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第三章:他人行儀な微笑み
11:予想外の方角から飛んできた
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「うわぁ!」
中庭に星を映しとったかのように、キラキラと小さな灯りが無数に輝いている。まだ空の端がわずかに朱いが、地平線で膨張していた太陽の姿はなく、いつまにかあたりは夕闇に沈み始めていた。
闇をはらうように灯った光が、テラスを程よく照らしてる。
スーは突然現れた美しい夜景に、思わず歓声をあげて魅入ってしまった。
「――あ、殿下。申し訳ございません」
立ち上がったまま、中庭へ身を乗り出していたのだ。すぐに元の席に戻って着席すると、ルカは責める素振りもなく微笑んでいる。
「あなたには気に入っていただけるのではないかと思っていました」
ライトアップされて浮かび上がるテラスが、夜の空へ漕ぎ出した小さな遊覧船のように感じる。
ルカの美貌が、美しい光景をさらに幻想的に思わせた。
(でも、やっぱり殿下のお顔が一番美しいです)
場違いな感想を抱きながら、スーはルカに笑顔をむける。
「はい。ありがとうございます、殿下。まるで夜空が庭に落ちてきたようで、とても綺麗です」
「……良かった」
ルカはいつもスーに微笑んでくれる。執事が新しい料理をテラスに運んできた。食べやすい大きさに切られた肉と焼いた野菜が盛られている。主菜が登場しても、水の入ったグラスに口をつけるルカを眺めながら、スーは少し違和感を覚える。
「殿下は、ワインなどは嗜まれないのですか?」
ルカはおや?という顔をして、スーを見た。
「ワインがお好きなら、用意させます」
「あ、違います。単純に殿下はお好きではないのかなと」
「好きですよ。それなりに嗜みます」
「でも、今はお水を飲んでおられるので」
ルカが手元のグラスに視線を落としてから、再び顔をあげた。
「王女との初めての食事なので、少し気をつかっています」
ルカの気遣い。スーの胸でぱんぱんに膨らんでいた喜びが、少しだけしぼむ。
彼はいつも物腰柔らかく接して、微笑んでくれる。執事や侍従も、とても自分に好意的で居心地が良い。この夕食もスーを思っての配慮が、至る所に感じられる。
でも、王女なのだ。
ルカにとっては、自分はスーという個人ではなくサイオンの王女。だから名前を呼んでほしいとお願いをしても、彼の口からは自然に王女という言葉が出てくる。
まるで腫れ物に触るように、自分が客人扱いされていることがわかる。
ルカに大切に扱われていることは伝わってくるが、他人行儀な姿勢は変わらない。
帝国クラウディアに来てから、まだ日が浅い。だから仕方がないのだと理解はできる。
(でも、本当に全然違う……)
今朝ルカを送迎に来た、ガウスという筋肉の塊のような大男。彼と話すとき、ルカはいつも自然だった。愛想の良い微笑みなどなく、ガウスに憎まれ口を叩く様子が、とても親しげに見えた。
見たことのない殿下の様子。ガウスを羨ましいと感じる自分に気づいてしまった。
「殿下は、今わたしのことを王女と呼ばれました」
指を加えて眺めているだけでは、何も手に入らない。羨ましいなら、自分もそうなれるように励むだけだ。
スーは気持ちを立て直して、さっそくルカに攻め込む。こんなに素敵な人の気持ちを振り向かせるのが、簡単なはずがない。彼の築いた客人という壁に怯んで、こちらまで壁を作っている場合ではないのだ。壁はぶち壊すためにある。
メラメラと意欲をたぎらせて、真っ直ぐにルカを見つめた。
「わたしは、殿下には王女ではなく、スーと名前を呼んで欲しいのです」
二度目の懇願。
ルカには多少強引にでも自分をアピールした方が良いと、ユエンも、こちらにきてから知り合った教師達も、館の侍従達も一様に声を揃えて言う。スーも同感だった。今は押しの一手があるのみ。
「これは失礼しました、スー。まだ慣れていないので」
ルカの表情が、よく見る柔らかな微笑みになる。魂が抜けそうなほど美しいけれど、今となっては距離を感じてしまう微笑。スーは怯まないと心の中で握り拳を作る。
客人扱いにも有利な点はある。とにかく殿下の気遣いにつけこめと言うのが、スーや周りの者の作戦だった。
「ワインがお好きであれば、どうぞ遠慮なく嗜んでください。わたしも殿下には自然体であってほしいです。もし殿下が酔いつぶれたり、二日酔いになっても、わたしがきちんと介抱してさしあげます!」
むしろ酔いつぶれた殿下を介抱してみたい。幸運な過ちがおきる可能性だってあると、スーは独りであらぬ方向への期待を高める。
ルカが水のはいったグラスを手にしたまま、何かを推しはかるようにじっとこちらを見ていた。
「殿下?」
湖底の青を映すような、ルカのアイスブルーの瞳に吸いこまれそうになる。
少し発言が強引すぎたかと、スーは一瞬で怖気付いてしまう。あたふたと百面相になってしまうスーに、ルカが真面目な顔をしたまま続けた。
「スーは無邪気ですが、私は男なので……」
「はい」
「ワインを嗜むと、女性を抱きたくなる」
「え?」
「あなたが相手をしてくれますか?」
「え……」
あまりにも予想外の方角から飛んできた欲望に、スーは完全に出遅れた。
「殿下と結ばれるなら大歓迎です!」と食いつくべきだったのに、残念ながら言葉よりも先に肌色が反応する。カッと全身の血が色めきたって、体が火照った。
顔が真っ赤になるだけで、何も言葉が出てこない。
気の利いた受け答えができない。頭の中が真っ白になった。
「あ……、え、と……」
中庭に星を映しとったかのように、キラキラと小さな灯りが無数に輝いている。まだ空の端がわずかに朱いが、地平線で膨張していた太陽の姿はなく、いつまにかあたりは夕闇に沈み始めていた。
闇をはらうように灯った光が、テラスを程よく照らしてる。
スーは突然現れた美しい夜景に、思わず歓声をあげて魅入ってしまった。
「――あ、殿下。申し訳ございません」
立ち上がったまま、中庭へ身を乗り出していたのだ。すぐに元の席に戻って着席すると、ルカは責める素振りもなく微笑んでいる。
「あなたには気に入っていただけるのではないかと思っていました」
ライトアップされて浮かび上がるテラスが、夜の空へ漕ぎ出した小さな遊覧船のように感じる。
ルカの美貌が、美しい光景をさらに幻想的に思わせた。
(でも、やっぱり殿下のお顔が一番美しいです)
場違いな感想を抱きながら、スーはルカに笑顔をむける。
「はい。ありがとうございます、殿下。まるで夜空が庭に落ちてきたようで、とても綺麗です」
「……良かった」
ルカはいつもスーに微笑んでくれる。執事が新しい料理をテラスに運んできた。食べやすい大きさに切られた肉と焼いた野菜が盛られている。主菜が登場しても、水の入ったグラスに口をつけるルカを眺めながら、スーは少し違和感を覚える。
「殿下は、ワインなどは嗜まれないのですか?」
ルカはおや?という顔をして、スーを見た。
「ワインがお好きなら、用意させます」
「あ、違います。単純に殿下はお好きではないのかなと」
「好きですよ。それなりに嗜みます」
「でも、今はお水を飲んでおられるので」
ルカが手元のグラスに視線を落としてから、再び顔をあげた。
「王女との初めての食事なので、少し気をつかっています」
ルカの気遣い。スーの胸でぱんぱんに膨らんでいた喜びが、少しだけしぼむ。
彼はいつも物腰柔らかく接して、微笑んでくれる。執事や侍従も、とても自分に好意的で居心地が良い。この夕食もスーを思っての配慮が、至る所に感じられる。
でも、王女なのだ。
ルカにとっては、自分はスーという個人ではなくサイオンの王女。だから名前を呼んでほしいとお願いをしても、彼の口からは自然に王女という言葉が出てくる。
まるで腫れ物に触るように、自分が客人扱いされていることがわかる。
ルカに大切に扱われていることは伝わってくるが、他人行儀な姿勢は変わらない。
帝国クラウディアに来てから、まだ日が浅い。だから仕方がないのだと理解はできる。
(でも、本当に全然違う……)
今朝ルカを送迎に来た、ガウスという筋肉の塊のような大男。彼と話すとき、ルカはいつも自然だった。愛想の良い微笑みなどなく、ガウスに憎まれ口を叩く様子が、とても親しげに見えた。
見たことのない殿下の様子。ガウスを羨ましいと感じる自分に気づいてしまった。
「殿下は、今わたしのことを王女と呼ばれました」
指を加えて眺めているだけでは、何も手に入らない。羨ましいなら、自分もそうなれるように励むだけだ。
スーは気持ちを立て直して、さっそくルカに攻め込む。こんなに素敵な人の気持ちを振り向かせるのが、簡単なはずがない。彼の築いた客人という壁に怯んで、こちらまで壁を作っている場合ではないのだ。壁はぶち壊すためにある。
メラメラと意欲をたぎらせて、真っ直ぐにルカを見つめた。
「わたしは、殿下には王女ではなく、スーと名前を呼んで欲しいのです」
二度目の懇願。
ルカには多少強引にでも自分をアピールした方が良いと、ユエンも、こちらにきてから知り合った教師達も、館の侍従達も一様に声を揃えて言う。スーも同感だった。今は押しの一手があるのみ。
「これは失礼しました、スー。まだ慣れていないので」
ルカの表情が、よく見る柔らかな微笑みになる。魂が抜けそうなほど美しいけれど、今となっては距離を感じてしまう微笑。スーは怯まないと心の中で握り拳を作る。
客人扱いにも有利な点はある。とにかく殿下の気遣いにつけこめと言うのが、スーや周りの者の作戦だった。
「ワインがお好きであれば、どうぞ遠慮なく嗜んでください。わたしも殿下には自然体であってほしいです。もし殿下が酔いつぶれたり、二日酔いになっても、わたしがきちんと介抱してさしあげます!」
むしろ酔いつぶれた殿下を介抱してみたい。幸運な過ちがおきる可能性だってあると、スーは独りであらぬ方向への期待を高める。
ルカが水のはいったグラスを手にしたまま、何かを推しはかるようにじっとこちらを見ていた。
「殿下?」
湖底の青を映すような、ルカのアイスブルーの瞳に吸いこまれそうになる。
少し発言が強引すぎたかと、スーは一瞬で怖気付いてしまう。あたふたと百面相になってしまうスーに、ルカが真面目な顔をしたまま続けた。
「スーは無邪気ですが、私は男なので……」
「はい」
「ワインを嗜むと、女性を抱きたくなる」
「え?」
「あなたが相手をしてくれますか?」
「え……」
あまりにも予想外の方角から飛んできた欲望に、スーは完全に出遅れた。
「殿下と結ばれるなら大歓迎です!」と食いつくべきだったのに、残念ながら言葉よりも先に肌色が反応する。カッと全身の血が色めきたって、体が火照った。
顔が真っ赤になるだけで、何も言葉が出てこない。
気の利いた受け答えができない。頭の中が真っ白になった。
「あ……、え、と……」
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