勇者のママは今日も魔王様と

蛮野晩

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勇者のママは今日も魔王様と

第八章・私の全部をあなたにあげます。きっとこの為に私はあなたの親になったのでしょう。6

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「イスラと話しをさせて下さい。少しでいいので」

 そう言うと、「こっちへ来なさい」とイスラに手を伸ばす。
 するとイスラはぴゅーっとやって来て、私の膝にちょこんと座りました。
 こうしているとやっぱり普通の子どもですね。
 いい子いい子と頭を撫でると、嬉しそうに抱きついてきました。
 そんな私たちの様子を、部屋にいる者達は静かに見守っていてくれる。
 ふとフェリクトールが複雑な顔で口を開きます。

「……私は、勇者には勇者であれと望むが、なんとも言えない気分になるね」
「急にどうした?」

 神妙な様子で話しだしたフェリクトールに、ハウストとジェノキスが聞き返しています。

「古来より勇者は幾度も誕生し、そして悪しき存在を打ち滅ぼしてきた。今まで勇者の武勇伝しか伝え聞いてこなかったが、いつの時代も誰かが母親になっていたのだろうね。その存在は歴史書に残らなくても、母親たちは今のブレイラと同じように苦悩したのだろう。世界と息子を天秤にかけなければならない苦悩を」

 フェレクトールはそう言うと、戦うことを躊躇わない勇者を見つめる。

「どの時代に生まれた勇者も、共通しているのは世界を無条件に救っているということ。勇者が無条件に世界を救いたいと思うのは、そう育てられたからに他ならない。他人を無条件で救える者は、無条件で愛された経験のある者だけだからね」

 だからこそ、勇者の母親にとって子どもの旅立ちは身を切られるより辛いことだとフェリクトールが語る。
 私はイスラを膝に乗せて向かい合い、いい子いい子と頭を撫でながら話しかけます。

「私、ずっとあなたと二人で話をしたいと思っていたんです」
「オレと?」
「そうです。なかなかゆっくり話ができなかったので、ちゃんとあなたの話を聞きたいんです。そして私の話もあなたに聞いて欲しい」
「うんっ……」

 少し緊張した顔になったイスラに笑いかけます。
 眉間に小さな皺が刻まれていて、「難しい話しじゃありませんよ」と指で眉間をもみもみ揉んであげました。

「今までいろんなことがありましたね。私はイスラと一緒にいられて楽しいです。イスラは?」
「オレも!」

 手を上げて答えたイスラに目を細めました。

「ふふふ、ありがとうございます。では、辛いことはありませんでしたか?」
「うーん……、あっ」

 イスラは考えこみ、何かを思い出したのか拗ねたように唇を尖らせる。

「どうしました?」
「……おもいだした。もりでジェノキスとたたかったとき、いまじゃなきゃいみがないっていわれた。オレ、つよいのに、よわいって……」
「それはひどいことを言われましたね」

 慰めるとイスラは嬉しそうに大きく頷き、もっとあるぞ! とばかりに話しだす。

「ヤリでえいってされた。いたかったんだ」
「それは大変です。痛かったでしょう? ここですか?」
「ここ」

 攻撃された場所を指差して「ここも」「ここもだ」と一生懸命アピールする。その全部を優しく撫でてあげました。

「可哀想に……。あとで叱っておきましょう」
「うん!」

 イスラは大きく頷いて「つぎは」と次のターゲットに怒った顔をしました。

「つぎはハウストだ……。ハウストはひどいやつだ。だめなやつだ。ずっとブレイラがかなしんでた……」
「そうですね、ちょっと否定できません。でも、少し言い過ぎですよ?」
「…………」

 イスラが泣きそうな顔で俯く。
 ハウストの味方をしたので悲しくなってしまったのでしょう。

「イスラ、聞いてください。私はハウストが好きなんです。ずっと想ってきました。ずっと愛されたかった。だから今、ハウストに愛されて嬉しいんです」
「っ、……でも、ハウストはひどいやつで、ブレイラいっぱいかなしんでたから、だから……」
「そうですね。でも私はハウストを愛しています。そのハウストを、イスラが認めてくれないのは、私にとって悲しいことなんです。私の大好きなハウストを、私の大好きなイスラが嫌ってしまわないでください」

 卑怯な言い方だと自覚しています。
 幼いイスラの優しさに付け込む卑怯なやり方です。
 こういう言い方をすれば、イスラがどんな反応をするか私は分かっていますから。

「ブレイラっ」

 イスラがぎゅっと抱きついてきました。
 悔しそうに、でも泣きそうな顔で私を見上げます。これは認めたくないけど、認めるしかないと諦めてくれた顔です。
 卑怯だと私を責めてもいいのに、それをせずに認めてくれる。

「……わかった。ブレイラが、そういうなら……」
「ありがとうございます」
「……ブレイラは、ハウストがすきなんだな……」
「好きですよ」

 少しだけ傷付いた顔をするイスラを力一杯抱き締めたくなる。
 でも私の言葉には続きがあります。


「でも、私が私の全部をあげたいと思うのは、ハウストではなくあなたですよ、イスラ」


「……え?」

 イスラが顔をあげました。
 大きな瞳です。勇者の強い瞳です。
 勇者の力は奪われてしまいましたが、あなたは間違いなく勇者です。あなたが私を救ってくれました。

「イスラ、私の全部をあなたにあげます」

 そう言って私はイスラの額にそっと口付けました。
「おはよう」や「おやすみ」をする時のような優しい口付け。
 でもそこからイスラに流れ込んだのは、私に融合しつつあった神の力。
 驚いたように目を丸めたイスラに私は微笑み返す。

「これが私のすべてです。あなたに、あげます」
「ブレイラ、これ、これっ……」

 私から神の力を得たイスラは、興奮したように自分の体を確かめています。
 さすが勇者ですね。私には苦しいだけの力でしたが、しっかり受け止めてくれました。
 力を取り戻したイスラに、これでもう大丈夫と安心する。
 実は、今までずっと悩んでいたんです。
 私には親がいないので、親としてあなたに何をしていいかずっと分かりませんでした。
 親になろうと決意したものの、実際あなたの為に何かすることはとても難しかったんです。
 でも、ようやく見つけました。これが私があなたの為にできることです。
 この判断は間違っていない。私は私のすべてをイスラにあげたい。

「ブレイラ、オレ、いってくる!」

 勇者の強い瞳でイスラが言いました。
 私は黙って頷きます。
 もう引き止めることはしません。
 私の膝からぴょんっと飛び降りたイスラは、まるで遊びに行くような無邪気さで部屋から駆けだして行きました。
 駆け出したイスラは前だけを見て、心配と不安に胸が引き裂かれそうになる私を振り返ることもしません。これでいいのでしょう、旅立ちとはこういうものです。
 イスラが出て行った扉をじっと見つめていると、ハウストが私の側にきてくれます。

「心配するな、イスラは死なせない。無事にお前の元に帰す」

 そう言って魔力の高い精鋭達にイスラの援護を命令してくれました。
 数多くの魔族や精霊族がイスラとともに戦おうと部屋を出て行く。人間の王である勇者とともに、多くの魔族と精霊族が協力関係となったのです。
 一人で戦いに行ったわけではないイスラに安堵し、そして。

「ブレイラっ!」
「ぅ……、ハウスト」

 気が抜けたと同時に体が崩れ落ちました。
 咄嗟にハウストに抱きとめられましたが自分の足で立てません。
 全身が脱力したように力が入らない。いいえ違います。力が入らないんじゃなくて、急速に生命力が抜けているんです。
 そう、私の全部をあげるという言葉は、文字通り全部。
 神の器の私は、器なので力を行使することはできませんでした。でも器なので移すことはできるんじゃないかと思ったんです。そうしたら予想通りイスラに移すことができて、本当に良かった。
 一度器を傾けて注いだなら、それは空っぽになるまで注がれます。
 お陰でイスラに全部あげることができました。力も、体も、心も、命も、私の全部を移し、与えました。
 これで少しは親らしいことが出来たでしょうか。
 イスラに全部与えることができて親として満足しています。でも、一つだけ。

「ハウスト、ごめんなさい……っ。わたし、もう、しんで……しまいそうで……っ」

 イスラには決して聞かせたくない弱音を吐きました。
 体から凄まじい勢いで力が抜けていくんです。まるで生命力が地面に吸い取られているみたいです。このまま干からびて、しわしわになってしまうんでしょうか。そうやって死ぬんでしょうか。
 私は後悔していませんが、戦いから帰ってきたイスラに私の訃報を聞かせてしまうことだけが心残りです。きっと悲しませてしまいます。
 そしてハウストにも、とても悪いことをしています。身勝手すぎると怒られても仕方ないことです。

「ハウスト、ほんとうに、ごめんな……さい」
「謝るな。お前が結構面倒な性格をしていることは、初めて怒らせた時から分かっていた」
「こんなときに、ひどいですね……」
「お前ほどじゃない」

 ハウストはそう言って微かに笑いました。
 怒っているような、困っているような、泣きそうな、そんな複雑な笑みです。
 そんな顔、ハウストには似合いませんね。
 少しでも慰めたくて、触れたくて、ハウストに向かってなんとか手を伸ばす。
 その手を取られ、そっと握り締められました。

「お前は酷い奴だ」
「はい、ごめんなさい……」
「俺に何も言わず、イスラに全部あげてしまった。俺には何一つ残さない」

 返す言葉もありません。
 それでハウストを愛していると言って口付けを乞うたのですから、とんだ嘘つきだと思われたでしょう。
 もうすぐお別れだというのに、嫌われてしまったでしょうか。自業自得とはいえ少しだけ悲しいです。
 困ったように、でも目に焼き付けるようにハウストを見つめる。
 きっともうすぐ瞼を開けていることすら出来なくなります。
 身勝手は承知の上で、愛していると最後に伝えようとした、その時でした。

「お前がお前のすべてをイスラにあげたように、俺は俺のすべてをお前にやろう」
「え? っ、これは……っ」

 握られている手から洪水のように力が流れ込んできました。
 それは乾いた砂漠を潤そうとする猛烈な力の激流。
 からからに干からびようとしていた私の体に、ハウストの生命力が流れ込んでくる。

「ま、待ってくださいっ。あなた、なにをっ」
「お前がイスラにしたことだ」

 ハウストは私の手を握ったまま淡々と答えました。
 でもその意味に私の全身から血の気が引いていく。

「だ、だめですっ。それだけは、だめっ。あなたが、死んでしまう……!」

 私のかわりにハウストが死んでしまうなんて許されることではありません。
 なんとかハウストの手を振り解こうとしましたが、ハウストは私の手を強く握って離さない。

「ハウストっ……、なんで、こんな……っ」

 こんなこと私は望んでいません。
 きっとここにいる誰も望んでいません。あなたがいなくなったら魔界はどうなるんですか。賢帝とか呼ばれている癖に無責任です。

「仕方ないだろう。愛してるんだ」
「っ……」

 唇を噛みしめました。
 視界が涙で滲み、彼の顔がよく見えない。

「愛してるんだ。足りないなら何度でも言おう」
「う、うれしいです。……うれしい、ハウスト。……私も、愛しています」

 涙が溢れて止まりません。
 嬉しくて、嬉しくて次から次へとぽろぽろ溢れてくる。
 だから、もう手を離してください。もう充分です。
 ハウストを私から遠ざけてほしいと、フェリクトールとジェノキスに目を向ける。彼らなら冷静にハウストを生かす判断をしている筈です。
 しかし、目が合ったのに二人はそこから一歩も動きませんでした。
 焦った私はそれならばとフェルベオを探しましたが、突然、手を握られました。
 フェルベオです。フェルベオがハウストと逆の手を握ったのです。
 意味が分からず呆然とした私に、フェルベオは凛として答えます。

「心配するな。魔王は死なない」

 フェルベオが真っ直ぐな面差しで言葉を続けます。

「もちろん母君もだ。こんな理由で魔王が死んだとなれば、ずっと宿敵をしていた僕たち精霊族の名折れになる!」

 フェルベオは精霊族の名誉の為と、握った手から力を流し込んできました。
 私は更に混乱してしまう。
 魔王ハウストだけでなく、精霊王フェルベオまで命の危機に晒すわけにはいきません。
 やめるようにと懇願しようとして、フェルベオが呆れた顔をしていることに気付きます。

「三界の王を舐めるな。ここに王を冠する者が二人いるんだぞ。二人掛かりで力を送って母君を救えないはずがない。もちろん僕も魔王も死ぬはずがない」

 嘘みたいな奇跡に、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
 ほんとうですか? とハウストに視線を送ると、彼は穏やかな顔で頷いてくれました。

「ああ、大丈夫だ。お前の憂いは払われた。これからもずっと一緒だ」
「ハウストっ……」

 ハウストとフェルベオの手をぎゅっと握りしめました。
 死にたくないです。私は生きたい。
 だってもう独りではありません。
 イスラの側から離れないと約束したし、ハウストとこれからもずっと一緒にいたいです。
 私は小さく微笑んで、三界の王である魔王と精霊王にお願いする。

「私は、死にたくありません……。だから、私を、助けてくださいっ」
「当たり前だ」
「もちろんだ母君。これをおばば様に会わせてくれた礼としよう」
「ありがとうございます」

 生きたいと縋った私に、二人から膨大な生命力が注ぎこまれる。
 膨大なそれが激流となって私の体に流れ込み、生命力を満たしていきました。
 そして少しして巨大な地鳴りが響き、眩いほどの光柱が精霊界に幾つも立ち上がる。それはイスラに与えた神の力。
 地上から伸びた光柱は空を突き抜けて天高く伸びていく。その中の一つが塔全体を飲み込むほど大きくなって、空から神の力の破片が金粉となってひらひら舞い落ちてきました。
 大地を揺るがしていた地鳴りが収まり、静寂が戻ってくる。

「…………終わったようだな」
「ああ、先代魔王の気配が完全に消滅した」

 ハウストとフェルベオの会話に、私は唇を噛みしめました。
 イスラは勇者の役目を果たしたのだと、歓喜が溢れてくる。
 先代魔王の気配が消滅し、しばらくして応接間の扉がバタンッ! と勢いよく開きました。

「ブレイラ!」

 それはイスラの声でした。
 イスラは私を見つけるとぴゅーっと走ってきて、「ただいま!」とぎゅっと抱きついてきました。
 甘えてくる姿はどこから見ても普通の子どもです。
 イスラが勇者だろうが、普通の子どもだろうが、私の息子。

「おかえりなさい」

 私はイスラを抱きしめて、額におかえりの口付けを送りました。






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