帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
38 / 170
第七章:皇太子は王女を欺けない

38:用意周到な策略

しおりを挟む
 ルカはスーとのダンスが終わりに近づくほど、ひりひりとした危機感を感じた。

(もし狙うのであれば、今が絶好の機会ではないのか)

 最後のステップを踏んでから、スーの手を引いて優雅に頭を下げる。人々の拍手喝采を受けながら、根拠もなく競り上がってきた予感。培われたルカの第六感が、見えない危険に反応していた。

「スー、ありがとう」

 ダンスの披露を終えて、楽しそうに笑う彼女にかけた言葉に、雑音が重なる。

ーーギィ。

 割れるような喝采の向こう側では、耳触りのよい演奏が続いている。止まない拍手の賑やかさで聞こえるはずもないのに、ルカの極限の警戒心が、その音を聞き分けた。

 ギィギィと金属のこすれるような音がする。 
 予感が全身を貫いて、ルカは総毛立つ。頭上からだと察して顔をあげると、追い打ちのように叫びが届いた。

「殿下! 上を!」

 かすかに聞いたルキアの声で、予感が完全に現実に置き換わった。
 頭上から、落下するはずのないシャンデリアが迫ってくる。

「スー!」

 危ない!と続ける余裕はなかった。すぐに彼女を突き飛ばしたが、軍装の肩から繋がる飾緒しょくしょが翻って、落ちてきたシャンデリアの一部に掛かったらしい。引き戻される圧力に襲われ、ルカも重心を失ってその場に転倒する。

 すぐに鼓膜を破りそうな破砕音が響いた。バシャリと赤いものが弾けて、甘い芳香が広がる。ルカは血しぶきを浴びたように軍装が真っ赤に染まっていた。悲鳴が上がり、王宮の広間が騒然となった。

「スー!?」

 広がる血だまりを見て、一瞬、彼女が巻き込まれたのかと、ゾッと心臓が凍る。

「ルカ様!」

 シャンデリアの影になって見えないが、しっかりとしたスーの声が聞こえた。

(無事か……)

 ほっと息を整え、ルカは床に倒れたまま状況を見る。足をシャンデリアに砕かれたかと思ったが、痛みは感じない。幸いシャンデリアの装飾が床とのあいだに隙間をつくったようだ。ルカの足は下敷きにならずにすんだ。シャンデリアから抜け出そうとしたが、軍装の生地のゆとりが裏目に出て、ひしゃげた装飾に挟まれている。思うように抜け出せない。仕方なく上体を起こすと、再びふわりと甘い香りが鼻についた。

「殿下!」

 護衛が一目散に駆けつける。

「私は大丈夫だ。スーは?」

「少し足を痛められたようですが、ご無事のようです」

「……良かった」

 ルカは改めて真っ赤に染まった自身を見る。周りの人々には落下に巻き込まれた足から出血しているように映っているのだろうか。広がる血だまりが辺りをさらに混乱させている。護衛が巨大なシャンデリアを動かそうとしているが、ルカの生身が挟まれているわけではない。

 体の可動域や痛みをたしかめてみるが、問題はなかった。

(この血はなんだ?)

 これほど大量の出血に、まるで心当たりがない。ルカは嫌な予感を覚えて辺りを染める血を指先ですくい、匂いを確かめる。

「!」

 甘い香りに交じって、薬品の匂いがする。

(血糊と、これは、反応型のーー)

 単体では何の効果も発揮しない揮発性の鎮静剤。
 ある特定の薬品に反応することで完成し、人体に影響を与えるようになる。 

(まさか)

「スーはどこだ? 護衛はついているのだろうな?」

「はい。数人つけております。待機部屋に医者を呼び、足の治療を受けておられるかと……」

「数人……」

 ちりちりと危機感で胸が焦げ付く。

「すぐに王女の所在を確認しろ!」

 今はこの広間に護衛が集結してしまっているだろう。自分の代わりに王宮内の護衛配置を指揮するルキアもここにはいない。遠くから聞こえた彼の声。ルカは声の響いた方向を仰ぐ。広間を見下ろせる二階の回廊。装飾の美しい欄干の影をなぞるが、ルキアの姿は見当たらない。

(いったい、何がおきている)

 手練れが紛れていると、ヘレナは言った。

 数人の護衛。
 皇太子付きの護衛は特殊な訓練を積んでいるが、手練の暗殺者が相手なら決して油断はできない。嫌な予感が広がる。

 幾重にも張り巡らされた策略。時間をかけて段階的に仕込まれている計画であるのは明らかだ。
 シャンデリアの落下が、劣化や不注意のはずがない。

 明らかな作為によって落とされたのだ。
 皇太子である自分の暗殺を仕掛けた上で、同時に、失敗した場合の次の策まで仕込まれている。

 シャンデリアに施された血糊と薬品。
 仕掛けが意図を物語っている。

 暗殺の失敗は、そのままスーから目を逸らすための罠につながっているのだ。

(――甘く見ていた)

 ヘレナの警告を受けてもなお、王宮でここまで大胆な仕掛けを成功させることは予想外だった。想像よりはるかに周到に仕組まれている。

「殿下! お怪我は?」

 ガウスの声がした。彼も護衛と共に落下したシャンデリアを動かそうとしているが、鋭利な装飾が床に刺さっているのか、簡単には動かない。

 ルカは心強いガウスの気配に触れて、覇気を取り戻す。

「これは血糊だ。私は何ともない」

 ルカは装飾の一環としてもっていた短刀で、引っかかっている軍装の足元の生地を裂いた。
 拘束が解けるように足の自由を感じると、すぐにシャンデリアから抜け出す。身軽に立ち上がると、即座に指示を出した。

「ガウス、王宮を閉鎖して軍に包囲させろ。誰も外に出すな」

 騒然とした王宮内からは、誰一人逃すことはできない。

「御意!」

 敬礼するガウスを振り返ることもなく、ルカはスーが手当てを受けているという待機室へと走り出す。血糊を含んで、ただでさえ重い軍の盛装がさらに重い。数えきれない華やかな徽章きしょうで重みをました上着を、ばさりと脱ぎ捨てた。シャツ一枚になっても、防弾用のインナーは装備している。腰のホルターに収めている銃の硬さをたしかめた。

(スー!)

 走りながら、祈るように彼女の無事を願う。何事もなく怪我の手当てを受けていてほしい。

(世界中の人を敵に回しても、わたしはルカ様をお支えする立場です)

 帝国の悪魔を恐れず、目を背けることもなく、当然のことだと受け止める強さ。まるで美しい音楽に触れたように、彼女の声が、言葉が、胸に刻まれている。

 この感銘をなんと呼びあらわすのか、ルカにはまだわからない。

 ただ彼女を失うことはできない。
 強く、そう思っていた。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

処理中です...