紅色のガラス玉

空城誠

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代償

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 あれから数日経ち、待ちに待った復活祭イースターが始まった。私が仕留めた鹿は、母が焼くパンやケーキ、焼き菓子と並んで豪華な食事となった。昼間には子供たちも外に出て、大人によって隠されたイースターエッグを探していたようで、町から少し離れた場所に建つ我が家にも、楽しそうな笑い声が聞こえていた。その声に励まされたのか、普段は悲観的な大人たちでさえも厳しい現実を一時忘れることができたのだろう。夜が更けて朝になっても、町から光は消えなかった。

 私はというと、もう十六歳になったのだからと子供たちに混ざるのを辞退した。そのかわり、両親から怪しく煌めく奇妙なガラス玉を譲り受ける。小さな子供の握りこぶし大ほどの大きさがあるそれは、光にかざすとより一層紅色が濃くなり、不思議と何時間も眺めていられる代物だった。両親曰く、これは一昨年亡くなった叔父の持ち物で、生前、動物の命を奪ったあと暫くはこのガラス玉を持っているようにと言っていたらしい。
 鹿を仕留めてからもう何日も経っているので、わりと今さらな感じはあったが……、両親の気持ちにこたえて、肌身離さず持ち歩けるように巾着に入れて腰にぶら下げておく事にした。

 ――実のところ、こういう変わったものが好きでこっそり収集したりしていたので、誰に言われなくても暫くは持ち歩いていただろう。

 つつがなく復活祭が終わり、信心深くない我が家ではいつもの日常に戻っていた。まだ雪が溶けきらず、隣町の学校に通えないかわりに、自習をしておこうと勉学にはげむ私は、ふとあの牡鹿の事を思い出す。あの鹿が何を要求してくるのか、とても興味が湧いたのだ。父の蔵書である動物図鑑によると、鹿は木の根をかじったり、ミネラル豊富な土を舐めたりもするという。もし鹿がおいしい土を要求してきたらどんな土を渡せばいいのか……。私は想像を膨らませていた。

 そして少しずつ春を感じられるようになった頃。ようやく明日から学校に通える事になり、私は夕食前に支度を済ませようとしていた。通学用の鞄に必要なものを詰め込み、制服をクローゼットの奥から引っ張り出す。ジャケットとズボン、ネクタイ、革靴まで揃えたところで、シャツは全て母が洗濯してくれていたのを思い出す。ランドリー室にあるだろうと部屋から出ると、まるでタイミングを見計らったかのように玄関のドアが叩かれた。
 母は料理をしているだろうし、父はその手伝いをしているはずだ。それに私の方が玄関に近いところにいる。来訪者の事を両親には告げず、そして何の疑いもなく、私は玄関扉を開けた。

「こんばんは。よい月夜ですね」

 そこには、プラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、赤いドレスに身を包んだ女性が立っていた。瞳と口紅の色は、ドレスよりも濃い深紅で、大理石のような白い皮膚をより一層目立たせている。――しかし、その特徴的な顔や風体にはまったく見覚えがなかった。顔見知りならとりあえず迎え入れるくらいはするが、何故かそうしてはいけない気がして、少し身構える。

「……ええ、こんばんは。我が家に何かご用でも?」

 そう尋ねると、女性はにっこりと笑った。

「人探しをしているの。猟銃を持った銀髪の少年を知らないかしら? 丁度あなたくらいの背格好なのだけれど」

 この近辺の町では、銀髪で猟銃を持った少年なんて珍しいものではない。そもそも銀髪の人間が多いし、15歳より年上の男なら誰でも猟銃の一丁くらいは持っているからだ。しかし私くらいの背格好というと、少し限られてくる。私は同年代のなかでは背が低いほうだし、同じ身長の少年となると、大多数が猟銃が持てない年齢になる。――もしかして、私を探しているのか?

「さあ、ここら辺には猟銃を持った少年なんて山ほど居ますから」

 軽くあしらって扉を閉めようとすると、タイミング悪く父に名前を呼ばれ、一瞬注意がそれてしまう。再び閉めかけの扉に意識を戻すと、向こう側に女性の姿はなかった。
 諦めて帰ったのだろう。そう自分に言い聞かせて、父が呼ぶキッチンへと向かう。しかしそこでは、想像もしていなかった人物が両親と談笑していた。

「ああ、お客様が来ているならそう言ってくれればいいのに。一緒に夕食をどうですかって誘ったのだよ」
「そうなのよ。この方のお話も聞いてみたいし。さあさ、お客様を席に案内して頂戴」

 楽しそうに女性を紹介する両親は、その女性が背筋が凍るような笑みを浮かべている事には気が付いていないようだった。しかし、この悪寒を上手く説明できる気がしない。私は仕方なく両親に従う事にした。
 女性を空いている席に案内して、既に出来上がっている料理を運ぶ。その間、女性はずっと私を見ながらにっこりと笑い、母はお客人に出す特別な料理を一品こしらえ、父は上等な酒でもてなすためにいそいそと蔵へと向かっていた。
 ひととおりの準備が整い、それぞれがそれぞれの定位置に座る。そして簡単な祈りを捧げて、地獄のようなディナータイムが始まった。

 私が味のしないシチューと硬いパンを無理やり咀嚼している間、両親はそれはもう楽しそうに女性に話しかけていた。女性の方もにこやかに話に付き合っているものの、時折私の方を見て、またにっこりと笑う。極力会話の内容は耳に入れず、その視線になんとか耐えていると、突然、女性の大きな声が部屋中に響き渡る。


「わたくしに何を食べさせたの!?」


 女性の手元には、母が用意したお客人用の料理を乗せた皿があった。吃驚しすぎて体が強張る両親に向かってその皿を投げると、口の中に指を突っ込み、食べたものを食卓に吐き戻す。女性の嗚咽と吐いたモノが食卓に落ちる音が不快感を誘い、自分も吐き戻しそうになるのを必死に耐える。そうして胃の中に吐けるものが無くなったのであろう女性がゆっくりと立ち上がり、父の肩に手を置くまで、私はまったく身動きができなかった。

「――もう一度、話して下さらない? イースターの頃に息子さんが何をしたのかを?」

 父は怯え、全身が震えている。なんとか口を開こうとするが、歯が鳴る口から出る言葉は噛み砕かれ、もはや言語にすらなっていなかった。

「それで、仕留めた鹿はどうしたのかしら?」

 父の真向かいに座る母は、耳をふさぎ小さく悲鳴を上げる。父の肩は大量の血に濡れ、父は血が溢れる首に手を置いて女性から逃げようともがいていた。しかしその努力もむなしく、父の頭はテーブルの上に転がり落ちる。苦悶に歪んだ表情と見開いた目を私の方に向けながら事切れる父を、ただ眺める事しかできない私もまた、父のように全身が震えていた。

「あらあら、勿体ないわね」

 女性はクスクスと笑い、自身の手についた血をひと舐めする。すると深紅の瞳は淡く輝き、瞳孔は縦に割れた。

「そうそう、角と毛皮を売って、肉は家族で食べるように保存した……。そう言ってたわよね?」

 母は幼い子供のように嫌だ嫌だと首を振るばかりで、女性の言葉は耳に届いていないようだ。今度は女性の肩に手を置き、母の耳元で何かを囁く。何を囁かれたのかわからないが、途端に母は首を振るのをやめ、女性に命乞いを始める。

「でも、美味しかったのでしょう? イースターの時もお腹いっぱい食べたのでしょう?」

 女性は母の首元を掴み無理やり立たせると、あいている方の手で母の腹部をやさしくなでる。

「それで春になるまでちょっとずつ大事に食べて、最後のひと塊を今日私に出したのよね?」

 言い終わるか終わらないか、その間に母は四肢を切り取られ、腹を捌かれ、食卓の上に投げ捨てられる。すでに絶命している母の顔もまた私の方に向けられていたが、母の目は私を見てはいなかった。
 私が二人の死に顔から目をそらしていると、女性は狂ったように高笑い、食卓の上に飛び乗る。食卓の上にあるものを踏みにじり蹴飛ばしながら私の目の前まで歩き進むと、かなり高いところから私を見下ろし、唾を吐き捨てた。

「……私に用があったのか」
「ええ、そう。あなたに用があったの。……わたくしの夫をかえして頂戴」

 一瞬、私は何を言われたのかわからなかった。先ほどまで、鹿の事で怒っていたはずだ。たしかに牡鹿は仕留めたが、人間は殺していない。
 私が理解していないとわかった女性は、キッと私を睨みつけた。

「あなたが夫を殺したのでしょう? わたくしが留守の間に。鹿になっていたあのひとを」
「それは人違いだ。私は鹿を殺したが、人間は殺してなど……」

 理解が追いつかない私にしびれを切らしたのか、女性は私の胸倉を掴み、鋭い爪を首に添える。

「認めましたわね。夫を殺したと。 ……しかるべき罰を受けなさい」

 そう言うと首に爪を突き立て――ようとして、動きが止まった。


「これは大変なことになっているな」
 

 急に後ろから話しかけられ、女性はそちらに視線を向けるため、上半身をねじる。私はそのすきに掴まれている上着を脱ぎ、女性の手から離れて声のしたほうを見た。

「おまえは……あの時の……?」

 そこには、あの日私を鹿の群れに導いた牡鹿がいた。女性は私が逃げたことも気にせず、牡鹿に飛びかかる。

「おっと。おいレディ、どんくさい夫をもつと大変だな」

 牡鹿はひらりと避け、私の近くに駆け寄る。レディ、と呼ばれた女性は燭台をなぎ倒し、肩で息をしながら牡鹿を睨みつけた。

「お前の差し金だったのね!!!!!」
「まさか。まったくの偶然だ。まさか俺のテリトリーに鹿に化けた同族が居るとは思わないだろ?」
「関係ない!お前にも死んでもらうまでよ!!」

 叫び、怒りに燃え上がるレディの背後も実際に燃え上がていた。燭台が倒されたことで、ロウソクの火が布か何かに燃え移ったのだろう。そんな事を冷静に考えていると、牡鹿が鼻面を私の手に押し当ててきた。

「お前だけでも助けよう。さあ、背中に乗るんだ」

 私は言われるがまま牡鹿の背中に乗る。馬には乗り慣れているとはいえ、鞍も何もないうえに鹿の背中は馬のそれとは勝手が違う。情けないが鹿の角にしがみつき、振り下ろされないようにしているのがやっとだった。牡鹿はそんな私を気遣いながらレディの追撃をかわし、家の外に飛び出す。一瞬後ろを振り向くと、火の回りが早く外からでもわかるくらい燃えているのが分かった。そしてその炎の中でレディが雄叫びを上げている様も目に映る。

「このままレディをまくぞ。しっかり踏ん張ってろよ!」

 牡鹿に言われるまま鹿の体を挟む両足に力を入れ、牡鹿はあの時のように縫うように森を駆けていく。もう一度後ろを振り向いてみても既になにも見えず、私は感傷に浸る暇もないまま、生まれ育った家と両親から遠く離れていった。
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