平和に生き残りたいだけなんです

🐶

文字の大きさ
上 下
41 / 82
四度目の世界

40.

しおりを挟む

 ガッチリと強い力で抱きしめられ、大通りではない道とはいえ、人がまったくいないわけではないので、東は離れようともがいた。ふんわりとハルという男から香水と酒の匂いがする。

「酔ってる…?あの、離してください…」
「久しぶりに会ったのに冷たいな」

 嫌ですね。そう言って離れようとはせず、逆にぎゅうぎゅうと腕の力を強められ、空気を求めて自然と爪先立ちになり顔を上へと向けた。向けた先にはウェーブがかかった髪をオールバックにぴっちりセットされた整った顔が目の前にあるので、とても気まずい。

「俺が知ってる殿下は子供だったんですけどね。ずいぶん大きくなりましたね」
「ハルは、いくつなんですか?そんな驚かないということは事情は知ってるようですね」
「今年23になりましたね」
「若返ってるじゃないですか…」

 母が死に、新しい王妃が来てからというもの、城の者たち皆が自分のことを冷遇する中で、唯一この男は出会った頃から変わらず優しく、時に厳しく、接してくれていた。東の専属騎士であり、剣術を教えてくれた先生でもある。
 確か当時のハルは28くらいで、ずいぶん年上だったのに、自分と2つしか違わないことが変な感じだ。しかも龍鵬と同じ歳…。
 
「ここまでボーデンと関わりがある者が集まるとは…」

 何か悪いことが起きなければいいのですが…と東は心配そうに俯いた。そして自分がまだハルの腕の中だということに気付いてハルを見た。

「いい加減に離してもらえませんか?こんな所で…悪目立ちしてますよ」
「気にしなければいい。目立つのは、しのぶが相変わらずこんなに美しいから仕方ないでしょ」

 するりと頬を撫でられ、ちゅっと顳かみの部分にキスをされる。東は嫌そうに顔を顰めた。

「その節操がないのは変わりないようで」
「お堅い騎士だったのが、今じゃホストですよ」

 可愛らしい子たちがいっぱいで良いですよーとケラケラ笑っている。
 あ、これ、ただの酔っ払いなのでは?

「早く帰って休んだ方が」
「せっかく…しのぶに会えたのに…?」
「この近くに住んでるし、会おうと思えばいつでも会えます」

 連絡先が書いてありますので。そう言いながらジャケットのポケットに手を入れると、ハルは動きにくそうにしていた東に気を遣ったのか腕の力を抜いたので離れることができた。名刺ケースを取り出して名刺を一枚取り出してハルに渡す。

「時間がある時に食事でもしましょう」
「んー。食事もいいけど、俺、こんなんだし?しのぶが家まで送ってくれると嬉しいんですが?」

 少し考えてから、ポンと肩を組まれて耳元に口を寄せ優しく囁かれた。くすぐったくて東は肩を竦める。
 女性ならその笑顔と甘い声にイチコロなのだろう。

「仕方ないですね…わかりましたよ…」

 はあ…と深い溜息をついた。
 ハルは嬉しそうに東に体重をかけるよう寄りかかると貰った名刺をポケットに突っ込んで歩き出す。

「王になったんですか?」
「そこまで生きれませんでしたね」
「なんでまた…。あの女狐が原因で?」

 ハルが王妃のことを女狐と呼ぶのが懐かしくて苦笑した。どこでも構わずそう呼ぶものだから、誰かに聞かれてしまうのではないかと、あの時はヒヤヒヤしていたものだ。
 ハルが死んだのは龍鵬に会う前だった。
 王たちによって東が何度も送り込まれた戦には、もちろんハルも着いてきていた。そしてその戦の中で自分を庇って命を落としたのだ。

『殿下…俺は、』

 あの瞬間のことは今でも夢に出てくることがある。
忘れたくても忘れられないことのひとつだ。

「魔族を倒せと追い出された先で、王妃側の者によって殺されました」
「追い出されたって一体なんでまた」
「あなたが死んでから暫くして勇者が見つかったんです。その者と二人で北に向かいました」
「二人だけで…?くそ、あいつら何考えてんだ…!」

 怒るハルを見て、くすくす笑ったら睨まれて、肩を組んでる方の手で頬をつままれる。軽くなので痛くはなかった。

「何を笑ってるんですか。しのぶのことなのに」
「いえ。ただ…ハルが怒ってくれるから嬉しいだけですよ」

 こうして怒ってくれるのはハルしかいなかったからだ。こうやってまた会えたのも、とても嬉しい。
 優しく微笑む東の表情にハルは自分の唇を噛んだ。

「ハルは、あれからここに?」
「えーと、全て思い出したのは小学生の頃かな。事故で死にかけたんです」

 その時までは普通に暮らしていた。
 病院のベッドで目が覚めて、騎士だった時のことや、それ以前のことなど、全てが夢なのではと思っていたけれど、どうやら違うようだった。

「回帰者などを知ったのは高校行き始めたくらいでしたかね。付き合った彼女がそうだったようで、色々教えてもらったんですよ」
「そうだったのですね」

 ハルも何度か回帰しているのか、回帰が初めての自分より知ってるみたいだった。
 着いたのかハルが立ち止まる。

「ここに住んでます」
「…ここ?」

 着いたのは見覚えがあるアパートだった。
 というか、見覚えもなにも…つい先程までこの場所にいた。桜華が住んでるアパートだ。
 ぽかんとアパートを見上げている東に、ハルは不思議そうに首を傾げて聞いた。

「何です?」
「え、いや…知り合いがここに。先日仕事で…。大家さんのとこも今度工事することになってます」
「そういえば隣の部屋、工事してたな」

 しのぶのとこがやってたのかとひとりで納得していて、東は驚いた表情でハルを見た。

「鏡さんの隣…?」
「そんな名前だったかな?可愛い子が最近引っ越してきたんです」

 それなら、桜華が話していた葵の兄というのはハルのことだろうか?
 東はどうすればいいのか困惑する。

「しのぶ?」

 このまま桜華の部屋に行き、ハルのことを話したいと思ったが、こんな遅い時間に女の子の部屋に行くものではないなと東は頭を振る。
 龍鵬に話そうにも、桜丘に呼び出されて行ってしまったので、しばらくは連絡がつかないだろう。
 
「しのぶ、どうしました?」

 名前を呼ぶ声でハッとしたら、肩を掴まれて心配そうに覗き込んできているハルの顔が目の前にあって、びっくりして一歩後退る。

「あ、すみません。俺も飲んでたから酔ったのかな…。無事に送ったことだし俺も帰りますね」

 そそくさと引き返そうとする東の腕をハルは慌てて掴んで止めた。

「しのぶ、もっと話したいし…休んでいけば?」
「いや、もう遅いですし」
「明日は休みなんでしょ?ほら、いいからいいから」
「ちょっ…」

 半ば強引に引きずられるよう中へと連れていかれる。休むなんて言ってないのに。

「昨日、客に美味しいジュースもらったのがあるんですよ。俺は飲まないし、それ飲んで休んでってくれると助かります」

 そう言いながら連れてこられたハルの家へ入ると、すっきり片付けられている部屋だった。想像していたよりも物が少ない部屋。騎士の頃は脱ぎっぱなし、出しっぱなしで、よく自分が怒っていたのに…。

「そんな見られたら照れるんですけど」
「あ、す、すみません…片付いてるから」
「はは。偉いでしょ?」

 ポンポンと肩を叩かれて、促されるまま部屋の奥へと進み、ソファにゆっくり腰を下ろす。
 間取りは桜華と変わらないようだ。広く感じるのは、やはり家具が少ないからだろう。

「ハルも模様替えどうですか?俺が暮らしやすくしてあげますよ」
「部屋見て、いきなり営業とかやめてくれません?」

 キッチンから、水の入ったペットボトルと、赤い色をしたグラスを持ってきたハル。しのぶの横に座り、持ってたグラスを渡してきた。
 お礼を言って、なんのジュースかと思って一口舐めるように飲んだら、イチゴの香りが口いっぱいに広がる。

「美味しい…」
「そりゃ良かったです」

 客にもらうのは良いけど、自分で処分できないのが多くて困ると話していた。ホストも大変だなと東は小さく息を吐き出す。

 ちらりと時計を見たら、既に0時を過ぎていた。
 会うのか久しぶりだからか話題が尽きず、少しだけお邪魔して帰ろうと思っていたのに一時間以上も喋っていたようだ。時間を感じさせないのはホストならではのスキルだろうか。昔からハルとは、とても話しやすくて好きだった。

「ハル、そろそろ俺…」
「えー?もう遅いし泊まっていけばいいんでは?」
「いや、さすがにそれは」
「女の子たちもよく泊まるんで、タオルとか必要なものはありますし。ね?いいでしょ?」

 立ち上がろうとした東に、ひしっとハルが抱きついてきたので立ち上がれなくなり、ハルの重さで背もたれと肘掛けの部分に押し付けられ身動きできなくなる。

「そこも変わらないんですね」

 なかなか起きてこないハルのテントへ起こしにいくと、近くの街の女性や騎士を連れ込んでいたなんてことは日常茶飯事。
 ハルのことをじっと見つめながら言うと、ハルも東のことを優しい眼差しで見つめて微笑んでくる。

「独り寝は寂しいんでね」
「そのうち刺されますよ」
「この間、お気に入りのカップを投げつけられましたね」
「うわ、最悪……」

 本音がポロリと零れてしまったが、ハルはそれを気にもせず、東の額や頬にちゅうちゅうとバードキスをしている。
 もしかすると普段と変わらないのかもしれないが、自分相手にこれは酔いすぎだろうと呆れた。
 そして思った。この状態であれば、葵のことも簡単に聞けるのではと…。

「ちょっと風呂の用意してきますね」

 どうやって切り出そうかとモゴモゴしていたら、ハルは東から離れて立ち上がると浴室のほうへと歩いていってしまう。
 その間に、東はスマホを取り出して、それらしき人物と会っていると二人にメッセージをいれておいた。

 ここからどうしようかと浴室のドアを見つめて、東は今日何度目かわからない溜息をついた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

処理中です...