるのは気づいていたが、白馬については本気のようだった。
後日、リンから贈られてきた白馬は、幻想的なほど立派で美しかったらしい。白馬は離宮の敷地にある厩舎で世話をしている。ルカもまだ目にしていないが、きっとスーが見れば喜ぶのだろう。
(自分を迎えに来た白馬の王子様と、初めてのキスをする)
リンが明かした、スーの滑稽なほどに幼い夢。
ルカが築いた、スーとの超えられない境界線。リンは見抜いて、仕掛けているのかもしれない。
姪の恋心を後押しするとでも言いたげな贈り物である。
リンの思惑どおりに進んだ場合、自分はいったいどこに辿り着くのだろう。
愉悦か、悲嘆か。
スーの手をとって、ともに歩む未来。ルカには幻想に等しかったが、今は望んでいないと言えば嘘になる。
クラウディアとサイオンの繋がり。
すべてを断ち切り、反故にしたその先にも、彼女との道が続く。
そんな未来を思い描きたくなっている。
(……こんなはずではなかったのに)
森をくぐるような小道を越えて、ようやく車が館の前に駐車した。敷地に降り立つと、スーは雰囲気のある館の外観に歓声をあげてから、浮き足立つ様子を隠さずルカを仰ぐ。
「叔父様の送ってくださった白馬も見られるのですよね」
「――はい。こちらでは乗馬も楽しめます」
「乗馬……、わたしもルカ様に習えば乗れるようになりますか?」
ルカは驚いて聞き返す。
「もしかして、スーは馬に乗ったことがないのですか?」
「……はい」
「それは意外でした」
馬で野山を駆けまわっている印象があったが、よく考えてみると、サイオンがいくら辺境の小国だとしても、馬が日常的な移動手段なわけがない。帝国では乗馬は完全に道楽である。飼育にかかる労力や費用を思えば、スーが馬になじみがないのも頷ける。
白馬の王子は、彼女にとって本当におとぎ話なのだ。
「スーなら、きっとすぐに乗れるようになりますよ」
「では教えてくださいね」
スーの嬉しそうな顔を見ていると、ルカも自然と笑顔になる。
離宮での滞在中は、できるだけ彼女の心を癒すことに努めようと、改めて思った。
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