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思い出のシュトレン
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シュトレンという発酵菓子がある。
たっぷりのバターが使われた生地に、洋酒を染み込ませたナッツやドライフルーツを練り込んだ、菓子パンのようなもの。クリスマスに向けて食べる伝統菓子のようなもので——歓迎会にも、一部だが出されていた。
一部、というのには理由がある。発酵菓子なので、日を置くと味わいが変化していくため、一度にすべては出さなかった。
——というわけで。
「……いかがですか?」
プレートの上、スライスされたシュトレン。フォークでさくりと崩した彼女は、ひとかけらを口に含んだ。
メルウィンはどきどきと見守る。香りは完璧。洋酒の強さはなくなり、まろやかに包み込むような深みが、しっとりとして全体と合わさり——彼女の瞳が、輝いた。
「とても、おいしい」
「よかった!」
歓迎会のときよりも風味豊かなシュトレンに、彼女は感動していた。
「かおりが、いっぱい。ぜんぶが、まとまって……おいしい」
「そうなんです! 発酵が進むと、こんなに変わるんですよ」
「おもしろいね」
興味深げにシュトレンを見つめている。赤ワインや紅茶も合うだろうけれど、今日はフルーティな珈琲とともに。調理室ではなく、食堂の片隅、ふたり並んで食していた。のんびりとしたカフェタイム。暖かな室内から見ていると、背後の窓の外に広がる雪景色も、ふわふわとして気持ちよさそうに見える。実際はとっても寒いので、飛び込みたくはないけれど。
(上手にできあがってよかった……)
口許をほころばせつつ、「これは、なんの、ふるーつ?」「えっと、これは……」シュトレンの中身について説明していると、食堂のドアが開いた。
くすんだ金色の髪。今ではすっかり見慣れた、金髪のセト。うっすらと髪が濡れていた。
「セトくん、外にいたの?」
「おう……お前ら、なに食ってんだ?」
はらはらと降っていた雪で濡れたのだろう。重たげな前髪を掻き上げながら、セトは廊下側から歩いてきた。窓側の端にいたメルウィンのところまで、たぶん期待した目でやってきたセトは、プレートの上を見て眉間を狭めた。
「………………」
「……えっと……セトくんも、シュトレン、食べる?」
「——いや、要らねぇ」
すっと、不愉快な表情を消して、いつもどおり。てっきり残りのシュトレンを丸ごと奪われると思っていたメルウィンは、意外な返答に目を丸くさせた。
(あれ? セトくんってシュトレン嫌いだったかな?)
メルウィンが作ったのは初めてだが、子供の頃にはよく出されていたはず。甘いものに目がないセトも、喜んで食べていた気がするのだけど……。
思い出をさぐっていると、横にいた彼女も意外そうに首をかしげて、
「〈しゅとれん〉、とっても、おいしいよ」
何か別のものをオーダーしようとしていたセトは、彼女の誘いに、目線を彼女へと。一瞬、考えるように止まった。
「……なら、ほかのやつに持っていってやればいいんじゃねぇか?」
「せとが……すきな、あじだと……おもう」
それは、メルウィンも思う。
洋酒の香りが甘く広がっている。
「……せとは、〈しゅとれん〉が、きらい?」
「いや……好き、だ」
好き。それを認めることを、ためらうような間があった。
重なる何かを振り払うように目を閉じて、「そうだな。俺も貰う」メルウィンの向かいへとセトは腰かけた。
「……メルウィンが作ったのか?」
「ぇ……ぁ、うん、そうだよ」
「そうか」
ロボがスライスしたシュトレンが、ひと切れ。セトの前に置かれる。フォークでざっくりと刺し、大きめを、ひとくちで。
「……おお、美味いな」
セトの感想に、横の彼女が笑顔を見せ——そこに目を向けたセトは、わずかに硬直した気がしたが——「めるうぃんは、じょうず」やわらかい褒め言葉を唱えた。
セトは「そうだな」短く返し、言い足りないようにもう一度、口を開いて、
「お前の料理は、すごく美味いから……俺の知ってる味を、いつも軽く越えてく。ありがとな」
「ぇ……っと、どういたしまして?」
すこし分からない感謝に、メルウィンは不思議な気持ちをいだきつつ、応えた。嫌いだと思われたシュトレンは、やはり好物らしく、セトは追加オーダーして……ぁ、全部なくなりそう。
「……セトくん、あの、すこしは残して……」
「美味いから無理だ」
「そんな……」
メルウィンの訴えは、あっさり却下される。
そんなやり取りに、隣では彼女が小さく笑っていた。
穏やかな午後。
甘やかでふくよかな香りと、珈琲の温かな湯気が漂う。
どこか懐かしい空気に、ふと、メルウィンの脳裏で遠い記憶が……
(ぁ……そういえば、セトくんのお父さんって……)
——メルウィン。シュトレンは、私の好物なんだ。マシンでは、何かが違う。妻も挑戦してくれるのだが、なかなか好みの味にならなくてね……何が足りないのだろう? 君なら、分かるかな?
はるか彼方の思い出から、低い声で尋ねる男性の姿が浮かぶ。
そのひとは——かつてのセトと同じ、黒い髪をしていた。
たっぷりのバターが使われた生地に、洋酒を染み込ませたナッツやドライフルーツを練り込んだ、菓子パンのようなもの。クリスマスに向けて食べる伝統菓子のようなもので——歓迎会にも、一部だが出されていた。
一部、というのには理由がある。発酵菓子なので、日を置くと味わいが変化していくため、一度にすべては出さなかった。
——というわけで。
「……いかがですか?」
プレートの上、スライスされたシュトレン。フォークでさくりと崩した彼女は、ひとかけらを口に含んだ。
メルウィンはどきどきと見守る。香りは完璧。洋酒の強さはなくなり、まろやかに包み込むような深みが、しっとりとして全体と合わさり——彼女の瞳が、輝いた。
「とても、おいしい」
「よかった!」
歓迎会のときよりも風味豊かなシュトレンに、彼女は感動していた。
「かおりが、いっぱい。ぜんぶが、まとまって……おいしい」
「そうなんです! 発酵が進むと、こんなに変わるんですよ」
「おもしろいね」
興味深げにシュトレンを見つめている。赤ワインや紅茶も合うだろうけれど、今日はフルーティな珈琲とともに。調理室ではなく、食堂の片隅、ふたり並んで食していた。のんびりとしたカフェタイム。暖かな室内から見ていると、背後の窓の外に広がる雪景色も、ふわふわとして気持ちよさそうに見える。実際はとっても寒いので、飛び込みたくはないけれど。
(上手にできあがってよかった……)
口許をほころばせつつ、「これは、なんの、ふるーつ?」「えっと、これは……」シュトレンの中身について説明していると、食堂のドアが開いた。
くすんだ金色の髪。今ではすっかり見慣れた、金髪のセト。うっすらと髪が濡れていた。
「セトくん、外にいたの?」
「おう……お前ら、なに食ってんだ?」
はらはらと降っていた雪で濡れたのだろう。重たげな前髪を掻き上げながら、セトは廊下側から歩いてきた。窓側の端にいたメルウィンのところまで、たぶん期待した目でやってきたセトは、プレートの上を見て眉間を狭めた。
「………………」
「……えっと……セトくんも、シュトレン、食べる?」
「——いや、要らねぇ」
すっと、不愉快な表情を消して、いつもどおり。てっきり残りのシュトレンを丸ごと奪われると思っていたメルウィンは、意外な返答に目を丸くさせた。
(あれ? セトくんってシュトレン嫌いだったかな?)
メルウィンが作ったのは初めてだが、子供の頃にはよく出されていたはず。甘いものに目がないセトも、喜んで食べていた気がするのだけど……。
思い出をさぐっていると、横にいた彼女も意外そうに首をかしげて、
「〈しゅとれん〉、とっても、おいしいよ」
何か別のものをオーダーしようとしていたセトは、彼女の誘いに、目線を彼女へと。一瞬、考えるように止まった。
「……なら、ほかのやつに持っていってやればいいんじゃねぇか?」
「せとが……すきな、あじだと……おもう」
それは、メルウィンも思う。
洋酒の香りが甘く広がっている。
「……せとは、〈しゅとれん〉が、きらい?」
「いや……好き、だ」
好き。それを認めることを、ためらうような間があった。
重なる何かを振り払うように目を閉じて、「そうだな。俺も貰う」メルウィンの向かいへとセトは腰かけた。
「……メルウィンが作ったのか?」
「ぇ……ぁ、うん、そうだよ」
「そうか」
ロボがスライスしたシュトレンが、ひと切れ。セトの前に置かれる。フォークでざっくりと刺し、大きめを、ひとくちで。
「……おお、美味いな」
セトの感想に、横の彼女が笑顔を見せ——そこに目を向けたセトは、わずかに硬直した気がしたが——「めるうぃんは、じょうず」やわらかい褒め言葉を唱えた。
セトは「そうだな」短く返し、言い足りないようにもう一度、口を開いて、
「お前の料理は、すごく美味いから……俺の知ってる味を、いつも軽く越えてく。ありがとな」
「ぇ……っと、どういたしまして?」
すこし分からない感謝に、メルウィンは不思議な気持ちをいだきつつ、応えた。嫌いだと思われたシュトレンは、やはり好物らしく、セトは追加オーダーして……ぁ、全部なくなりそう。
「……セトくん、あの、すこしは残して……」
「美味いから無理だ」
「そんな……」
メルウィンの訴えは、あっさり却下される。
そんなやり取りに、隣では彼女が小さく笑っていた。
穏やかな午後。
甘やかでふくよかな香りと、珈琲の温かな湯気が漂う。
どこか懐かしい空気に、ふと、メルウィンの脳裏で遠い記憶が……
(ぁ……そういえば、セトくんのお父さんって……)
——メルウィン。シュトレンは、私の好物なんだ。マシンでは、何かが違う。妻も挑戦してくれるのだが、なかなか好みの味にならなくてね……何が足りないのだろう? 君なら、分かるかな?
はるか彼方の思い出から、低い声で尋ねる男性の姿が浮かぶ。
そのひとは——かつてのセトと同じ、黒い髪をしていた。
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