平和に生き残りたいだけなんです

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四度目の世界

40.

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 ガッチリと強い力で抱きしめられ、大通りではない道とはいえ、人がまったくいないわけではないので、東は離れようともがいた。ふんわりとハルという男から香水と酒の匂いがする。

「酔ってる…?あの、離してください…」
「久しぶりに会ったのに冷たいな」

 嫌ですね。そう言って離れようとはせず、逆にぎゅうぎゅうと腕の力を強められ、空気を求めて自然と爪先立ちになり顔を上へと向けた。向けた先にはウェーブがかかった髪をオールバックにぴっちりセットされた整った顔が目の前にあるので、とても気まずい。

「俺が知ってる殿下は子供だったんですけどね。ずいぶん大きくなりましたね」
「ハルは、いくつなんですか?そんな驚かないということは事情は知ってるようですね」
「今年23になりましたね」
「若返ってるじゃないですか…」

 母が死に、新しい王妃が来てからというもの、城の者たち皆が自分のことを冷遇する中で、唯一この男は出会った頃から変わらず優しく、時に厳しく、接してくれていた。東の専属騎士であり、剣術を教えてくれた先生でもある。
 確か当時のハルは28くらいで、ずいぶん年上だったのに、自分と2つしか違わないことが変な感じだ。しかも龍鵬と同じ歳…。
 
「ここまでボーデンと関わりがある者が集まるとは…」

 何か悪いことが起きなければいいのですが…と東は心配そうに俯いた。そして自分がまだハルの腕の中だということに気付いてハルを見た。

「いい加減に離してもらえませんか?こんな所で…悪目立ちしてますよ」
「気にしなければいい。目立つのは、しのぶが相変わらずこんなに美しいから仕方ないでしょ」

 するりと頬を撫でられ、ちゅっと顳かみの部分にキスをされる。東は嫌そうに顔を顰めた。

「その節操がないのは変わりないようで」
「お堅い騎士だったのが、今じゃホストですよ」

 可愛らしい子たちがいっぱいで良いですよーとケラケラ笑っている。
 あ、これ、ただの酔っ払いなのでは?

「早く帰って休んだ方が」
「せっかく…しのぶに会えたのに…?」
「この近くに住んでるし、会おうと思えばいつでも会えます」

 連絡先が書いてありますので。そう言いながらジャケットのポケットに手を入れると、ハルは動きにくそうにしていた東に気を遣ったのか腕の力を抜いたので離れることができた。名刺ケースを取り出して名刺を一枚取り出してハルに渡す。

「時間がある時に食事でもしましょう」
「んー。食事もいいけど、俺、こんなんだし?しのぶが家まで送ってくれると嬉しいんですが?」

 少し考えてから、ポンと肩を組まれて耳元に口を寄せ優しく囁かれた。くすぐったくて東は肩を竦める。
 女性ならその笑顔と甘い声にイチコロなのだろう。

「仕方ないですね…わかりましたよ…」

 はあ…と深い溜息をついた。
 ハルは嬉しそうに東に体重をかけるよう寄りかかると貰った名刺をポケットに突っ込んで歩き出す。

「王になったんですか?」
「そこまで生きれませんでしたね」
「なんでまた…。あの女狐が原因で?」

 ハルが王妃のことを女狐と呼ぶのが懐かしくて苦笑した。どこでも構わずそう呼ぶものだから、誰かに聞かれてしまうのではないかと、あの時はヒヤヒヤしていたものだ。
 ハルが死んだのは龍鵬に会う前だった。
 王たちによって東が何度も送り込まれた戦には、もちろんハルも着いてきていた。そしてその戦の中で自分を庇って命を落としたのだ。

『殿下…俺は、』

 あの瞬間のことは今でも夢に出てくることがある。
忘れたくても忘れられないことのひとつだ。

「魔族を倒せと追い出された先で、王妃側の者によって殺されました」
「追い出されたって一体なんでまた」
「あなたが死んでから暫くして勇者が見つかったんです。その者と二人で北に向かいました」
「二人だけで…?くそ、あいつら何考えてんだ…!」

 怒るハルを見て、くすくす笑ったら睨まれて、肩を組んでる方の手で頬をつままれる。軽くなので痛くはなかった。

「何を笑ってるんですか。しのぶのことなのに」
「いえ。ただ…ハルが怒ってくれるから嬉しいだけですよ」

 こうして怒ってくれるのはハルしかいなかったからだ。こうやってまた会えたのも、とても嬉しい。
 優しく微笑む東の表情にハルは自分の唇を噛んだ。

「ハルは、あれからここに?」
「えーと、全て思い出したのは小学生の頃かな。事故で死にかけたんです」

 その時までは普通に暮らしていた。
 病院のベッドで目が覚めて、騎士だった時のことや、それ以前のことなど、全てが夢なのではと思っていたけれど、どうやら違うようだった。

「回帰者などを知ったのは高校行き始めたくらいでしたかね。付き合った彼女がそうだったようで、色々教えてもらったんですよ」
「そうだったのですね」

 ハルも何度か回帰しているのか、回帰が初めての自分より知ってるみたいだった。
 着いたのかハルが立ち止まる。

「ここに住んでます」
「…ここ?」

 着いたのは見覚えがあるアパートだった。
 というか、見覚えもなにも…つい先程までこの場所にいた。桜華が住んでるアパートだ。
 ぽかんとアパートを見上げている東に、ハルは不思議そうに首を傾げて聞いた。

「何です?」
「え、いや…知り合いがここに。先日仕事で…。大家さんのとこも今度工事することになってます」
「そういえば隣の部屋、工事してたな」

 しのぶのとこがやってたのかとひとりで納得していて、東は驚いた表情でハルを見た。

「鏡さんの隣…?」
「そんな名前だったかな?可愛い子が最近引っ越してきたんです」

 それなら、桜華が話していた葵の兄というのはハルのことだろうか?
 東はどうすればいいのか困惑する。

「しのぶ?」

 このまま桜華の部屋に行き、ハルのことを話したいと思ったが、こんな遅い時間に女の子の部屋に行くものではないなと東は頭を振る。
 龍鵬に話そうにも、桜丘に呼び出されて行ってしまったので、しばらくは連絡がつかないだろう。
 
「しのぶ、どうしました?」

 名前を呼ぶ声でハッとしたら、肩を掴まれて心配そうに覗き込んできているハルの顔が目の前にあって、びっくりして一歩後退る。

「あ、すみません。俺も飲んでたから酔ったのかな…。無事に送ったことだし俺も帰りますね」

 そそくさと引き返そうとする東の腕をハルは慌てて掴んで止めた。

「しのぶ、もっと話したいし…休んでいけば?」
「いや、もう遅いですし」
「明日は休みなんでしょ?ほら、いいからいいから」
「ちょっ…」

 半ば強引に引きずられるよう中へと連れていかれる。休むなんて言ってないのに。

「昨日、客に美味しいジュースもらったのがあるんですよ。俺は飲まないし、それ飲んで休んでってくれると助かります」

 そう言いながら連れてこられたハルの家へ入ると、すっきり片付けられている部屋だった。想像していたよりも物が少ない部屋。騎士の頃は脱ぎっぱなし、出しっぱなしで、よく自分が怒っていたのに…。

「そんな見られたら照れるんですけど」
「あ、す、すみません…片付いてるから」
「はは。偉いでしょ?」

 ポンポンと肩を叩かれて、促されるまま部屋の奥へと進み、ソファにゆっくり腰を下ろす。
 間取りは桜華と変わらないようだ。広く感じるのは、やはり家具が少ないからだろう。

「ハルも模様替えどうですか?俺が暮らしやすくしてあげますよ」
「部屋見て、いきなり営業とかやめてくれません?」

 キッチンから、水の入ったペットボトルと、赤い色をしたグラスを持ってきたハル。しのぶの横に座り、持ってたグラスを渡してきた。
 お礼を言って、なんのジュースかと思って一口舐めるように飲んだら、イチゴの香りが口いっぱいに広がる。

「美味しい…」
「そりゃ良かったです」

 客にもらうのは良いけど、自分で処分できないのが多くて困ると話していた。ホストも大変だなと東は小さく息を吐き出す。

 ちらりと時計を見たら、既に0時を過ぎていた。
 会うのか久しぶりだからか話題が尽きず、少しだけお邪魔して帰ろうと思っていたのに一時間以上も喋っていたようだ。時間を感じさせないのはホストならではのスキルだろうか。昔からハルとは、とても話しやすくて好きだった。

「ハル、そろそろ俺…」
「えー?もう遅いし泊まっていけばいいんでは?」
「いや、さすがにそれは」
「女の子たちもよく泊まるんで、タオルとか必要なものはありますし。ね?いいでしょ?」

 立ち上がろうとした東に、ひしっとハルが抱きついてきたので立ち上がれなくなり、ハルの重さで背もたれと肘掛けの部分に押し付けられ身動きできなくなる。

「そこも変わらないんですね」

 なかなか起きてこないハルのテントへ起こしにいくと、近くの街の女性や騎士を連れ込んでいたなんてことは日常茶飯事。
 ハルのことをじっと見つめながら言うと、ハルも東のことを優しい眼差しで見つめて微笑んでくる。

「独り寝は寂しいんでね」
「そのうち刺されますよ」
「この間、お気に入りのカップを投げつけられましたね」
「うわ、最悪……」

 本音がポロリと零れてしまったが、ハルはそれを気にもせず、東の額や頬にちゅうちゅうとバードキスをしている。
 もしかすると普段と変わらないのかもしれないが、自分相手にこれは酔いすぎだろうと呆れた。
 そして思った。この状態であれば、葵のことも簡単に聞けるのではと…。

「ちょっと風呂の用意してきますね」

 どうやって切り出そうかとモゴモゴしていたら、ハルは東から離れて立ち上がると浴室のほうへと歩いていってしまう。
 その間に、東はスマホを取り出して、それらしき人物と会っていると二人にメッセージをいれておいた。

 ここからどうしようかと浴室のドアを見つめて、東は今日何度目かわからない溜息をついた。


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