致死量の愛を飲みほして+

藤香いつき

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Sharp ears 2

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 ——だから。耳が良くていいことはない。余計な会話の端々だけ聞き取れてしまい、もやもやするばかり。「こんや、あいてる?」に関しては前にもあったな。自分自身の勘違いについて真剣に反省しつつ。



 §



「——おや? セトさんも、練習に参加していただけるんでしょうか?」

 にこやかなアリアの問いかけに、「まぁな」きまり悪くも肯定した。広いボールルームに、セトの低い声が薄く反響する。

「別に俺のことは気にすんな。俺は声域が狭いし、アリアみたいな曲は無理だから。聞いとく」

(あれ? セトは歌わないの?)
 ウサギの目がこちらを向いたが、気まずさから目を合わせられず、アリアだけを見ていた。
 イシャンはピアノをポロポロと鳴らしている。細かなピアノは森の静寂に似た音がする。
 アリアが首を傾けると、暗い金髪がさらりと流れた。

「セトさんの、“声域が狭い”というのは……誰かから言われましたか?」
「ん? いや、俺がそう思ってて……実際に高音でねぇし。低い音ならいけるけど」
「それなら——練習してみませんか? 低音は難しいですが、高音なら、練習で出せるようになりますよ」
「……そうなのか?」
「ええ。——ですから、低い音が出るほうが、歌い手としては幸運なのです。低い歌声は、神様からの贈り物と言われほどです」
「へぇ……」

 ここまで来てしまった以上、退くに退けず。なんとなく乗せられるままに高音練習が始まった。当初はオーディエンスの予定だったウサギも参加することに。

 イシャンのピアノに合わせて音階練習ソルフェージュ。ウサギの細い声が反響すると、記憶から何かよくないものが出てくる。それは嬌声きょうせいだったりロキへの愛の言葉だったり。練習を中断したくなったが、アリアの熱心なようすに断れなかった。

「——すばらしい。セトさんには才能がありますね」
「ねぇって。お前は褒めすぎだ」
「いえいえ、音も安定していて、しっかりとした声質です。何かレッスンを取っていましたか?」
「……母親から、すこし。習ったってほどじゃねぇけど、ガキの頃は歌ばっかり聞かされてたから」
「おや? セトさんのお母様は……歌手でしたか?」
「まあ——歌い手だな。地方を巡って、リアルで歌を届ける——そんな、古い感じの歌手だった」
「それは……とても素敵ですね」
「……そうか?」

 肯定はできなかった。否定もしなかったが。

「では、一度合わせてみましょうか」

 アリアの誘いに応えて、イシャンの指先が簡単な練習曲を奏で始める。ウサギのか細い声と、アリアの低く澄んだ豊かな声。そこに加わる、自分の低音。どう過大評価してみても、バラバラだった。——ただ、アリアは楽しそうだった。

 短い練習曲はあっさり終わって、(合わねぇな)との感想を呑み込んでいると。

「……せとの、うたごえ……かっこいい」

 ぽつり。つぶやくようにこぼれ落ちた音が、セトの鼓膜をゆらした。
 うっかり横を見下ろすと、悩ましい顔でウサギは自身の喉を押さえている。

「わたしだけ……こえが、でない……」
「——お姫様、そんなことはありませんよ。綺麗な響きで、とても耳に優しい音です」
「……〈うた〉は、むずかしい……」
「練習あるのみ、ですね」
「はい」

 何事もなかったみたいに、練習が再開される。唖然あぜんとして止まっていたセトに、イシャンが「……セト?」呼びかけると、はたりと意識を取り戻して声を重ねた。

——せとの、うたごえ、かっこいい。

 耳にかすかに届いた音に。
 耳が良くて幸運だったと——生まれて初めて思った。
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