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番外編「休憩室のふたり」episode1.最悪なふたり(広瀬/北澤)
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休憩室のドアを開けたら、ホールで仕事をしているはずの北澤がいた。
ソファにだらしなく座って雑誌か何かを読んでいる。
俺の顔を見るとわざとらしい笑顔を作り、右手の指だけをひらひらさせて「お疲れ」と言ってきた。そういういかにも北澤な感じを見て、俺の疲れは二割増しくらいに増す。
最悪だ。
斉藤くんに教えることがあるから、と言って、森川はキッチンに残っている。そういう時に限って、何で北澤がここにいるんだ。
「何でお前がここにいるんだよ」
「ホールは、波多野さんと交代したから」
そうなのか。波多野さんは今年ソムリエ試験を受けるので、それに備えて経験を積みたい、と言っていた。それは理解できる。だけど俺の休憩時間に北澤がここにいるのは俺が困る。
「で? その後どう、森川とはうまく行ってる?」
案の定、鬱陶しい質問が来た。
「普通だよ」
「普通ってことはないだろ。なんか色々あるはずだ」
「なんか色々あったとしても、それをお前に報告するつもりはない」
「俺とお前の仲なのに、そんな冷たい言い方しなくても…」
「俺とお前の仲は、普通に悪いよ」
「そうじゃなくて、俺とお前は同じ…」
「北澤。それ以上言ったら殺す」
俺は休憩をしに来たはずだ。それなのに何で、こんな鬱陶しい奴に鬱陶しいことばかり言われて余計に疲れる羽目になるんだ。
「それ読んでたんだろ? 構わないから続き、読めよ」
北澤が放り出した雑誌を指さして言うと、北澤の目が面倒くさい感じに明るくなった。
「これ? これは読んでたって言うよりは、探してたんだよ」
俺が親切に、何を、とか訊くと思ってるのか?
「駅近で8坪くらいの居抜き物件がないかと思ってさ」
北澤は俺の無反応にもめげず自分で説明してきた。
物件?
ついうっかり、俺は北澤の顔を見てしまう。
「まあ全然、急いではないんだけど。物件探しってどんな感じなのかちょっと見てみようかと思って」
こいつシャリオドール辞める気でいる。
駅近で8坪っていうと、前に言ってた「斉藤くんとの夢のワインバー」にぴったりのやつじゃないか。
ふざけるなよ、と思ったけど、考えてみれば北澤に辞められて困ることなんか何もない。波多野さんがソムリエ資格を取ってくれれば、北澤の後任は充分以上に勤まる。
それに俺も、休憩室で鉢合わせして鬱陶しいことを訊かれずに済むようになる。
森川にまたちょっかい出されるんじゃないかって心配することもなくなる。
何ならその物件、俺が一緒に探してやってもいい。
「けど何か居抜きっていうと、やっぱ前の店の空気感が残ってんだよね。そこはかとなくラーメン屋、とか、そこはかとなくメキシカン、とか。内装外装やり直すにしても、そういう空気まで消し去れるもんなのか、ちょっと自信なくてさ」
自信がないならやめとけ、と俺は思って、自分の感情が変なエラーを起こしてることに気づく。
俺は明らかに、北澤に辞められたくないと思ってる。
どこだ、このエラーの原因は。
斉藤くんを連れて行かれると困る?
それも確かにある。
ああ、違う。原因は、森川だ。
俺と違って森川は、北澤と仲が悪いわけじゃない。それどころか一時は(というか通算すればかなり長い間)恋愛関係にあったわけだし、フェイドアウト済みとはいえ最近まで、はっきり別れようともしていなかったわけだし。
俺は多分、森川を傷つけるようなことを北澤にさせたくないのだろう。
もっと言えば俺は、北澤がこの店を抜けると知ったときの森川の反応を見るのが怖いのだ。
北澤、と俺は言った。
「物件探しは自分の家でやれ。そういうの、森川に気づかせるな」
俺は完璧に真面目だった、なのに北澤は面白がるような顔になって、身を乗り出して俺の顔を見てきた。
「広瀬ってそんなセンシティブな奴だった? いや、そうじゃなくてあれだ、森川がちょっとでも寂しがったらムカつくからだろ」
そうだよ。もう既にムカついてるけど。
それなら心配いらないよ、と北澤は言った。森川はもう知ってるから、と。
え?
「お前、森川に言ったのか?」
「俺じゃなくて、斉藤くんがさ」
「斉藤くんが?」
「メニューの試作してて、森川に味見してもらってんの。今やってるのもそれだよ。ダメ出し半端ないって斉藤くん、家でちょっと泣いたりすんだよ。それがまた可愛いんだけど」
そんな話が聞きたいわけじゃないんだよ。
「だからお前は安心してろ。それに、最低でも一年はここで修業したいって、斉藤くんは言ってるから」
ということはお前もまだあと一年はここにいるってことか?
それはそれで面倒臭いな、と思っていたら、北澤に心を読まれた。
「だから、そういう顔するなよ。いい物件が見つかったら、俺だけ先にそっち行くっていうのもありだし。いつまでもお前に睨まれながら仕事するのも疲れるしさ」
いや俺を疲れさせてるのがお前なんだよ、それも現在進行形で。
「けど俺、お前のそういうところ、実は嫌いじゃないよ」
俺はお前のそういうところ、大っ嫌いだよ。
「森川を真剣に好きなところ。あいつの気持ちを第一に考えて、あいつのこと守ろうとするところ。お前が俺を嫌うのはしょうがないけど、俺はお前のこと、けっこう好きだよ。イヴの営業ん時だって、ダーツの的にはしなかったし」
いい話なのかと思いかけたが、何なんだダーツの的って。
こいつのいる休憩室で休憩することは不可能なんだと思い知って、俺はもうさっさとキッチンへ戻ることにした。
あまり斉藤くんにきついことばかり言わないよう、森川に釘を刺しておこう。
※参照頁:3-3.また俺は余計な喧嘩を売ろうとしてる(広瀬諒/スー・シェフ)広瀬と北澤の因縁話。「斉藤くんとの夢のワインバー」は、Epilogue4のラストで北澤が語ってるやつです。
ソファにだらしなく座って雑誌か何かを読んでいる。
俺の顔を見るとわざとらしい笑顔を作り、右手の指だけをひらひらさせて「お疲れ」と言ってきた。そういういかにも北澤な感じを見て、俺の疲れは二割増しくらいに増す。
最悪だ。
斉藤くんに教えることがあるから、と言って、森川はキッチンに残っている。そういう時に限って、何で北澤がここにいるんだ。
「何でお前がここにいるんだよ」
「ホールは、波多野さんと交代したから」
そうなのか。波多野さんは今年ソムリエ試験を受けるので、それに備えて経験を積みたい、と言っていた。それは理解できる。だけど俺の休憩時間に北澤がここにいるのは俺が困る。
「で? その後どう、森川とはうまく行ってる?」
案の定、鬱陶しい質問が来た。
「普通だよ」
「普通ってことはないだろ。なんか色々あるはずだ」
「なんか色々あったとしても、それをお前に報告するつもりはない」
「俺とお前の仲なのに、そんな冷たい言い方しなくても…」
「俺とお前の仲は、普通に悪いよ」
「そうじゃなくて、俺とお前は同じ…」
「北澤。それ以上言ったら殺す」
俺は休憩をしに来たはずだ。それなのに何で、こんな鬱陶しい奴に鬱陶しいことばかり言われて余計に疲れる羽目になるんだ。
「それ読んでたんだろ? 構わないから続き、読めよ」
北澤が放り出した雑誌を指さして言うと、北澤の目が面倒くさい感じに明るくなった。
「これ? これは読んでたって言うよりは、探してたんだよ」
俺が親切に、何を、とか訊くと思ってるのか?
「駅近で8坪くらいの居抜き物件がないかと思ってさ」
北澤は俺の無反応にもめげず自分で説明してきた。
物件?
ついうっかり、俺は北澤の顔を見てしまう。
「まあ全然、急いではないんだけど。物件探しってどんな感じなのかちょっと見てみようかと思って」
こいつシャリオドール辞める気でいる。
駅近で8坪っていうと、前に言ってた「斉藤くんとの夢のワインバー」にぴったりのやつじゃないか。
ふざけるなよ、と思ったけど、考えてみれば北澤に辞められて困ることなんか何もない。波多野さんがソムリエ資格を取ってくれれば、北澤の後任は充分以上に勤まる。
それに俺も、休憩室で鉢合わせして鬱陶しいことを訊かれずに済むようになる。
森川にまたちょっかい出されるんじゃないかって心配することもなくなる。
何ならその物件、俺が一緒に探してやってもいい。
「けど何か居抜きっていうと、やっぱ前の店の空気感が残ってんだよね。そこはかとなくラーメン屋、とか、そこはかとなくメキシカン、とか。内装外装やり直すにしても、そういう空気まで消し去れるもんなのか、ちょっと自信なくてさ」
自信がないならやめとけ、と俺は思って、自分の感情が変なエラーを起こしてることに気づく。
俺は明らかに、北澤に辞められたくないと思ってる。
どこだ、このエラーの原因は。
斉藤くんを連れて行かれると困る?
それも確かにある。
ああ、違う。原因は、森川だ。
俺と違って森川は、北澤と仲が悪いわけじゃない。それどころか一時は(というか通算すればかなり長い間)恋愛関係にあったわけだし、フェイドアウト済みとはいえ最近まで、はっきり別れようともしていなかったわけだし。
俺は多分、森川を傷つけるようなことを北澤にさせたくないのだろう。
もっと言えば俺は、北澤がこの店を抜けると知ったときの森川の反応を見るのが怖いのだ。
北澤、と俺は言った。
「物件探しは自分の家でやれ。そういうの、森川に気づかせるな」
俺は完璧に真面目だった、なのに北澤は面白がるような顔になって、身を乗り出して俺の顔を見てきた。
「広瀬ってそんなセンシティブな奴だった? いや、そうじゃなくてあれだ、森川がちょっとでも寂しがったらムカつくからだろ」
そうだよ。もう既にムカついてるけど。
それなら心配いらないよ、と北澤は言った。森川はもう知ってるから、と。
え?
「お前、森川に言ったのか?」
「俺じゃなくて、斉藤くんがさ」
「斉藤くんが?」
「メニューの試作してて、森川に味見してもらってんの。今やってるのもそれだよ。ダメ出し半端ないって斉藤くん、家でちょっと泣いたりすんだよ。それがまた可愛いんだけど」
そんな話が聞きたいわけじゃないんだよ。
「だからお前は安心してろ。それに、最低でも一年はここで修業したいって、斉藤くんは言ってるから」
ということはお前もまだあと一年はここにいるってことか?
それはそれで面倒臭いな、と思っていたら、北澤に心を読まれた。
「だから、そういう顔するなよ。いい物件が見つかったら、俺だけ先にそっち行くっていうのもありだし。いつまでもお前に睨まれながら仕事するのも疲れるしさ」
いや俺を疲れさせてるのがお前なんだよ、それも現在進行形で。
「けど俺、お前のそういうところ、実は嫌いじゃないよ」
俺はお前のそういうところ、大っ嫌いだよ。
「森川を真剣に好きなところ。あいつの気持ちを第一に考えて、あいつのこと守ろうとするところ。お前が俺を嫌うのはしょうがないけど、俺はお前のこと、けっこう好きだよ。イヴの営業ん時だって、ダーツの的にはしなかったし」
いい話なのかと思いかけたが、何なんだダーツの的って。
こいつのいる休憩室で休憩することは不可能なんだと思い知って、俺はもうさっさとキッチンへ戻ることにした。
あまり斉藤くんにきついことばかり言わないよう、森川に釘を刺しておこう。
※参照頁:3-3.また俺は余計な喧嘩を売ろうとしてる(広瀬諒/スー・シェフ)広瀬と北澤の因縁話。「斉藤くんとの夢のワインバー」は、Epilogue4のラストで北澤が語ってるやつです。
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