37 / 170
第七章:皇太子は王女を欺けない
37:ダンス披露とシャンデリア
しおりを挟む
(すごい緊張感だわ!)
スーは再び会場に戻り、心臓が口から飛び出そうなほど鼓動をバクバクさせていた。
広間の調度や、立食用の料理を盛られた食卓の配置が、さっきまでと変わっている。
中央には、広く作られた空間があり、人々がダンスを楽しむための準備が整っていた。
ルカに手を取られて広間に戻ると、奏でられていた音楽の曲調が緩やかに変化し、人々の注目がいっせいに二人に向けられる。
まだ誰も踊り出していない空間は、どうやら婚約を披露した王女と皇太子のために開けられているようだ。会場を見回すと、自分と快く会話をしてくれた令嬢たちも、こちらを見て目を輝かせている。
「スー。では、一曲披露しましょうか」
ルカは怖気づく様子もなく、緊張が最高潮に達しているスーを見て面白そうに微笑む。
「そんなに固くならなくても大丈夫。スーのダンスは素晴らしいです。自信をもって」
「はい」
ルカの声で少し落ち着きをとりもどす。自慢ではないが運動神経は良い。サイオンでは木に登ったり、野山を駆けて過ごしてきたし、武道も修めている。サイオンの民族的な踊りも完璧だった。王女として必要であったかどうかはさておき、身体で覚えることは得意なのだ。
ルカの私邸で先生に習い、徹底的に社交ダンスを身につけた。今日に至るまでに、ルカを相手に踊ったこともある。
手を引かれ、空間の真ん中に出ていくと照明が自分たちを追いかけてくる。スーは作法通りに優雅にお辞儀をした。曲の旋律に合わせて、ルカがスーを引き寄せる。
ステップのはじまりだった。
踊り始めてしまうと、身体が足取りや姿勢を覚えている。緊張がほどけてすぐに楽しさが心を占めた。
ルカに視線を向けると、目が合う。彼はスーを称賛するように笑顔になり、頷いて見せてくれた。ルカのリードは先生よりも力強く、身体がさらに軽く感じられる。
(ルカ様から、良い香りがする)
二人が動くたびに追いかけてくる風にのって、男性的な爽やかな香りが漂う。寄り添うような距離にいることに、スーはうっとりと幸運を噛みしめた。
はじめの緊張が嘘のように、楽しく幸せな気持ちに満たされている。
二人をいざなった曲が終わりに近づく。ダンスの披露が終わると、スーはルカに合わせて再び優雅にお辞儀をした。
少し息のあがった状態で顔をあげると、周りから拍手が巻き起こる。
「スー、ありがとう」
喝采に包まれながら、隣でルカが笑ってくれる。
鳴りやまない拍手が、スーの努力が報われた事を教えてくれた。
「--っ!」
「え?」
ルカに「こちらこそ」と礼を述べようとした瞬間、スーは遠くにルキアの声を聞いた気がした。
「スーっ!」
目の前を落下してくる影と、ルカの叫び。
何かを把握する前に、気がつけば強い力に突き飛ばされていた。
「!!」
倒れた衝撃で足を捻るが、痛みをかき消すように大きな破砕音が響く。祝福に満ちた広間には不似合いな悲鳴が、重なるように響き渡った。
「ルカ様!?」
すぐに身を起こして振り返ると、大きなシャンデリアが落下して、砕け散った硝子が、キラキラと光を反射している。衝撃で割れた装飾、歪んだ枠や曲がった細工が重量を感じさせた。いびつになった装飾の下を這い、全てを赤く染めるように、じわりと床に血だまりが広がっていく。
視界を阻む、巨大なシャンデリア。
血の広がりに合わせて、なんとも言えない甘い香りが広がっている。
「ルカ様!!」
スーにはジャンデリアが邪魔になって、ルカの安否を確認できない。立ち上がろうとすると、倒れた時にひねった足に激痛が走った。護衛がジャンデリアの向こう側に駆け付けるのを眺めながら、スーもそちらへ這って行こうとする。
「ルカ様!」
「スー王女! 大丈夫ですか?」
見たことのある赤毛とドレスが視界を横切る。途端に、鼻をつく甘さがいっそうひどくなった。酔いそうな芳香。なぜだろう。体が急激に重くなる。
「お怪我はありませんか?」
声は明瞭なのに、どんよりと世界が遠ざかっていく。
印象的な赤毛とドレス。誰だっだだろう。甘い香りに記憶を阻まれるように、思い出せない。自分に危害を加えるような者ではないことだけがわかる。
「足を痛められたのですね? そちらはガラスの破片で危険です。王女はこちらへ!」
女性とは思えない力強さで、赤毛の令嬢がスーの肩を担ぐ。体に力が入らない。
床に広がり、じわじわと描かれていく血だまりが、スーの心を激しく揺さぶる。危機感と絶場が競り上がっていくのに、まるで別世界のことであるかのように、現実に手が届かない。
「スー王女!」
給仕に化けた護衛が自分を取り囲むが、赤毛の女性が凛と答える。
「足を挫いておられるようです。破片でお怪我もなさっているかも。王女にもお医者様を」
女性の声を背景音楽ように遠くに感じながら、スーは振り絞るように声をあげる。
「わたしは大丈夫です。とにかくルカ様を……」
「スー王女は、わたしがお連れいたします」
赤毛の令嬢にすがるように、スーは彼女の肩をかりて立ち上がった。駆け付けた護衛に大丈夫と頷いて見せる。今は自分よりもルカの安否を確認してほしい。
「さぁ、スー王女。こちらにいらっしゃると破片でお怪我をいたします。とにかく、今はあちらへ」
「ーーはい」
甘い香りが漂っている。もしかしてルカの血の匂いなのだろうか。
令嬢が自分をシャンデリアから遠ざけようとするのも、見せたくないものがあるからではないのか。
(もし、ルカ様が――)
嫌だ。考えたくない。ぐらりと頭が重くなる。熱を含んだように体がだるい。
視界の端にうつる血だまり。ルカは大丈夫なのだろうか。確かめたいのに、できない。体が重く、全てが億劫で遠い。スーは朦朧とした意識のまま、自分を支える令嬢に身を任せた。
スーは再び会場に戻り、心臓が口から飛び出そうなほど鼓動をバクバクさせていた。
広間の調度や、立食用の料理を盛られた食卓の配置が、さっきまでと変わっている。
中央には、広く作られた空間があり、人々がダンスを楽しむための準備が整っていた。
ルカに手を取られて広間に戻ると、奏でられていた音楽の曲調が緩やかに変化し、人々の注目がいっせいに二人に向けられる。
まだ誰も踊り出していない空間は、どうやら婚約を披露した王女と皇太子のために開けられているようだ。会場を見回すと、自分と快く会話をしてくれた令嬢たちも、こちらを見て目を輝かせている。
「スー。では、一曲披露しましょうか」
ルカは怖気づく様子もなく、緊張が最高潮に達しているスーを見て面白そうに微笑む。
「そんなに固くならなくても大丈夫。スーのダンスは素晴らしいです。自信をもって」
「はい」
ルカの声で少し落ち着きをとりもどす。自慢ではないが運動神経は良い。サイオンでは木に登ったり、野山を駆けて過ごしてきたし、武道も修めている。サイオンの民族的な踊りも完璧だった。王女として必要であったかどうかはさておき、身体で覚えることは得意なのだ。
ルカの私邸で先生に習い、徹底的に社交ダンスを身につけた。今日に至るまでに、ルカを相手に踊ったこともある。
手を引かれ、空間の真ん中に出ていくと照明が自分たちを追いかけてくる。スーは作法通りに優雅にお辞儀をした。曲の旋律に合わせて、ルカがスーを引き寄せる。
ステップのはじまりだった。
踊り始めてしまうと、身体が足取りや姿勢を覚えている。緊張がほどけてすぐに楽しさが心を占めた。
ルカに視線を向けると、目が合う。彼はスーを称賛するように笑顔になり、頷いて見せてくれた。ルカのリードは先生よりも力強く、身体がさらに軽く感じられる。
(ルカ様から、良い香りがする)
二人が動くたびに追いかけてくる風にのって、男性的な爽やかな香りが漂う。寄り添うような距離にいることに、スーはうっとりと幸運を噛みしめた。
はじめの緊張が嘘のように、楽しく幸せな気持ちに満たされている。
二人をいざなった曲が終わりに近づく。ダンスの披露が終わると、スーはルカに合わせて再び優雅にお辞儀をした。
少し息のあがった状態で顔をあげると、周りから拍手が巻き起こる。
「スー、ありがとう」
喝采に包まれながら、隣でルカが笑ってくれる。
鳴りやまない拍手が、スーの努力が報われた事を教えてくれた。
「--っ!」
「え?」
ルカに「こちらこそ」と礼を述べようとした瞬間、スーは遠くにルキアの声を聞いた気がした。
「スーっ!」
目の前を落下してくる影と、ルカの叫び。
何かを把握する前に、気がつけば強い力に突き飛ばされていた。
「!!」
倒れた衝撃で足を捻るが、痛みをかき消すように大きな破砕音が響く。祝福に満ちた広間には不似合いな悲鳴が、重なるように響き渡った。
「ルカ様!?」
すぐに身を起こして振り返ると、大きなシャンデリアが落下して、砕け散った硝子が、キラキラと光を反射している。衝撃で割れた装飾、歪んだ枠や曲がった細工が重量を感じさせた。いびつになった装飾の下を這い、全てを赤く染めるように、じわりと床に血だまりが広がっていく。
視界を阻む、巨大なシャンデリア。
血の広がりに合わせて、なんとも言えない甘い香りが広がっている。
「ルカ様!!」
スーにはジャンデリアが邪魔になって、ルカの安否を確認できない。立ち上がろうとすると、倒れた時にひねった足に激痛が走った。護衛がジャンデリアの向こう側に駆け付けるのを眺めながら、スーもそちらへ這って行こうとする。
「ルカ様!」
「スー王女! 大丈夫ですか?」
見たことのある赤毛とドレスが視界を横切る。途端に、鼻をつく甘さがいっそうひどくなった。酔いそうな芳香。なぜだろう。体が急激に重くなる。
「お怪我はありませんか?」
声は明瞭なのに、どんよりと世界が遠ざかっていく。
印象的な赤毛とドレス。誰だっだだろう。甘い香りに記憶を阻まれるように、思い出せない。自分に危害を加えるような者ではないことだけがわかる。
「足を痛められたのですね? そちらはガラスの破片で危険です。王女はこちらへ!」
女性とは思えない力強さで、赤毛の令嬢がスーの肩を担ぐ。体に力が入らない。
床に広がり、じわじわと描かれていく血だまりが、スーの心を激しく揺さぶる。危機感と絶場が競り上がっていくのに、まるで別世界のことであるかのように、現実に手が届かない。
「スー王女!」
給仕に化けた護衛が自分を取り囲むが、赤毛の女性が凛と答える。
「足を挫いておられるようです。破片でお怪我もなさっているかも。王女にもお医者様を」
女性の声を背景音楽ように遠くに感じながら、スーは振り絞るように声をあげる。
「わたしは大丈夫です。とにかくルカ様を……」
「スー王女は、わたしがお連れいたします」
赤毛の令嬢にすがるように、スーは彼女の肩をかりて立ち上がった。駆け付けた護衛に大丈夫と頷いて見せる。今は自分よりもルカの安否を確認してほしい。
「さぁ、スー王女。こちらにいらっしゃると破片でお怪我をいたします。とにかく、今はあちらへ」
「ーーはい」
甘い香りが漂っている。もしかしてルカの血の匂いなのだろうか。
令嬢が自分をシャンデリアから遠ざけようとするのも、見せたくないものがあるからではないのか。
(もし、ルカ様が――)
嫌だ。考えたくない。ぐらりと頭が重くなる。熱を含んだように体がだるい。
視界の端にうつる血だまり。ルカは大丈夫なのだろうか。確かめたいのに、できない。体が重く、全てが億劫で遠い。スーは朦朧とした意識のまま、自分を支える令嬢に身を任せた。
0
お気に入りに追加
515
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる