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勇者と冥王のママは創世を魔王様と
第九章・魔界騒乱~王と月と~3
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ちゅちゅちゅちゅちゅちゅ。
どうしてこんな事になっているのか……。
ハウストは困惑しながらも、自分の膝にちょこんと座っている赤ん坊を見た。
慣れた様子で膝に座り、ちゅちゅちゅちゅ、親指を吸っている。
この赤ん坊は間違いなく冥王だ。未熟だが同格の力を感じる。何より魔界で再会した夜、ブレイラに抱っこされていたのだから。
赤ん坊と再会したのはハウストにとって二度目だが、赤ん坊は安心しきった顔でハウストの膝に乗っている。
そして、ちゅちゅちゅちゅ……。
「……おい」
「あう?」
赤ん坊が大きな瞳で見上げてくる。
今は四大公爵会議前でのん気に赤ん坊を膝に乗せている場合ではない。
しかし邪険にすることは躊躇われた。
なぜなら、この赤ん坊の母親はブレイラだから。
それが邪険にできない理由だと思うと少しの情けなさを覚えたが、実際にこうして膝に乗せているのだから笑えてくる。
「あー、あー」
ゼロスがハウストに手を伸ばしてきた。
黙り込んでしまったハウストを不思議に思っているようだ。
「……なんでもない。おとなしく指でも吸ってろ」
「あいっ。ちゅちゅちゅちゅ」
またしても指を吸いだすゼロス。
……どうしてこんな事になったのか。あの時、扉を開けてしまったことを今頃後悔しても遅い。
そう、なぜか扉の外にゼロスが一人でいたのだ。
――――四大公爵会議最終日の今日、城内は朝から慌ただしかった。
本当なら今頃会議が開会している筈だったが、ハウストは未だに控室で報告書を確認していた。
それというのも昨夜の地震が原因である。昨夜起こった地震は王都を震源地とした直下型地震。古い建物を半壊させるほどの大きさだったが幸いにも死亡者が出たという報告はない。地震の原因は冥界の影響だろうと考えられたが、今までとは違った特徴が幾つかあったのだ。
導き出された可能性は一つ。地震は意図的に起こされた可能性があるということ。
そもそも冥界の混沌は自然災害として影響が出やすい。干ばつや嵐や地震など、ほとんどが自然災害だ。
しかし昨夜の地震は自然災害というにはあまりにも違和感があった。その為、急遽四大公爵会議でも審議されることになり、準備の為に開会時間が押しているのである。
しかも今日は冥界について決議を下さねばならない。そのこともあって慎重な調査と審議が必要となったのだ。
控室の扉がノックされ、入室を許可するとアンティーク調のワゴンを押した侍女が入ってきた。
「失礼いたします。会議までまだお時間がございますので紅茶とお菓子をお持ちしました」
「ああ、置いといてくれ」
「畏まりました」
侍女は粛々とテーブルにティーセットを整えると深々とお辞儀して退室した。
こうしてハウストはまた控室で一人、書類に目を通していたが。
「あう~、う~」
突然、小動物の呻り声がした。
呻り声にしては高めの声だがハウストは訝しげに扉を睨む。
……何かいる。小動物らしきものが呻っている。しかし城に小動物がいる訳がない。
「あう~、うう~~」
徐々に呻り声が大きくなって、まるで扉を開けろと訴えているようでもあった。
ハウストは苛立ちに目を据わらせる。
扉の向こうから声を掛けてこないばかりか、訳の分からぬ呻り声。挙げ句に扉を開けろと訴えている。
部屋を間違えているんじゃないかと思った。だいたいこの魔界に、魔王がいる部屋を訪ねる時にこんな無礼な訪ね方をする者はいない。それとも扉を叩くことすら出来ない理由があるのか……。
不審と苛立ちを覚えてハウストは椅子から立ち上がった。
もし下らない用件なら許し難い。
ハウストは苛々しながら扉を開ける。
「誰かいるのか」
扉を開けて正面、誰もいない。
しかし足元から熱烈な視線を感じて見下ろし、驚愕した。
「お前はっ……」
そう、そこにいたのは赤ん坊。冥王ゼロスである。
苛立ちなど吹っ飛び、呆然とゼロスを見下ろす。
どうしてこんな所にと困惑するも、ゼロスはハウストを見上げて嬉しそうな顔になる。
「あぶっ、あぶぶ! あーあー!」
興奮したように声を上げ、当たり前のようにハウストに近づいてくる。
扉を支えにして伝い歩きしながらハウストの足にひしっとしがみ付いた。
「お、おいっ……」
「あー! うー! あー、あー!」
いきなりしがみ付かれて一歩引くも、ゼロスが離れてくれることはない。
それどころかハウストの足を支えにしながら小さな両手を伸ばしてくる。そう、抱っこしろというのだ。
「…………本気か?」
「あう?」
ゼロスは首を傾げながらも、当然のようにハウストに向かって手を伸ばしたままだ。抱っこされることに疑いを持っていないのである。
それどころか早くしろとばかりに、支えにしているハウストの足を引っ張る。
以前の自分はブレイラを王妃に迎え、勇者と冥王を第一子と第二子として認めていた。認めていたどころか、どうやら子育てにも協力していたらしい。協力といっても政務があるので微々たるものだが、それでも今のハウストにとって信じ難いことだ。しかし、目の前のゼロスの懐きっぷりが本当だと突きつける。
昨日までの自分なら、例え冥王だろうが赤ん坊など放っておいただろう。さっさと侍女を呼んで回収させるところだ。
だが、だか今は……。ハウストは苦悩する。
なぜなら、この赤ん坊をブレイラは大切そうに抱いていた。とても大事に育て、慈しんでいた。そう、ゼロスの為に四大公爵会議で一人戦うくらいに。
「…………ゼロス、といったな」
「あいっ」
「ブレイラはどうした。なぜ、ここに一人でいる」
「あう?」
「…………もういい」
「あぶぶっ!」
ハウストはため息を一つ。
話しかけても無駄だと分かったのだ。
仕方ないので覚悟を決めて、足元のゼロスに両手を伸ばす。
その小さな体をゆっくりと持ち上げた。
「きゃあっ、あー、うー!」
ゼロスは全身をばたばたさせて喜び、ハウストにぎゅっとしがみ付く。
小さな体だった。本当に冥王なのかと疑うほど普通の赤ん坊だ。
「あー! あー、あー!」
突然、ゼロスが何かを訴えるように小さな手足をジタバタさせだす。
見るとテーブルのティーセットが気になるようで指差ししながらハウストに訴えかけてくる。明らかに食べたいと分かるものだ。
「……食べたいのか?」
「あい! あーあー!」
嬉しそうなゼロスにハウストはため息をつく。
どうして自分がと思わないでもないが、相手はブレイラの愛し子。その事実がどうしても構ってしまう理由になる。
ハウストはゼロスを連れてテーブル前のソファに腰を下ろす。
すると抱っこしているゼロスが身を乗り出してお菓子を指差した。
「きゃあっ、あー! あー!」
あれが欲しいと指さすゼロス。
そこには丸いクッキー。紅茶との相性を考えて作られたクッキーは当然ながら甘い。
いつもなら、ゼロスがどんなに欲しがってもブレイラが「ゼロスはまだ赤ちゃんだからダメです」と必ず阻止するお菓子である。ブレイラは基本的に生真面目なのでゼロスのお菓子は赤ちゃん用の薄味なものばかりなのだ。
そのこともあって、甘くて芳ばしい香りのクッキーにゼロスは釘付けだ。
もちろん今のハウストはそんな事情など知らないのでゼロスにクッキーを取ってやる。
「これが食べたいのか?」
「あいっ」
「ほら」
「きゃあああっ!」
ひと際大きな歓声をあげてゼロスがクッキーを受け取った。
クッキーを見つめるゼロスの瞳がキラキラ輝く。赤ちゃん用ではないクッキーは初めてだ。
「あーん、あむあっ、――――?! っ、ふあああ~っ!!」
ゼロスに衝撃が走った。
こんな芳香な甘味は生まれて初めて。
あむっ、と食べた瞬間、口のなかで甘さが蕩ける。今まで食べてきたお菓子も赤ちゃん用の柔らかいものだが、それとは意味が違う。甘味が蕩けるのだ。
「あむあむっ、ちゅーっ、ちゅーっ、あむあむっ」
ゼロスはあむあむしたり、ちゅーちゅーと吸ってみたり、初めてのクッキーを味わい尽くした。
今やゼロスの顔はうっとりと夢見心地だ。
「うまいのか?」
「あいっ。あむあむ、あむっ」
「……もう一個食べるか?」
「あいっ!」
ほらと渡すとゼロスの瞳が輝く。
こんなにクッキーが食べられるなんて夢のようだ。いつもはブレイラが絶対許さないことなのだから。
こうしてゼロスは満足し、次第にハウストも満更ではなくなってきた。
ブレイラの愛し子ゼロスが美味しそうにクッキーを頬張る姿に悪い気はしない。そう、気分は餌付けに近かった……。
そうやって赤ちゃん用ではないクッキーを食べ放題した後、ゼロスはハウストの膝にちょこんと座っていた。
お腹いっぱいのゼロスは膝に座って、ちゅちゅちゅちゅ、いつもの指吸いである。
時折「けぷっ」と小さく漏れるゲップは大満足の証。
こうしてハウストは思いがけない時間を過ごしていたが、ふと扉がノックされる。
入室を許可すると士官が入って来た。
士官はハウストの膝にいる赤ん坊にギョッと目を丸める。
だが慌てて背筋を伸ばした。
「失礼します。魔王様、四大公爵会議の準備が整いました。大会議場までお越しください」
「分かった」
ゼロスを片腕で抱っこして立ち上がったハウストに、士官はやはり驚きを隠しきれなくなる。
行き先は大会議場だというのにハウストはそのまま向かおうとしているのだ。
「……あの、魔王様、……その赤ん坊、よろしければ女官に預けては……」
「そうだな……」
ハウストがゼロスを見下ろす。
すると目が合ったゼロスが今にも泣きだしそうな顔になる。赤ん坊なりに不穏な気配を察知したのだ。
「あぶっ、あう~……」
ゼロスがハウストに全身でぴたりっとしがみ付く。
ようやくちちうえに会えたのだ。離れたくないのである。
「……構うな。この赤ん坊の親も会議に出席する」
「し、承知いたしました」
士官は困惑しつつも最敬礼した。
納得できるようなできないような言い分だが、とりあえず威厳ある魔王は赤ん坊を連れて大会議場へ向かってしまう。
残された士官はなんとも複雑な顔で魔王と赤ん坊を見送った。
魔王に片腕で抱っこされた赤ん坊は上機嫌だ。
「あー、うー、あいっ、あぶ~、あー、ばぶぶっ」
赤ん坊が魔王になにやら一生懸命話しかけているが、魔王は無言のまま返事をすることはない。
当然だ、赤ん坊がなにを話しているかなど分からない。
しかしそれでも赤ん坊は満足しているのか、安心しきった顔で指をちゅちゅちゅちゅ、していたのだった。
◆◆◆◆◆◆
どうしてこんな事になっているのか……。
ハウストは困惑しながらも、自分の膝にちょこんと座っている赤ん坊を見た。
慣れた様子で膝に座り、ちゅちゅちゅちゅ、親指を吸っている。
この赤ん坊は間違いなく冥王だ。未熟だが同格の力を感じる。何より魔界で再会した夜、ブレイラに抱っこされていたのだから。
赤ん坊と再会したのはハウストにとって二度目だが、赤ん坊は安心しきった顔でハウストの膝に乗っている。
そして、ちゅちゅちゅちゅ……。
「……おい」
「あう?」
赤ん坊が大きな瞳で見上げてくる。
今は四大公爵会議前でのん気に赤ん坊を膝に乗せている場合ではない。
しかし邪険にすることは躊躇われた。
なぜなら、この赤ん坊の母親はブレイラだから。
それが邪険にできない理由だと思うと少しの情けなさを覚えたが、実際にこうして膝に乗せているのだから笑えてくる。
「あー、あー」
ゼロスがハウストに手を伸ばしてきた。
黙り込んでしまったハウストを不思議に思っているようだ。
「……なんでもない。おとなしく指でも吸ってろ」
「あいっ。ちゅちゅちゅちゅ」
またしても指を吸いだすゼロス。
……どうしてこんな事になったのか。あの時、扉を開けてしまったことを今頃後悔しても遅い。
そう、なぜか扉の外にゼロスが一人でいたのだ。
――――四大公爵会議最終日の今日、城内は朝から慌ただしかった。
本当なら今頃会議が開会している筈だったが、ハウストは未だに控室で報告書を確認していた。
それというのも昨夜の地震が原因である。昨夜起こった地震は王都を震源地とした直下型地震。古い建物を半壊させるほどの大きさだったが幸いにも死亡者が出たという報告はない。地震の原因は冥界の影響だろうと考えられたが、今までとは違った特徴が幾つかあったのだ。
導き出された可能性は一つ。地震は意図的に起こされた可能性があるということ。
そもそも冥界の混沌は自然災害として影響が出やすい。干ばつや嵐や地震など、ほとんどが自然災害だ。
しかし昨夜の地震は自然災害というにはあまりにも違和感があった。その為、急遽四大公爵会議でも審議されることになり、準備の為に開会時間が押しているのである。
しかも今日は冥界について決議を下さねばならない。そのこともあって慎重な調査と審議が必要となったのだ。
控室の扉がノックされ、入室を許可するとアンティーク調のワゴンを押した侍女が入ってきた。
「失礼いたします。会議までまだお時間がございますので紅茶とお菓子をお持ちしました」
「ああ、置いといてくれ」
「畏まりました」
侍女は粛々とテーブルにティーセットを整えると深々とお辞儀して退室した。
こうしてハウストはまた控室で一人、書類に目を通していたが。
「あう~、う~」
突然、小動物の呻り声がした。
呻り声にしては高めの声だがハウストは訝しげに扉を睨む。
……何かいる。小動物らしきものが呻っている。しかし城に小動物がいる訳がない。
「あう~、うう~~」
徐々に呻り声が大きくなって、まるで扉を開けろと訴えているようでもあった。
ハウストは苛立ちに目を据わらせる。
扉の向こうから声を掛けてこないばかりか、訳の分からぬ呻り声。挙げ句に扉を開けろと訴えている。
部屋を間違えているんじゃないかと思った。だいたいこの魔界に、魔王がいる部屋を訪ねる時にこんな無礼な訪ね方をする者はいない。それとも扉を叩くことすら出来ない理由があるのか……。
不審と苛立ちを覚えてハウストは椅子から立ち上がった。
もし下らない用件なら許し難い。
ハウストは苛々しながら扉を開ける。
「誰かいるのか」
扉を開けて正面、誰もいない。
しかし足元から熱烈な視線を感じて見下ろし、驚愕した。
「お前はっ……」
そう、そこにいたのは赤ん坊。冥王ゼロスである。
苛立ちなど吹っ飛び、呆然とゼロスを見下ろす。
どうしてこんな所にと困惑するも、ゼロスはハウストを見上げて嬉しそうな顔になる。
「あぶっ、あぶぶ! あーあー!」
興奮したように声を上げ、当たり前のようにハウストに近づいてくる。
扉を支えにして伝い歩きしながらハウストの足にひしっとしがみ付いた。
「お、おいっ……」
「あー! うー! あー、あー!」
いきなりしがみ付かれて一歩引くも、ゼロスが離れてくれることはない。
それどころかハウストの足を支えにしながら小さな両手を伸ばしてくる。そう、抱っこしろというのだ。
「…………本気か?」
「あう?」
ゼロスは首を傾げながらも、当然のようにハウストに向かって手を伸ばしたままだ。抱っこされることに疑いを持っていないのである。
それどころか早くしろとばかりに、支えにしているハウストの足を引っ張る。
以前の自分はブレイラを王妃に迎え、勇者と冥王を第一子と第二子として認めていた。認めていたどころか、どうやら子育てにも協力していたらしい。協力といっても政務があるので微々たるものだが、それでも今のハウストにとって信じ難いことだ。しかし、目の前のゼロスの懐きっぷりが本当だと突きつける。
昨日までの自分なら、例え冥王だろうが赤ん坊など放っておいただろう。さっさと侍女を呼んで回収させるところだ。
だが、だか今は……。ハウストは苦悩する。
なぜなら、この赤ん坊をブレイラは大切そうに抱いていた。とても大事に育て、慈しんでいた。そう、ゼロスの為に四大公爵会議で一人戦うくらいに。
「…………ゼロス、といったな」
「あいっ」
「ブレイラはどうした。なぜ、ここに一人でいる」
「あう?」
「…………もういい」
「あぶぶっ!」
ハウストはため息を一つ。
話しかけても無駄だと分かったのだ。
仕方ないので覚悟を決めて、足元のゼロスに両手を伸ばす。
その小さな体をゆっくりと持ち上げた。
「きゃあっ、あー、うー!」
ゼロスは全身をばたばたさせて喜び、ハウストにぎゅっとしがみ付く。
小さな体だった。本当に冥王なのかと疑うほど普通の赤ん坊だ。
「あー! あー、あー!」
突然、ゼロスが何かを訴えるように小さな手足をジタバタさせだす。
見るとテーブルのティーセットが気になるようで指差ししながらハウストに訴えかけてくる。明らかに食べたいと分かるものだ。
「……食べたいのか?」
「あい! あーあー!」
嬉しそうなゼロスにハウストはため息をつく。
どうして自分がと思わないでもないが、相手はブレイラの愛し子。その事実がどうしても構ってしまう理由になる。
ハウストはゼロスを連れてテーブル前のソファに腰を下ろす。
すると抱っこしているゼロスが身を乗り出してお菓子を指差した。
「きゃあっ、あー! あー!」
あれが欲しいと指さすゼロス。
そこには丸いクッキー。紅茶との相性を考えて作られたクッキーは当然ながら甘い。
いつもなら、ゼロスがどんなに欲しがってもブレイラが「ゼロスはまだ赤ちゃんだからダメです」と必ず阻止するお菓子である。ブレイラは基本的に生真面目なのでゼロスのお菓子は赤ちゃん用の薄味なものばかりなのだ。
そのこともあって、甘くて芳ばしい香りのクッキーにゼロスは釘付けだ。
もちろん今のハウストはそんな事情など知らないのでゼロスにクッキーを取ってやる。
「これが食べたいのか?」
「あいっ」
「ほら」
「きゃあああっ!」
ひと際大きな歓声をあげてゼロスがクッキーを受け取った。
クッキーを見つめるゼロスの瞳がキラキラ輝く。赤ちゃん用ではないクッキーは初めてだ。
「あーん、あむあっ、――――?! っ、ふあああ~っ!!」
ゼロスに衝撃が走った。
こんな芳香な甘味は生まれて初めて。
あむっ、と食べた瞬間、口のなかで甘さが蕩ける。今まで食べてきたお菓子も赤ちゃん用の柔らかいものだが、それとは意味が違う。甘味が蕩けるのだ。
「あむあむっ、ちゅーっ、ちゅーっ、あむあむっ」
ゼロスはあむあむしたり、ちゅーちゅーと吸ってみたり、初めてのクッキーを味わい尽くした。
今やゼロスの顔はうっとりと夢見心地だ。
「うまいのか?」
「あいっ。あむあむ、あむっ」
「……もう一個食べるか?」
「あいっ!」
ほらと渡すとゼロスの瞳が輝く。
こんなにクッキーが食べられるなんて夢のようだ。いつもはブレイラが絶対許さないことなのだから。
こうしてゼロスは満足し、次第にハウストも満更ではなくなってきた。
ブレイラの愛し子ゼロスが美味しそうにクッキーを頬張る姿に悪い気はしない。そう、気分は餌付けに近かった……。
そうやって赤ちゃん用ではないクッキーを食べ放題した後、ゼロスはハウストの膝にちょこんと座っていた。
お腹いっぱいのゼロスは膝に座って、ちゅちゅちゅちゅ、いつもの指吸いである。
時折「けぷっ」と小さく漏れるゲップは大満足の証。
こうしてハウストは思いがけない時間を過ごしていたが、ふと扉がノックされる。
入室を許可すると士官が入って来た。
士官はハウストの膝にいる赤ん坊にギョッと目を丸める。
だが慌てて背筋を伸ばした。
「失礼します。魔王様、四大公爵会議の準備が整いました。大会議場までお越しください」
「分かった」
ゼロスを片腕で抱っこして立ち上がったハウストに、士官はやはり驚きを隠しきれなくなる。
行き先は大会議場だというのにハウストはそのまま向かおうとしているのだ。
「……あの、魔王様、……その赤ん坊、よろしければ女官に預けては……」
「そうだな……」
ハウストがゼロスを見下ろす。
すると目が合ったゼロスが今にも泣きだしそうな顔になる。赤ん坊なりに不穏な気配を察知したのだ。
「あぶっ、あう~……」
ゼロスがハウストに全身でぴたりっとしがみ付く。
ようやくちちうえに会えたのだ。離れたくないのである。
「……構うな。この赤ん坊の親も会議に出席する」
「し、承知いたしました」
士官は困惑しつつも最敬礼した。
納得できるようなできないような言い分だが、とりあえず威厳ある魔王は赤ん坊を連れて大会議場へ向かってしまう。
残された士官はなんとも複雑な顔で魔王と赤ん坊を見送った。
魔王に片腕で抱っこされた赤ん坊は上機嫌だ。
「あー、うー、あいっ、あぶ~、あー、ばぶぶっ」
赤ん坊が魔王になにやら一生懸命話しかけているが、魔王は無言のまま返事をすることはない。
当然だ、赤ん坊がなにを話しているかなど分からない。
しかしそれでも赤ん坊は満足しているのか、安心しきった顔で指をちゅちゅちゅちゅ、していたのだった。
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