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第四章:第七都クラウディア国立公園
17:密室で二人きり
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サイオンとの婚姻は、皇家の掟。
長くサイオンに姫が誕生しなかった経緯から、掟はすっかり風化していた。ルカも皇帝から固く秘匿された掟の実情を打ち明けられるまで、噂話のように受け止めていた。
クラウディアとサイオン。にわかには信じられない現実が横たわっている。
皇帝または皇統を注ぐ者が、サイオンの王女を娶るという古の契約。
父がいつ狂気に取りつかれたのかは、ルカにはわからない。物心がついた時には、すでに片鱗が垣間見えていた気がする。
古代王朝サイオン。ルカには嫌悪感が募るほどの、卓越した科学技術。
王女の意味を知らない者には、スーを迎えた華やかな成り行きは、皇家の掟を利用して、ルカが後継者としての立場を誇示したのだと映るだろう。
サイオンの王女に関心を向けない盾としては適当だが、皇統を継ぐ立場の喧伝であれば、婚姻の儀まで沈黙を守っているのも不自然だった。
サイオンとの婚姻に、必要以上の関心が向くことは避けたい。
せめて儀礼的な慣例のとおりに、婚約を発表する機会を設けておきたいが、スーがあまりにも無知なままでは余計な危惧を抱くことになる。
大公派には、利用できるものは利用するという手段を選ばない過激な者もいるのだ。
後継争いに終止符を打たない限り、皇統の証だという理由づけのためだけに、サイオンの王女が利用される恐れもある。
彼女に正しく警戒させることは、クラウディアでは重要なことだった。
「まるで部屋の中にいるみたいですね」
乗車すると、スーが物珍し気に車内を見回している。
対面に設えられた座席は、ソファのような大きさと弾力を備えていた。座席の間には、背の低い卓があり、車窓のカーテンを引いてしまえば、小さな客室だった。
向かい合わせに座席につくと、車が走りだした。私邸の敷地をでて、すぐに大通りにさしかかる。目立たないように護衛の車がついているのを確認して、ルカは車内に意識を戻す。
物珍しそうに車内の調度を見回していたスーが、目を輝かせてルカをみた。
「国立公園につくまで、この部屋で殿下と二人きりですか?」
「はい」
恥じらいなのか喜びなのか、スーがなんとも言えない顔をしている。
「窮屈ですか?」
「いいえ。狭いのは大歓迎です! 殿下のお傍に寄れるので」
「…………」
やはり無邪気だなと、ルカは思う。彼女が自分に好意的であることは受け止めているが、ルカの眼には恋に恋をしている少女という印象だった。
幼いというよりは無垢で、男女の関係については無知なのだろう。
くるくると表情豊かに愛嬌を振りまく様子は子犬のように可愛い。ルカはふっとからかいたくなってしまう。
「では、どうぞ」
「はい?」
彼女の膝の上で揃えられている手に、ルカが手を伸ばした。白い手を握る。
「私の傍に寄りたいのであれば、どうぞ」
隣へ促すように手を引いてみると、スーの顔色が一気に染まった。ルカは吹きだしたくなるのをこらえて、さらに追い打ちをかける。
「そのかわり、私はあなたに何をするかわかりませんが、その覚悟でーーっ」
スーの茹で上がったかのような表情があまりに滑稽で、ルカの方が途中で降参する。こらえきれず笑ってしまった。おかしくてたまらない。
「で、殿下は、わたしのことをからかっておられますね!」
「ーー申し訳ありません。反応があまりにも面白いので……」
詫びながらも肩が震える。くくっと小さく笑い声が漏れてしまう。
「わたしは殿下が思っているほど、幼くはありません!」
いうより早くスーが車内で立ち上がる。勢いのまま小卓を回って、ルカの隣にバサッと腰を下ろした。ふわりと甘い香りが漂う。
身を寄せるほどの至近距離で、神秘的な赤い眼がこちらを睨んだ。
綺麗な顔は火照っていて、瞳と同じくらい赤い。
「私は殿下のことをお慕いしております!」
「ーー知っています」
スーは気迫をみなぎらせているのか、色気の欠片もない勇ましい顔になっている。
「ですから、殿下に手籠めにされる覚悟は、とっくにできております!」
スーの決意に、ルカは可笑しさを抱えきれなくなる。こんなに笑うのはいつぶりだろうというほど声をあげて笑った。
「手籠め……、私にーー」
息が苦しくなるくらい笑っていると、スーが赤面したまま、恐ろしい形相になっていた。緊張のあまり、顔が強張っているのだ。
「手籠めというのは言葉のあやで、……その、殿下と結ばれるなら、とても嬉しいという意味です」
本人は大真面目なのだろうが、ルカには面白すぎた。妖艶な美貌を持ちながらも、異性を誘うような色気が微塵もない。全く駆け引きのできない素直さが、ただ可笑しい。
「スー、とても光栄な申し出ですが」
密室で二人きり。
寄り添う男女。
本来なら色事に発展しそうな展開で、ただ勇ましくなるだけのスーの様子が、さらにルカの笑いを誘う。
「あなたには、私の相手はまだ早いようです」
笑いながら結論を伝えると、スーの威勢がさらによくなる。
「そんなことありません!」
「ですが……」
ルカは労わるように微笑んで、もう一度スーの手をとった。威勢が良くなるのは、臆病な心を隠す裏返しのようなもの。
「震えていますよ。本当は恐ろしいのでしょう?」
「違います!」
「こんなに震えているのに?」
「恐ろしいのではなくて、恥ずかしくて死にそうなんです!」
スーの素直さが、再びルカの笑いのツボを直撃した。
長くサイオンに姫が誕生しなかった経緯から、掟はすっかり風化していた。ルカも皇帝から固く秘匿された掟の実情を打ち明けられるまで、噂話のように受け止めていた。
クラウディアとサイオン。にわかには信じられない現実が横たわっている。
皇帝または皇統を注ぐ者が、サイオンの王女を娶るという古の契約。
父がいつ狂気に取りつかれたのかは、ルカにはわからない。物心がついた時には、すでに片鱗が垣間見えていた気がする。
古代王朝サイオン。ルカには嫌悪感が募るほどの、卓越した科学技術。
王女の意味を知らない者には、スーを迎えた華やかな成り行きは、皇家の掟を利用して、ルカが後継者としての立場を誇示したのだと映るだろう。
サイオンの王女に関心を向けない盾としては適当だが、皇統を継ぐ立場の喧伝であれば、婚姻の儀まで沈黙を守っているのも不自然だった。
サイオンとの婚姻に、必要以上の関心が向くことは避けたい。
せめて儀礼的な慣例のとおりに、婚約を発表する機会を設けておきたいが、スーがあまりにも無知なままでは余計な危惧を抱くことになる。
大公派には、利用できるものは利用するという手段を選ばない過激な者もいるのだ。
後継争いに終止符を打たない限り、皇統の証だという理由づけのためだけに、サイオンの王女が利用される恐れもある。
彼女に正しく警戒させることは、クラウディアでは重要なことだった。
「まるで部屋の中にいるみたいですね」
乗車すると、スーが物珍し気に車内を見回している。
対面に設えられた座席は、ソファのような大きさと弾力を備えていた。座席の間には、背の低い卓があり、車窓のカーテンを引いてしまえば、小さな客室だった。
向かい合わせに座席につくと、車が走りだした。私邸の敷地をでて、すぐに大通りにさしかかる。目立たないように護衛の車がついているのを確認して、ルカは車内に意識を戻す。
物珍しそうに車内の調度を見回していたスーが、目を輝かせてルカをみた。
「国立公園につくまで、この部屋で殿下と二人きりですか?」
「はい」
恥じらいなのか喜びなのか、スーがなんとも言えない顔をしている。
「窮屈ですか?」
「いいえ。狭いのは大歓迎です! 殿下のお傍に寄れるので」
「…………」
やはり無邪気だなと、ルカは思う。彼女が自分に好意的であることは受け止めているが、ルカの眼には恋に恋をしている少女という印象だった。
幼いというよりは無垢で、男女の関係については無知なのだろう。
くるくると表情豊かに愛嬌を振りまく様子は子犬のように可愛い。ルカはふっとからかいたくなってしまう。
「では、どうぞ」
「はい?」
彼女の膝の上で揃えられている手に、ルカが手を伸ばした。白い手を握る。
「私の傍に寄りたいのであれば、どうぞ」
隣へ促すように手を引いてみると、スーの顔色が一気に染まった。ルカは吹きだしたくなるのをこらえて、さらに追い打ちをかける。
「そのかわり、私はあなたに何をするかわかりませんが、その覚悟でーーっ」
スーの茹で上がったかのような表情があまりに滑稽で、ルカの方が途中で降参する。こらえきれず笑ってしまった。おかしくてたまらない。
「で、殿下は、わたしのことをからかっておられますね!」
「ーー申し訳ありません。反応があまりにも面白いので……」
詫びながらも肩が震える。くくっと小さく笑い声が漏れてしまう。
「わたしは殿下が思っているほど、幼くはありません!」
いうより早くスーが車内で立ち上がる。勢いのまま小卓を回って、ルカの隣にバサッと腰を下ろした。ふわりと甘い香りが漂う。
身を寄せるほどの至近距離で、神秘的な赤い眼がこちらを睨んだ。
綺麗な顔は火照っていて、瞳と同じくらい赤い。
「私は殿下のことをお慕いしております!」
「ーー知っています」
スーは気迫をみなぎらせているのか、色気の欠片もない勇ましい顔になっている。
「ですから、殿下に手籠めにされる覚悟は、とっくにできております!」
スーの決意に、ルカは可笑しさを抱えきれなくなる。こんなに笑うのはいつぶりだろうというほど声をあげて笑った。
「手籠め……、私にーー」
息が苦しくなるくらい笑っていると、スーが赤面したまま、恐ろしい形相になっていた。緊張のあまり、顔が強張っているのだ。
「手籠めというのは言葉のあやで、……その、殿下と結ばれるなら、とても嬉しいという意味です」
本人は大真面目なのだろうが、ルカには面白すぎた。妖艶な美貌を持ちながらも、異性を誘うような色気が微塵もない。全く駆け引きのできない素直さが、ただ可笑しい。
「スー、とても光栄な申し出ですが」
密室で二人きり。
寄り添う男女。
本来なら色事に発展しそうな展開で、ただ勇ましくなるだけのスーの様子が、さらにルカの笑いを誘う。
「あなたには、私の相手はまだ早いようです」
笑いながら結論を伝えると、スーの威勢がさらによくなる。
「そんなことありません!」
「ですが……」
ルカは労わるように微笑んで、もう一度スーの手をとった。威勢が良くなるのは、臆病な心を隠す裏返しのようなもの。
「震えていますよ。本当は恐ろしいのでしょう?」
「違います!」
「こんなに震えているのに?」
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