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2-6.この日だけの特別な楽しみ(倉田聡一/メートル・ドテル)

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 クリスマス・イヴの営業は確かに忙しいが、私には毎年この日だけの特別な楽しみがある。
 それは、友人の一人息子でありこの店のパティシエでもある颯太君が作る、我が家の特注ケーキだ。毎年、妻の瑞希のリクエストで、我々二人の結婚記念日のためだけに作ってくれる。今回は抹茶だと聞いていたので、私もとりわけ楽しみにしていた。
 今年は新作のブッシュ・ド・ノエルがあるから、私のほうの抹茶ケーキも同じ構成で来るのじゃないか、と予想していた。合わせる素材はホワイトチョコレートか、敢えてビターチョコか。ただフロマージュ・フレーズもつくっているから、抹茶にクリームチーズ、というコンビネーションもあり得る。フルーツは想像しにくいから、メインの味はその辺りに落ち着くだろう。
 颯太君はあまり奇抜な素材は使わない。オーソドックスなレシピをベースに、素材の組み合わせで変化をつけ、見た目や食感で遊びを加えてくる。何というのか、全体の構成が非常に洗練されていて、私などはいつも感心させられる。
 彼をこの店に呼んだのは確かに私なのだが、実際のところ、森川シェフに彼自身を引き合わせたわけではない。シェフに限って、颯太君の人見知りや吃音を問題にはしないだろうと信じてはいたが、最初に引き合わせたのは本人ではなくケーキの方だった。
 当時はまだ今のような(悪い意味で言うのではないが)無機的な立方体ではなく、丸くつくったタルトやムースが主だった。料理に使うハーブを素揚げにしたり桃にローズを合わせたりと、たまに意表をついてくることもあったが、口にしてみるとどれも綺麗に調和していた。
「尖ったことやんなきゃって、いろいろ試したけど、ちがくて」
 試作品を私に渡す時、彼はそう言った。「ふつーに自分が、楽しい、美味しい、って思えるのにした。緊張したけど、めちゃ楽しかった」
 今から四年前の話だ。
 シャリオドールはそのさらに二年前、森川シェフと広瀬君が二人で始めた。もともとカジュアルなイタリアンレストランだった建物で、二人でやるには広すぎるので初めはホール席を閉鎖し、キッチンとカウンター席だけで営業していた。それを、より本格的なコース料理を出す店にしたい、というのでホールを改装し、私とソムリエの北澤君が加わった。
 デセールは外から仕入れたものに広瀬君が手を入れて出していて、パティシエは置かないのかと思っていた。だから、実はずっと探しているが見つからないのだと聞いて、すぐ颯太君に試作してみないかと持ち掛けた。
 求められているレベルが高すぎるかもしれないと思ったが、シェフは颯太君のつくった五種類の試作品を一目見て、ああ、これはいいですね、と言った。それから外科手術でもするような手つきでフォークを入れ、ひとつ食べ終えるまでに永遠に近いような時間をかけ、食べ終えると、これはすごくいい、と言った。
「うちに来てくれるなら大歓迎です。条件については広瀬と相談を」
 他のことは何も訊かれなかった。資格も、経験も、年齢も。
 初めて店を見に来た颯太君が、キッチンがオープンなの無理、と言い出して私を愕然とさせた時も、シェフはあっさり「レイアウトはある程度なら変えられるから、製菓スペースが外から見えないようにすればいい」と言ってくれた。
 そして颯太君はシャリオドールの正式のパティシエになり、それからもどんどん腕を上げ、今に至っている。

 森川シェフの采配のおかげか、二巡目の提供は比較的スムーズに進んだ。
 オードブルの提供にも遅れはなく、したがってグラスシャンパンをサービスする必要もなく、鏑木君が皿の三枚持ちをいつの間にかできるようになっていたという余禄すらあった。いつから、と訊くと、「鰆ん時ですかね」と答えてきたから、本人にも「あ、できてる」と気づいた瞬間があったのだろう。私は思わず右手の手のひらを彼に向って上げ、困惑されるかと思いきや、鏑木君はにやっと笑って無言のハイタッチに応じてくれた。
 そして、何より波多野さんの仕事ぶりが素晴らしかった。ワインの抜栓やサービスの経験はほとんどないはずだと思っていたのに、彼女は本職のソムリエ並みにそれらをこなし、こう言っては難だが今日の北澤くんより格段に「できるソムリエ」だった。
 たまたまキッチン近くで一緒になった時、完璧ですね、すごい、と私は耳打ちした。
「昔ソムリエ試験受けようと思って、だいぶ練習したんです」
「そうでしたか」
「アホでしょ、実務経験ないとあかんって知らんかったんです」
「ああ、でも、来年なら受けられますね」
 何の気なしにそう言うと、波多野さんははっとした顔をして、ほんまや、と呟いた。
 波多野さんの職歴は、斉藤君には及ばないまでもかなり転職の連続だった。一般事務、コールセンター、アパレル、ホテルスタッフ等々。飲食店の経験はまったくなかったが、面接時のシェフの「喋った感じがすごくいい」という感想と、カクテル作りが趣味でコンペティションでの受賞歴もある、というので採用が決まった。
 シェフの受けた印象に間違いはなく、波多野さんがシャリオドールで三年目を迎える今年、彼女のいるバーカウンターはスタッフ全員の悩み相談室のようになっている。皆、何かもやもやすることがあるとそこに立ち寄るのだ。あの鏑木君ですら立ち寄る。というより、彼がいちばんの常連かもしれない。鏑木君の方でも私より波多野さんのほうが話しやすいだろうし、今ひとつ彼との接し方が解らない私にとっても有難いことだった。
 メインの鴨を出したタイミングで、鏑木君に、今回も鴨の片付けとドリンクオーダーは任せるから、と伝えた。一巡目のミスで委縮している様子はないから、大丈夫だろう(あれは確かにあってはならないミスだったが、お客様の方にももう少し、忍耐や他のお客様への配慮があっても良かった)。
 そしてデセールの準備をしに厨房に行くと、ふいに斉藤君の笑顔が目に入った。何とはなしに目が吸い寄せられるような感じがして、しばらく私はその顔を追った。一巡目の駄目さとはまるで別人のような明るい表情で、シェフたちと一緒にてきぱき作業をしている。
 しかし何だ、ずいぶん可愛らしい顔で笑うもんだ。
 そう思いつつ、意識して視線を外した。
 奥の入り口をノックすると、颯太君が慌てた様子で顔だけ出し、「こっち入んないでください、倉田さんこっち入っちゃ駄目す」と制止してきた。
「でも、そろそろデセールの準備しないと」
「持ってきます、持ってくるんで、いいから、そこで」
 彼にしてもおかしな声色でそんな風に言って、颯太君は引っ込んだ。デザートワゴンはもうほとんど準備が終わった状態で、颯太君は二つのアトマイザーを両手に持って「今回これ挑戦します?」と訊いてくる。
「いや、間違ってぜんぶ台無しにするわけにはいかないから」
「大丈夫しょ、倉田さんなら。折角なんでフルデコレーション、やって下さい。北澤さんのアイデアっちゃそうすけど、僕も、いいアレンジだと思ってるんで」
 そう言われて、なし崩しにデザートワゴンにアトマイザーが二つ乗せられてしまった。
 気に入っているのか、と意外に思った。最近の颯太君はことあるごとに北澤君をディスるので(ちなみにこれは彼からの自己申告で、ディスる、という言葉を私は初めて知った)、てっきり「いいすよ、あんなの。ソムリエの人が出しゃばってやりたがった勝手なアレンジなんで」とでも言うのだろうと思っていた。
「じゃ、お願いしゃす、あと奥は絶対、入んないで」
 私によほど入られたくないらしく、さらに念を押された。
 そうして実際、二巡目のデセールにリキュールの演出を加えたところ、北澤君のアイデアは素晴らしいものだと解った(私は冷や冷やしながらも何とか最後まで間違えずに遣り遂せた)。ケーキをカットした瞬間に歓声が上がるのは当然のこととして、颯太君いわくの「シュッて」した時の香りにもう一度、お客様から歓声が上がるのだ。
 サービスを終えてワゴンを戻しに、そして颯太君のデセールがリキュールも含め大好評だったと伝えるために、私は厨房へ行った。
 するとオーブンの向こうから、カッコーの鳴き声が聞こえた。
 カッコー。カッコー。
 これは颯太君が何かを冷やすときにかけるタイマーだった。デセールの提供が終わった今になって冷やし終わったということは、それは私たちのアニバーサリー・ケーキに他ならない。ということは、ムースにしたのか、それともテリーヌか。
 予想を裏切られてより期待が高まる、それが颯太君の、もとい当店パティシエの素晴らしいところだ。
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