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3-3.また俺は余計な喧嘩を売ろうとしてる(広瀬諒/スー・シェフ)

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 レストランの営業は、いつもトラブルと背中合わせだ。店側がどれだけ完璧に準備をしても、お客さんという不確定要素が絡んでくれば、その準備が役に立たなくなることだってある。クリスマス・イヴの忙しさなら、まして店内のスタッフが二名も体調不良だか傍迷惑な恋愛問題だかでゾンビになっていたら、無事に一日の仕事を終えられる見込みは格段に低くなる。
 森川が北澤を洗い場送りにした時、俺は正直、采配ミスじゃないかと思った。斉藤くんの近くに置けば余計そっちに気を取られるだろうし、洗い場の仕事が北澤に向いてないのは明らかだったから。
 けど奇跡的に、北澤は洗い場のポジションをちゃんとキープした。
 文句も言わず、皿の一枚も割らず、斉藤くんを口説きもせず。
 ホールの方も何の問題も起きなかった。途中で倉田さんがキッチンの中まで入って来て、波多野さんの仕事ぶりを絶賛して戻って行った。あと北澤がデキャンタージュに出て行って客席から喝采を浴び、得意げに戻って来た。
 二巡目の鴨の提供が終わると俺と森川はいったん小休止で、斉藤くんも提供の手伝いを終えることになる。手、空いたんで洗い場手伝ってきます、と斉藤くんは言って、それがあまりにナチュラルな申し出だったので、俺も森川も、あ、じゃあお願いね、みたいなリアクションになった。けど洗い場にいるのは北澤で、手伝いに行くのは斉藤くんだ。
 あの二人をいま一緒にしちゃまずいんじゃないのか。
 俺は森川にその懸念を伝えた。けど森川は逆に、そうじゃない、と言った。
「仕事に支障が出ないようにって引き離したとしても、恋愛の引力ってずっと働き続けるんだからさ。しんどい思いさせるよりは傍にいられるようにしたほうがいいかと思って」
 その優しさだよ。それが余計な摩擦を生むことだってあるんだよ。
「俺ずっと森川と一緒にいるけど、そういう配慮してもらったこと一回もないわ」
「だから、ずっと一緒にいたんだからそれでいいじゃない」
「それをお前の、俺に対する配慮だって言うつもりか?」
「そうじゃないよ。特に配慮の必要もなかったって意味で」
「別の意味で必要な配慮があっただろ」
 まずい。また俺は余計な喧嘩を売ろうとしてる。そう思ったけど、森川は笑って答えた。「解ったよ。じゃあこれから配慮するからさ、先に休憩行ってて」
 森川の手が肩に触れる。これもひとつの配慮か、と俺は気づく。

 俺と森川が通っていた大学の近くに、アルカン、という名前のアイリッシュ・パブがあった。スタウトビールのサーバーや本格的なアイリッシュシチューなんかも置いてたけど、学生街らしく頼めば唐揚げでも何でも出してくれた。深夜の二、三時まで話し込んでも嫌な顔をされない居心地のいい店で、いわば俺と森川の行きつけの店だった。
 卒業間近のある日、アルカンという店名がどこ由来なのか気になって、高校の時やった化学のやつじゃないか、という話を森川としてたら、オーナーの名前だよ、と横から教えてきたのが北澤だった。
「名倉っていうの、アルファベットにして逆から読んだだけ」
 北澤もその店の常連らしく、オーナーと気さくに喋ってる感じだったから、話しかけてきたことにもそれほど驚かなかった。NAKURA。ARUKAN。その安直な命名に脱力した俺らはその日、北澤も交えて三人で朝まで飲むことになった。
 そこから森川が北澤と付き合い出すまで、ほぼ三か月くらいだったと思う。
 俺はそもそも、森川と二人で飲んでるとこに割り込まれた形であまりいい印象は持たなかった。そいつの顔がやたら美形なのも、立ち居振る舞いがちょっと舞台俳優っぽく芝居がかっているのも、喋る時にしょっちゅう手をひらひらさせるのも鬱陶しかったし、その指がまた、確かに男の手指なのに妙な色気を感じさせるのも気に入らなかった。
 俺は徐々にアルカンに行かなくなり、森川も俺を誘わくなり、およそ三か月後、その間ずっと森川が一人で店に行っては北澤に会ってたことを知った。近所の酒屋で会ったアルカンのオーナーから聞いた。あんたとよく一緒に来てたお友達、侑弥とできちゃったみたいだね、と言われた。普通なら、ユウヤって誰だよ、と思うはずだけど、そうはならなかった。北澤はいかにもユウヤって感じだった。
 殺意しかなかった。関係を壊すのが嫌で四年近くずっと言えずにいた俺の気持ちを、会って三か月の他人が軽々と踏み躙っていったのだ。それがどうしても許せなくて、俺は森川に会うのも避け、部屋に閉じ籠って北澤を呪った。北澤を刺そうとしたら庇ってきた森川を刺してしまう、という夢すら見た。
 呪いで人が殺せるなら北澤はあの頃、五百回くらいは死んでるだろう。
 けど、二人は長続きしなかった。この時は。
 森川は卒業後、在学中から準備してきたシャリオドールの開業に向けて忙しかった。北澤はワインバーで夕方から深夜まで働いていたから、そもそも時間が合わなかった。じゃあ二人が別れたタイミングで俺が言えば良かったのかというと、そのタイミングで俺は北澤を呪うことに使ってるエネルギーをもっとましなことに使おうと決意し、年下の彼女と付き合い始めていた。
 勘のいい子だったし、そうでなくても、しばらく付き合って軽いキスやハグ以上のことが起こらないとなると、嫌でも気づくだろう。けどその子は気づいてもそれを態度に出さなかった。俺を問い詰めたりもしなかった。一緒に食事をしたり街歩きしたりして、俺はサービス精神旺盛でも女性受けするような性格でもないのに、諒くんといると楽しいし幸せ、と言っていた。
 別れる時も彼女は俺に向かって、他に好きな人いるでしょ、とは言わなかった。ごめん、楽しかったし幸せだったけど、他に好きな人ができちゃった、と言った。本当か嘘かは解らないけど、俺は信じた。ずるく信じた。
 やがて店の物件が決まると、俺は自分の仕事を整理して森川に合流し、シャリオドールは営業を開始した。本音を言うと、俺はあの頃の自分がいちばん幸せだったと思う。カウンター8席だけの営業で、森川が料理、俺がそのサポートとサービス。料理も雰囲気も今よりかなりカジュアルで、客席との距離が近いのも良かった。
 けど、ホール席も使ってスタッフも増やして本格的なコース料理を提供する、というのが最初から目標としてあったから、そこに安住することを森川は嫌がった。俺も表立って反対はしなかった。ただ、問題はホール席を開けるにはサービスに最低二人は必要だという試算と、その人選だった。
 ベテランの倉田さんがホール責任者として来てくれたのは、めちゃくちゃラッキーだった。業界の経験も長く、店全体の雰囲気をしっかりと落ち着きのあるものに変えてくれた。俺と森川では経験も浅く年齢的にも若すぎて、あんな安心感はとても醸し出せなかった。
 その倉田さんが、あと一人は自分の補佐を置くより専任のソムリエを置くほうがいい、と断言したのだ。バッジ持ちのソムリエがいるのといないのとでは、お客様の目が変わりますよ、と。
 それを聞いた時、俺は何となくアルカンを思い出した。そこにいたユウヤを。
 そしたら案の定、森川が連れて来たのは北澤だった。
 それから二人はまたずるずると関係を持ち始め、俺の受難の日々が再び始まった。

 ノックの音はしなかった、というか、俺が気づかなかっただけかもしれない。
 いきなり休憩室のドアが開いて、相原くんがふらふら入って来たと思ったらそのままソファに身投げして、死んだように動かなくなった。ここで死んでるの二人目だな、と思いながら、斉藤くんが畳んだ毛布を広げて掛けてやった。
 しばらくして今度は軽めのノックが聞こえ、森川が顔を覗かせた。
 軽く打ち上げやるから、と森川は言った。
「打ち上げ? ホールと洗い場、まだ終わってないだろ」
「だから軽く、だよ。乾杯だけして、早番のメンバーは上がらせてもらう」
 早番のメンバーというのは仕入れ仕込みをしてた森川と俺と相原くん、ワインの発注管理をしてた北澤の四人だ。
「キッチン集合。北澤が自腹でシャンパン開けるってさ」
 今に限って森川の口から聞きたくない名前だ、と思ったら、森川は続けてこう言った。「北澤がっていうか、俺の元カレが?」
 文字だったら傍点がついてるか下線が引いてあるか太字になってるみたいに、そこをひどく強調して。
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