帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
46 / 170
第九章:離宮で過ごす王女と皇太子

46:帝都の外れにある離宮

しおりを挟む
 スーの怪我が癒える頃には、帝都を照らす日中の陽差しが、さらにまばゆくなっていた。日向に出ると汗ばむほどで、新緑は深さを増し、往来に出ても草いきれで大気に青臭さが染みている。

 医師によるとスーは若さゆえの驚異的な回復力だったらしい。
 たしかに半月も経っていないことを思えば、ルカの予想よりも遥かに早い。

 動き回ることに支障がないと診断されると、休養で低下した体力を鍛えるために、身体を動かした方が良いと指摘があった。

 スーはさっそく張り切って以前の生活を取り戻そうとしたが、ルカは帝都の外れにある離宮を訪れることにしていた。離宮の敷地にある厩舎には、リンから贈られた立派な白馬がいる。

 彼女の怪我が癒えたら、しばらくそちらで滞在できるように、すでに準備を整えてあった。
 帝都内にある皇家の離宮は、スーの前にサイオンに誕生した王女が、当時の皇帝と仲睦まじく過ごした場所だと言われている。

 手入れの行き届いた離宮の庭は、ルカの私邸とはまた趣が違う。一面が豊かに咲き誇り、まるで外界から切り離されたように、一帯が森のように茂っているのだ。

 第七都に出向くほどの移動時間も要さず、自然を謳歌できる場所でもあった。
 離宮周りに茂る大木が直射日光を遮って、庭先に心地の良い木陰をつくる。帝都にありながら、避暑地のような風情がある。

「ルカ様! こちらは物語に出てきそうな森で、とても素敵です! すこしサイオンを思い出します!」

 スーは離宮の庭に続く門を超えた辺りから、見ていて微笑ましくなるほど興奮していた。
 車窓から見える景色を、食い入るように眺めている。

「こんなところでルカ様と過ごせるなんて、これはもうご褒美ですね!」

(ご褒美か……)

 相変わらず無邪気だなと思う反面、ルカはすこしやりきれない気持ちになる。
 スーは自分の前では決して泣き言を言わない。

「あまり遠出はできませんでしたが、気に入っていただけたようで良かったです」

「はい! とても!」

 何も変わらない。弾けるような笑顔も失っていない。怪我を治す間も様子を見守っていたが、彼女はずっと朗らかだった。婚約披露での出来事も、まるで武勇伝のように語ったりするのだ。

 門をくぐってからも、館に着くまでしばらく車は走る。車窓の向こう側を見つめるスーの嬉しそうな横顔を眺めながら、ルカは胸が締め付けられるような声を思い出していた。

 部屋の外に漏れ聞こえてきた、彼女の振り絞るような嗚咽。
 スーの心に刻まれた見えない傷跡。

 体の怪我が癒えても、体験はトラウマとなって彼女を苛む。
 彼女の叔父であるリンは、スーが決して自分には見せることはない一面を示したかったのだろう。

 大丈夫だと笑う、その胸の奥で、多くの感情を殺して振舞っていること。

 リンにどのような思惑があったのかはわからないが、ルカの抱える罪悪はさらに大きくなって、じりじりと決意を蝕みはじめていた。スーの泣き声が覚悟を揺るがせる。

(殿下にも秘めた覚悟があるようですが、スーを相手にいつまでその偏見を貫くのか見物ですね)

 リン・サイオン。クラウディアがプリンケプラ――恒久の庇護を約束した一族。

 天女の守護者として、リンは役割を与えられていると言っていた。いったい何を知り、どこまで見抜いているのか得体が知れない。

 だからといって、ルカの秘めた覚悟を、リンが正しく掴むことなど到底できないはずなのだ。
 単なる言葉のあやだと分かっていても、彼の語る言葉は、いちいちルカを警戒させた。

(……偏見か)

 リンはためらわず偏見だと言った。何を示唆しているのかは不明瞭だが、彼にはそう見えるのだろうか。

 スーとの関係に、ルカは明らかに境界線を儲けている。必要以上に踏み込まないように。
 もしかすると、スーを哀れだと決めつけている自分に、彼は気づいたのだろうか。

(ルカ殿下、今から厩舎を拝見すると言ったのは、もちろん嘘ですよ。この邸の敷地にはないでしょう? でも、白馬は一頭お贈りしますからね)

 自分をスーの部屋から退出させるために言い出したことであるのは気づいていたが、白馬については本気のようだった。

 後日、リンから贈られてきた白馬は、幻想的なほど立派で美しかったらしい。白馬は離宮の敷地にある厩舎で世話をしている。ルカもまだ目にしていないが、きっとスーが見れば喜ぶのだろう。

(自分を迎えに来た白馬の王子様と、初めてのキスをする)

 リンが明かした、スーの滑稽なほどに幼い夢。
 ルカが築いた、スーとの超えられない境界線。リンは見抜いて、仕掛けているのかもしれない。

 姪の恋心を後押しするとでも言いたげな贈り物である。
 リンの思惑どおりに進んだ場合、自分はいったいどこに辿り着くのだろう。

 愉悦か、悲嘆か。

 スーの手をとって、ともに歩む未来。ルカには幻想に等しかったが、今は望んでいないと言えば嘘になる。
 クラウディアとサイオンの繋がり。

 すべてを断ち切り、反故にしたその先にも、彼女との道が続く。
 そんな未来を思い描きたくなっている。

(……こんなはずではなかったのに)

 森をくぐるような小道を越えて、ようやく車が館の前に駐車した。敷地に降り立つと、スーは雰囲気のある館の外観に歓声をあげてから、浮き足立つ様子を隠さずルカを仰ぐ。

「叔父様の送ってくださった白馬も見られるのですよね」

「――はい。こちらでは乗馬も楽しめます」

「乗馬……、わたしもルカ様に習えば乗れるようになりますか?」

 ルカは驚いて聞き返す。

「もしかして、スーは馬に乗ったことがないのですか?」

「……はい」

「それは意外でした」

 馬で野山を駆けまわっている印象があったが、よく考えてみると、サイオンがいくら辺境の小国だとしても、馬が日常的な移動手段なわけがない。帝国では乗馬は完全に道楽である。飼育にかかる労力や費用を思えば、スーが馬になじみがないのも頷ける。
 白馬の王子は、彼女にとって本当におとぎ話なのだ。

「スーなら、きっとすぐに乗れるようになりますよ」

「では教えてくださいね」

 スーの嬉しそうな顔を見ていると、ルカも自然と笑顔になる。
 離宮での滞在中は、できるだけ彼女の心を癒すことに努めようと、改めて思った。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...