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8.私がとやかく言うことちゃうんやけど(波多野朱里/受付兼バルマン)

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 あーあ、と思った。ほんまにあいつチャラい。チャラいっていうか仕事が軽い。お仕事軽くみたらあかんで、ってあんだけ言うたのに、全然響いてへんやん。
 っていうか鏑木くん、「チャラい」って言われるたんびに「俺チャラくなんかないっすよ」って真顔で反論してるけど、そもそもあんたがチャラいって言われる理由、面接にアロハとビーサンで来たせいやから。そんなん後世まで語り継がれること確定やから。

(今このタイミングで私が求められてない感すごいあるけど、もうちょっとだけご寛恕くださいやで。次はちゃんと恋愛担当の斉藤くんにバトン渡すし。って誰に向かって言うてんの私)

 しかも働き始めてまだ二か月くらいの時に、席予約したいって言ってきて、こっちが「え、それマジで言ってんの」ってかなりネガティブなリアクション返してんのに、「はい、マジで」って平然と答えるし。「訊いて良ければやけど、誰と来るん?」って言ったら悪びれもせず「あ、彼女っす」って答えるし。
「なんか苦手な食材とかは?」
「キノコが駄目っすね。キノコ類がもう全滅で」
 まあレストランである以上、お客様に美味しく心地よく過ごして頂きたいのはもちろんやし、だからこそ苦手な食材を事前に確認するんやけど、そこ全滅なんやったら秋の茸シーズンに来んといてって思った。季節感大事にしてメニュー考えるシェフの身にもなって。
「波多野さん、このご予約なんだけど、鏑木様って」
「そうなんですよホールの鏑木君ですよ。なんか、彼女連れてくるとかで」
「茸が駄目って本人じゃなくて彼女さんだよね。鏑木くん、まかないで普通に食べてたし。まあ、何か考えるよ。芽室のごぼうだと、ちょっと原価下げすぎかなあ」
「原価なんか幾らでも下げていいですよ。もう下げ切っちゃって大丈夫です」
「あ、菊芋にキャビアとか? 糸唐辛子あしらってもいいね」
 うわ、と思った。菊芋にキャビアって。
 私は別に、本格的に料理の勉強なんかしてへんけど、それでも森川シェフの料理のすごさは解る。そんなん今まで聞いたことないで、っていう組み合わせをパッて思いついてサッて作って、そんで出来上がった料理がまた初体験の衝撃で、「初体験て、たぶんこのぐらいの達成感とこのぐらいのガッカリ感でできてるんやろうな」っていう予想を190度くらいひっくり返してくる。
 あと森川シェフの、メニューや食材のことを想像してるときの、相談とも独り言ともつかん呟きの、語尾が間延びした感じになるん好きやわ。森川シェフってちょっと動きがフワフワしてて、鼻歌うたいながら料理してるみたいな感じあって、それもまたいいねん。なんか楽しそうで、せかせかしてないっていうか。
 だから私に言わせたら、キノコ無理って言ってるその彼女でもシェフの料理やったら食べれるかもしれへんし、何よりその時期のスペシャリテがシェフの新作「黒トリュフとマッシュルームのカプチーノ仕立て」で、そんなん食べんと絶対もったいないやん。
 まあ、シェフがいいって言うんやったら、私がとやかく言うことちゃうんやけど。
 そう思って、その時はひとまず怒りを鎮めたんやけど。
 予約当日、倉田さんから「アルバイトスタッフとは言っても、当日は飽くまでもお客様ですから」って言われて、完全にそのつもりでいたんやで、私は。
「いらっしゃいませ鏑木様、二名様、お待ちしておりました」
「あ、お疲れ様っす、あ、こっち、連れっす」
 なんでそんな急に身内感出して来るん。しかも今それ紹介されても私どうしようもないやん。
「あ。どうぞ。ご案内いたします」
 引きつりかけた笑顔でそれしか言えんかったわ。

 鏑木くんて、そもそも最初から距離感が難しかってん。チャラいんやったら打ち解けるんは早いやろと思ってたら意外と閉じてる感じで、所詮バイトなんやし他の人らと仲良くなる必要ないって思ってるっぽくて、仕事も適当な感じやから倉田さんとは相性最悪のパターンやった。しかも最初に鏑木くんのそういう感じ突破しに行ったんが相変わらずの北澤くんやん。もう、揉め事の気配しかなかったわ。
 案の定、なんでか解らんけど北澤くん、鏑木くんには二度と触らんことに決めたみたいで。この二人は今でも絶対に目、合わさへん。これも私が訊くんも変やし二人ともなんにも言わんから、しゃあなし放っとくことにしたんやけど。
 倉田さんは(自分の子供くらい年齢差あんのに)全力で人見知りしてて自分から鏑木くんをほぐそうなんてせえへんし、相原くんも(せっかく同い年やのに)全力で人見知りしてて積極的に避けてるし、広瀬さんは相変わらずシェフと二人だけの世界に浸りきってるし、斉藤くんは(これはまあしゃあないけど)自分も新人やから、仕事覚えるのに必死やし。
 唯一森川シェフだけが笑顔で話しかけたりしててまだ希望持てるんやけど、あんまりホールのスタッフにまで気ぃ回させるんも申し訳ないし、人手足りてへんのにすぐ辞められても困るから一応、私が気をつけて声掛けるようにしてたら結果、鏑木くんは仕事終わりにバーカウンターに来てなんかいろいろ喋るようになった。しかも帰り道がおんなじ方向やって解って、そのうち一緒に帰るようになった。
 あーあ。めんどくさ。

 とりあえず、鏑木くんと彼女は平和裏に食事を終えた(またその彼女がすごい大人っぽくて感じいい子やったから、え、あなた、ほんまに鏑木でいいんですかって訊きそうになった)。スープは芽室産ごぼうのポタージュになってたけど、シェフは原価対策にあん肝のムースを乗せてた。彼女がすごい喜んで「このスープの味、一生忘れません」って森川シェフに伝言頼んだって聞いて、ますますめっちゃいい子やん、ほんまのほんまに鏑木でいいんですか、と思った。
 森川シェフは伝言聞いたからなんか、広瀬さんと二人して鏑木カップルをわざわざ見送りに出て来た。
「ご来店、ありがとうございました。よろしければまた是非、お越しくださいね」
 二人そろって、親しみも込めた上でめちゃめちゃジェントルな挨拶するんが神々しかった。こういう場面を見せてくれたのが鏑木くんなんやなと思ったら、怒ってたこと忘れるくらいやった。
 それに、鏑木くんは彼女に美味しいものを食べて欲しいと思って連れて来たんやろう、ついでに自分が働いてる店を見せたかったんやろう。
 そういう感じでわりと感動してたのに。
「あれ、彼女じゃなかったね」
 っていう爆弾発言をしたのは森川シェフで、驚きすぎて何の返事もできんかった。
「支払いの時、カードの署名見なかった? 鏑木くんが書いてたけど、本人の名前じゃなかったでしょ」
「え? どういうことですかそれ」
「かぶらぎしおん、て書いてたし。お姉さんかな」
「でも予約の時には、彼女って言うてましたよ」
 私が言うと、シェフはちょっと肩を竦めて「そりゃ、なんかあったんじゃないのかな。彼女が急に来られなくなって、代わりにお姉さんを誘ったとか」
 いやいや、彼女が来られんくなったからって、大学生の男が実の姉を誘うか?
 まあ次会ったら訊いてみよ、と思ってたのに翌日は私が休みやって、その次の日は鏑木くんが休みで、そのさらに次の日は店の定休日で。結局、次に会った時はもう北澤くんとなんかあったらしいって話で持ち切りになってて、あーあ、と思って、それっきりになってたことを今思い出した(私の鏑木くんに対する興味はその程度やったっていう話)。
 なんで今思い出したかって、鏑木くんに「あーあ」って思わされたの何回目やろう、と思ったからで、一回目はアロハ&ビーサンのときで、二回目は北澤くんとなんかあったって聞いたとき。三回目は、これからずっと一緒に帰る羽目になるって気づいたとき。
 今日で四回目やった(意外と少ない)。
 鏑木くん、ディジェスティフ頼もうとしたお客さんを私に取り次ぐのより、紅茶かコーヒーか全員に訊いて回るほうを優先したらしくて。結果、四番テーブルの紳士は「バルマンが来るのが遅すぎる」ということでご立腹され、デザートもいらん、もう帰る、と騒いで散々ホールの空気を悪化させ、連れのご婦人をめっちゃ気まずい立場に追い込んだ。
 正直そこまで怒るほどのことちゃうやん。っていうかこういう人種まだ生存してたんや。
 半ば懐かしいくらいの感覚で、ディジェスティフは当店からのサービスにすること、店にある中で最高級のクリームシェリーをお出しすることを伝えてひたすら頭を下げていたら、急にふっと「それなら貰おう」と、怒り終わって満足した、みたいな感じで席に座りなおしてくれた。
 鏑木くん全力でへこんでたけど、紅茶とコーヒーは一応ちゃんと運んでた。
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