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おやすみの、その後で
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「——で、僕にグチりにきたわけだ?」
長ソファに座りながら、ティアは深くため息をついた。
自身の私室。ティータイムを終え、彼女と「おやすみ」を言って別れたティアは、すでに入浴を済ませてあった。就寝用の柔らかな夜着に身を包んでいるが、その手には——なぜか緋色の飲み物が。
「……うるせぇ。ちゃっかりワイン要求したんだから、その分は黙って付き合えよ」
「黙っていいの? 助言しなくていいってこと?」
「………………」
「——うん、素直に、アドバイスくださいティア様って言っても笑わないであげる」
「誰が言うか」
傾けたグラスの奥で、セトが口をひん曲げた。相変わらずソファの花柄は似合わない。
例のごとく、ティアはセトによって突撃訪問をくらっていた。餌の赤ワインとともに。
「……セト君ってさ、嫌なことあるとお酒に逃げがちだよね。前時代のひとみたい」
「前時代を馬鹿にすんな。昔はなんでも自分でやってたんだぞ。知能も身体能力も平均値下がってたんだろ? 昔のほうがすげぇじゃねぇか」
「え~? それって信憑性ないデータだと思うけどなぁ……アンチロボの人らが言ってるだけじゃない? メディアに踊らされるとことか、より前時代っぽい」
「あ?」
(武力に訴えがちなとこもね……)
最後は胸中だけで。
目つきの悪い彼はグラスをあおり、空になったそこへ新たなワインを。雑に飲まれるワインが可哀想。
「……あのさ、今回は聞き違いじゃなくて、実際に目の前で見ちゃった……ってことなんだけど……やっぱり僕は信じられないんだよね、どうしたらいい?」
「はぁ? お前まだ疑ってんのか」
「だってさ、アリスちゃんの〈好き〉は、恋って感じじゃないんだよね?」
「好きに違いはねぇだろ」
「……う~ん?」
グラスを回して、広がる香りに鼻を寄せる。赤い花びら、儚げで、たおやかなイメージ。
「……わかった。ここ数日、アリスちゃんはロキ君を(ふたりきりになったら何されるか分からないから)避けてたでしょ? そのお詫びみたいなものじゃない?」
「詫びでキスすんのか。俺も無駄に怯えられてんのに……」
「セト君も、謝罪の代わりにキスしてもらったら?」
「そういう話じゃねぇ」
——ならば、どういう話なのか。
彼女がロキを好いているという説を、セトは、敬虔な新教徒の聖書のように推している。もちろんティアにはまったく染みていない。
ローテーブルの上に置かれたプレートから、チーズを口に入れる。
セトは生ハムをつまみ、
「……止める必要、なかったんじゃねぇか」
「——や、それはあったと思うよ?」
「ほんとか? 俺が余計なことしたみてぇな空気だったぞ」
「それは君の思い込みじゃない? アリスちゃんは、間違いなく、ロキ君とふたりになるのを避けてた。そういうことを避けてたんだと思うよ」
「………………」
じつは、彼女がロキの部屋にいることを、セトに密告したのはティアである。まさか今夜もサクラの所に行くのだろうかと、確認のためミヅキに位置情報を尋ねたところ《ロキの私室だよ》新たな刺客が現れたので、すみやかにセトへと報告した。「ロキ君がアリスちゃんを閉じこめてる」なんて言って。おそらく半分は真実なので、自分は何も悪くないと思う。
「ふたりきりを避けてたってことは、ロキとやりたくねぇわけで……つまりロキを好きじゃねぇってことか……?」
「そういう単純な話じゃないんじゃない?」
「どういうことだよ?」
「(貞操観念のない)セト君に言っても理解してもらえないと思う」
「はぁ? ……くそ、考えても分かんねぇ……」
普段使わない思考を使っているのだろう、セトが頭を悩ませているのを眺めつつ、ティアはワインを嚥下した。森の奥で湧きあがる水のような、繊細なミネラルを感じる。
ワインの風味なんてちっとも気にしません——といったように飲んでいるセトが、ふと目線を横にずらした。静かに、独り言のように、
「好きになったほうが負けって……こういうことか。俺だけひとりで悩んでる」
宇宙のことわりを悟ったかのように、そっと呟いた。冬の星空に似た静寂。冷たい暗闇のなかで、孤高の光を見せる星の声。
軽い気持ちで付き合っていたティアの胸にも、多少は同情が差した。
「……そんなことないんじゃない? 僕は、好きになったほうが勝ちだと思うよ。誰かや何かを好きな気持ちは、人を豊かにするんじゃないかな?」
「………………」
「——君は、アリスちゃんに対して、もっとわがままになってもいいと思うんだ。僕らのしたことを忘れてもいいって話じゃなくて……罪悪感だけで向き合うと、君の苦しみに彼女も押しつぶされちゃうから。彼女だって、自分のした選択を悔やんでいて……それでも、取り戻そうとあがいてるんだよ。僕らが罪の意識を押しつけたら、今度こそ本当に——逃げ出しちゃうよ?」
琥珀の眼が、かすかに揺れる。次に逃げ出したら、彼はもう追いかけることはできない。彼女の自由を——奪う権利はない。
浅く息を吐き出したセトが、ティアに目を戻した。
「……わがままって……なんだよ。具体的に言えよ」
「うーん……なんだろうね?」
「……夜、俺から誘っていいってことか?」
「……うん、やっぱり君は根本的にだめだ……」
「はあ?」
理解しあえない生き物。
ティアは、物語のなか野獣を前にしたお嬢さんの気持ちに共感していた。
長ソファに座りながら、ティアは深くため息をついた。
自身の私室。ティータイムを終え、彼女と「おやすみ」を言って別れたティアは、すでに入浴を済ませてあった。就寝用の柔らかな夜着に身を包んでいるが、その手には——なぜか緋色の飲み物が。
「……うるせぇ。ちゃっかりワイン要求したんだから、その分は黙って付き合えよ」
「黙っていいの? 助言しなくていいってこと?」
「………………」
「——うん、素直に、アドバイスくださいティア様って言っても笑わないであげる」
「誰が言うか」
傾けたグラスの奥で、セトが口をひん曲げた。相変わらずソファの花柄は似合わない。
例のごとく、ティアはセトによって突撃訪問をくらっていた。餌の赤ワインとともに。
「……セト君ってさ、嫌なことあるとお酒に逃げがちだよね。前時代のひとみたい」
「前時代を馬鹿にすんな。昔はなんでも自分でやってたんだぞ。知能も身体能力も平均値下がってたんだろ? 昔のほうがすげぇじゃねぇか」
「え~? それって信憑性ないデータだと思うけどなぁ……アンチロボの人らが言ってるだけじゃない? メディアに踊らされるとことか、より前時代っぽい」
「あ?」
(武力に訴えがちなとこもね……)
最後は胸中だけで。
目つきの悪い彼はグラスをあおり、空になったそこへ新たなワインを。雑に飲まれるワインが可哀想。
「……あのさ、今回は聞き違いじゃなくて、実際に目の前で見ちゃった……ってことなんだけど……やっぱり僕は信じられないんだよね、どうしたらいい?」
「はぁ? お前まだ疑ってんのか」
「だってさ、アリスちゃんの〈好き〉は、恋って感じじゃないんだよね?」
「好きに違いはねぇだろ」
「……う~ん?」
グラスを回して、広がる香りに鼻を寄せる。赤い花びら、儚げで、たおやかなイメージ。
「……わかった。ここ数日、アリスちゃんはロキ君を(ふたりきりになったら何されるか分からないから)避けてたでしょ? そのお詫びみたいなものじゃない?」
「詫びでキスすんのか。俺も無駄に怯えられてんのに……」
「セト君も、謝罪の代わりにキスしてもらったら?」
「そういう話じゃねぇ」
——ならば、どういう話なのか。
彼女がロキを好いているという説を、セトは、敬虔な新教徒の聖書のように推している。もちろんティアにはまったく染みていない。
ローテーブルの上に置かれたプレートから、チーズを口に入れる。
セトは生ハムをつまみ、
「……止める必要、なかったんじゃねぇか」
「——や、それはあったと思うよ?」
「ほんとか? 俺が余計なことしたみてぇな空気だったぞ」
「それは君の思い込みじゃない? アリスちゃんは、間違いなく、ロキ君とふたりになるのを避けてた。そういうことを避けてたんだと思うよ」
「………………」
じつは、彼女がロキの部屋にいることを、セトに密告したのはティアである。まさか今夜もサクラの所に行くのだろうかと、確認のためミヅキに位置情報を尋ねたところ《ロキの私室だよ》新たな刺客が現れたので、すみやかにセトへと報告した。「ロキ君がアリスちゃんを閉じこめてる」なんて言って。おそらく半分は真実なので、自分は何も悪くないと思う。
「ふたりきりを避けてたってことは、ロキとやりたくねぇわけで……つまりロキを好きじゃねぇってことか……?」
「そういう単純な話じゃないんじゃない?」
「どういうことだよ?」
「(貞操観念のない)セト君に言っても理解してもらえないと思う」
「はぁ? ……くそ、考えても分かんねぇ……」
普段使わない思考を使っているのだろう、セトが頭を悩ませているのを眺めつつ、ティアはワインを嚥下した。森の奥で湧きあがる水のような、繊細なミネラルを感じる。
ワインの風味なんてちっとも気にしません——といったように飲んでいるセトが、ふと目線を横にずらした。静かに、独り言のように、
「好きになったほうが負けって……こういうことか。俺だけひとりで悩んでる」
宇宙のことわりを悟ったかのように、そっと呟いた。冬の星空に似た静寂。冷たい暗闇のなかで、孤高の光を見せる星の声。
軽い気持ちで付き合っていたティアの胸にも、多少は同情が差した。
「……そんなことないんじゃない? 僕は、好きになったほうが勝ちだと思うよ。誰かや何かを好きな気持ちは、人を豊かにするんじゃないかな?」
「………………」
「——君は、アリスちゃんに対して、もっとわがままになってもいいと思うんだ。僕らのしたことを忘れてもいいって話じゃなくて……罪悪感だけで向き合うと、君の苦しみに彼女も押しつぶされちゃうから。彼女だって、自分のした選択を悔やんでいて……それでも、取り戻そうとあがいてるんだよ。僕らが罪の意識を押しつけたら、今度こそ本当に——逃げ出しちゃうよ?」
琥珀の眼が、かすかに揺れる。次に逃げ出したら、彼はもう追いかけることはできない。彼女の自由を——奪う権利はない。
浅く息を吐き出したセトが、ティアに目を戻した。
「……わがままって……なんだよ。具体的に言えよ」
「うーん……なんだろうね?」
「……夜、俺から誘っていいってことか?」
「……うん、やっぱり君は根本的にだめだ……」
「はあ?」
理解しあえない生き物。
ティアは、物語のなか野獣を前にしたお嬢さんの気持ちに共感していた。
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