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【episode2】初めてだらけでドキドキが止まらない!
しおりを挟むその少女は黒髪のショートボブで小柄な体格。童顔で声も幼い。外見からして12~13歳くらいだろうか?彼女はダンボールをテーブルの上に置くと一息ついて大きく伸びをした。そして僕と目が合う。
「はわっ!すみません!ご見学の方ですか?」
「あ、いえ僕は……」
「おお、美咲。荷物ありがとうな。こちらは栗原 一輝君。明日からウチのジムで働いてもらうことになった新しいアルバイトスタッフで、お前と同じ高校一年生だ」
「へぇそうなんだ。初めまして、須藤 美咲です。よろしくね、栗原君」
え?この子、僕と同い年?年下にしか見えないんですけど。須藤オーナーの娘さんなのか。あまりそうは見えないな。僕が自己紹介をすると彼女はニッコリと微笑んだ。そのあどけない笑顔に少しドキッとする。どこの高校に通っているんだろう?まさか同じ高校だったりして?僕がそんなことを考えながら少しボ~ッとしていると、彼女はおもむろに先ほど運んできたダンボールの中からペットボトルのドリンクを取り出し、僕に差し出した。ラベルには「プロテイン・マンゴー味」と書かれている。
「はい、これあげる。お近付きの印に。いいでしょ?お父さん」
「ああ、構わないぞ。栗原君、それは俺のイチオシだからぜひ飲んでみて!」
「男子たるもの、きちんとタンパク質を摂らなくちゃね!」
前言撤回。やっぱり親子だ。僕はプロテインを受け取りふたりにお礼を言う。その後、美咲さんは近藤さんに声を掛けられ、ふたりは世間話で盛り上がっていた。僕は須藤オーナーに尋ねてみる。
「美咲さんも高校生なんですね。どこの高校なんですか?」
「ああ、美咲は共立第一高校だよ。栗原君の通う京成高校とは距離も近いんじゃないかな?」
共立第一。結構な進学校だ。確かにうちの高校から近いし、ひょっとしたら登下校中にすれ違ったことが一度くらいあるかもしれない。須藤オーナーの話によると、美咲さんも一応アルバイトスタッフとして四月からこのジムで働いており、取り分けジムが忙しくなる平日の17時から21時のピークタイムを中心に業務を手伝ってもらっているとのこと。僕のシフトと同じ時間帯なので、今後は彼女と一緒に働くことになりそうだ。
その日はそのまま帰宅。叔父と叔母にアルバイト先がようやく決まったことを伝えると、ふたりとも手放しで喜んでくれた。そして決して無理はしないように、辛くなったらいつでも辞めていいと、相変わらず僕のことを優しく気遣ってくれる。だからこそ、この人たちのためにも一生懸命頑張らなきゃと思えた。従兄の貴之も筋力トレーニングに興味があるらしく、「俺もそのうち「MS-FIT」に入会するかもしれないな」と話していた。身内に働いているところを見られるのは少し恥ずかしいような気もするけど、ジムの売り上げに貢献するのもアルバイトスタッフの役目だ。「その時はぜひ!」と返しておいた。
次の日、学校から帰宅した僕はアルバイトの準備を始めた。須藤オーナーから「動きやすい格好で」と言われたので、上は無地のTシャツ、下はハーフパンツという軽装でまとめ、最低限の荷物をショルダーバッグに詰め込み、僕は自転車でジムへと向かう。片道20分程度の道のりだ。ジムに到着すると建物の中から複数の話し声や、金属がぶつかるような音が聞こえてきた。トレーニングマシンの動作音だろう。時刻は16時45分。そろそろピークタイムに差し掛かる。学校帰りや仕事帰りの会員さんが続々とジムに集まりつつあるのだ。僕が自転車を駐輪場に停め、ジムに入ろうとしたその時、隣接する家屋の方から「栗原君」と呼び掛けられた。美咲さんだ。学生服姿である。
「おはよう!栗原君、今日は初出勤だね。しかも初めてのアルバイトなんでしょ?緊張してる?」
「おはようございます、須藤さん。もちろん緊張してますよ。慣れないうちは色々と迷惑を掛けると思いますが、ご指導よろしくお願いいたします」
「あはは、栗原君、何で敬語なの?タメ口でいいよ。同い年なんだし。あと私のことは「美咲」って呼んでね。「須藤さん」だとお父さんとこんがらがっちゃうから。会員さんも私のことを「美咲ちゃん」とか「ミサキン」って呼んでるし」
ええええ!?昨日知り合ったばかりの女子を下の名前で呼べと?そりゃ苗字呼びだとオーナーか美咲さんか区別がつかないってのは分かるけど。そもそも今まで彼女はおろか女友だちさえいたことのない奥手の僕にとってはエベレスト級のハードルの高さだ。呼ぶ時、絶対にドモるよ。どうしよう。
「栗原君。晩御飯だけど、先に食べる?それとも後で食べる?」
「へ?晩御飯?」
「あれ、お父さんから聞いてない?アルバイトスタッフの賄いだよ。ジムには食べるスペースがないから、家のリビングで食べてもらうんだけど。仕事の前に食べるか、終わった後に食べるか、どっちがいい?」
そうだった。このアルバイトは賄いが出るんだった。求人サイトにそう書いてあったのをすっかり忘れていた。なるほど、そういうことか。オーナーも説明し忘れていたんだろう。晩御飯がいただけるのはありがたい……けど叔母さんに晩御飯はいらないって伝えてないな。とりあえずメールしとかなきゃ。
「ちなみに私は今から食べるよ。21時まで待てないし」
「でも17時まであと10分ちょいしか時間がないけど、間に合うの?」
「ああ、少しくらいなら遅れたって大丈夫だから。どうする?一緒に食べる?」
一緒に食べる?昨日知り合ったばかりの女子と晩御飯を?僕の脳内がショート寸前だ。ここはあえて21時まで我慢すべきか?でも確かに辛い。現時点でもうお腹が空き始めている。きちんと食べておいた方が仕事にも身が入るだろう。一緒にいただくしかない。まさか始業前からこんなにも数々の試練に見舞われるとは……でも乗りこなすしかない。このビッグウエーブを。
僕は須藤家にお邪魔した。美咲さんの案内でリビングに通される。賄いを運んで来ると言って美咲さんはキッチンの方へと向かった。僕はテーブルの前に腰を掛けて待つ。リビングには大きな棚があり、その中には大小様々なトロフィーが飾られていた。「男子ボディビル日本クラス別選手権大会85kg級1位 須藤 正義」、オーナーのこれまでの受賞歴のようだ。素人の僕から見ても只者じゃないと分かる筋骨隆々な肉体。オーナーは日本でもトップクラスのボディビルダーなのかも知れない。
「おまたせ~!」
美咲さんがリビングに賄いを運んでくれた。いや、これは賄いなのか?まずテーブルの中央には大皿に盛られた照り焼きチキン。その周りには山盛りサラダのボウルとブリの煮付けや卯の花が盛られたタッパー。更にサツマイモの煮物の小鉢とかきたま汁も添えられ、お茶碗には玄米がこんもりと盛られている。何というか……凄くマッチョ飯です。賄いの範疇を超えている。
「あ、栗原君、玄米が苦手なら白いご飯もあるけど、大丈夫?」
「うん、玄米大好き」
「よかった~。遠慮せずたくさん食べてね!」
そういわれても、これを全部平らげたらお腹が苦しくて仕事どころじゃなくなりそうだ。ほどほどにしておこう。「いただきます」と食事を始める僕と美咲さん。大皿の照り焼きやボウルのサラダは美咲さんが小皿に取り分けてくれた。美味しい。栄養バランスも良い。さすがはジムオーナー宅の晩御飯だ。どんどん箸が進む。自分でも驚くほどモリモリ食べられる。しかし本当に驚いたのは美咲さんの食べっぷりだ。彼女もメチャクチャ食べる。どんどん消えていくおかずたち。その小さな体のどこにそれほどの量が収まるのだろうかと不思議に思えた。
「ごちそうさまでした!」
気付けばテーブルの上の料理はすべてなくなっていた。僕も結構食べたと思うけど、美咲さんの方が明らかに食べている。僕が4で美咲さんが6……いや、僕が3で美咲さんが7かもしれない。それくらい彼女の食べっぷりは凄かった。
「栗原君、お腹いっぱいになった?足りないならお代わりあるけど」
「いや、さすがにもうお腹いっぱい。この状態で動けるかなぁ」
「大丈夫だよ。初日だし。そんなにハードなことはしないから。それじゃ私、お皿を下げるからちょっとここで待っててね」
そう言うと彼女はお皿をまとめ、キッチンへと向かった。現在の時刻は17時10分。少しオーバーしてしまった。でもいよいよ今から僕の人生初のアルバイトが始まる。ひとり気合を入れ、僕は美咲さんが来るのを待った。数分後、彼女がリビングに戻って来た。着替えてきたのか、ユニフォーム姿だ。上着はジムのユニフォームで、下は俺と同じハーフパンツのスタイル。白い素足に少しドキッとした。彼女からユニフォームを渡されたので、僕もTシャツの上からそれを着る。「なんだかおそろいみたいだね」と微笑む彼女の笑顔に再びドキッとする。
そして僕と美咲さんは家を出て、ジムへと向かった。ジムを前にし、緊張する僕を気遣ってか、「大丈夫だよ!頑張ろう!」と彼女は俺の左手を両手でギュッと握り締めてくれた。彼女がジムのドアを開ける。いよいよだ。この胸の高鳴りが緊張によるものなのか、彼女の仕業なのか、その時の僕にはもう分からなくなっていた。
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