27 / 31
For Your Sake
26
しおりを挟む
楽しい温泉も終わって、日常。
いっそリフレッシュ効果でやる気に満ちているならまだしも、出社する気力がすっかり失われたレイコは、通常運転で淡々と日々の仕事をこなしていた。
事件は、そんな折に起こった。
「——ティアくん!」
金曜日の夜、ティアの家に入ると同時に勢いよく名を呼んだ彼女に、ティアは思わず身を引いていた。
「えっ……どうしたの? なんかあった?」
「会社で……」
「会社で? ……あ、もしかして後輩のコがまた何か……」
「ちがう! そっちはとくに何も……いや、違うや。そこから始まるんだけど、」
「……?」
「……よし、とりあえず呑もう。酔って話す!」
「えぇぇ……?」
手には日本酒の瓶も抱えている。ぬかりはない。
テーブルに着いて、用意されていた酒器にそそぐのは『早瀬浦』。2千台で買える辛口純米吟醸で、コスパを重視するレイコの最推し。吟醸の味わい豊かな風味と奥深い旨みが——
「あ、これおいしいね?」
「そんなこといいから! 話を聞いて!」
冷やしてあった日本酒は、さらりと飲みやすい。しかし、ティアの感想そっちのけでレイコは話を始めた。
「会社で、みのりちゃんと話す機会があってね。なんだかんだ結局みのりちゃんも別れたらしくて、『先輩、一緒に恋活しましょう』なんて言ってさ、合コンみたいな呑み会? に誘われて……」
「この日本酒、いいね。辛口の概念変わるよね?」
「あれ? ちゃんと聞いてね? ……そしたら、たまたま近くにいた同期の……いま同じグループで隣の席のひとが、
——安井さん、彼氏いなかった?
——別れたんだよ。若い女の子と浮気されちゃってね。
——ひどいね。
——まあね。
この話題になった途端、みのりは非常に粛々と手を動かし、総会で使った大会議室の片付けをてきぱきと進めていた。
——安井さん、知らない人らと呑むくらいなら……俺と呑みに行かない?
——呑むのがメインじゃなくて、出会いがメインなんだよ。
——だから……そういう意味で。
——?
——彼氏いると思ってたから、諦めてた。でも、別れたなら……俺も、立候補していい? よかったら、今夜とか。日本酒の揃ってるお店があって……安井さん、好きだって話してたよね?
——って! 誘われたの!」
テンション高く報告したレイコの向かいで、ティアが大きく首をかしげる。
「……この話、いつの話?」
「今日だよ! めっちゃフレッシュな話だよ!」
「そうだよね、そんな感じだよね? ……じゃ、なんでレイちゃん今ここにいるの?」
「……?」
「今夜って誘われたのに、僕の前に今いるの……おかしくない?」
「今夜はティアくんと約束あったから? 断ったんだよ?」
「や、僕ら約束はしてないよ?」
「してないけど! 定番じゃん!」
「……うん、まぁ……そうだね?」
困惑ぎみのティアは、首をかしげたまま、
「僕が言うのもなんだけど、そっちを優先すべきだったんじゃ……?」
「えっ……」
「……男性って、一度断られると、次に誘うの……すごく勇気がいるんじゃないかな……?」
「………………」
「もう誘ってもらえないかも……?」
不穏な響きに、レイコがこっくりと黙り込む。
日本酒に口をつけて、ひとくち。
「……老後の独り身について、真剣に考えようと思う」
「うん、諦めが早い。もうちょっと頑張ろうか」
「でも! もう誘ってもらえないとか言うし!」
「や、冗談だからね。可愛くして、週明けにレイちゃんから提案してみて」
「可愛くっ?」
「……髪型と、ネイル?」
「あ、ちょうどヘアサロンは明日行くよ?」
「いいね。じゃ、ネイルは僕がしてあげよう」
「……え」
「爪と肌に優しいネイル用品の、紹介案件もらったんだ。シンプルなカラーだったから、『オフィスで使える、セルフジェルネイル』みたいな感じでやってみようと……今ひらめいた」
「利用されている!」
立ち上がったティアは、ネイルのカタログみたいな冊子を取って、レイコに手渡した。
柔らかなニュアンスカラーが並んでいる。たしかにオフィス向け。
「……そういえば、温泉旅行の写真と話を載せたら、レイちゃん好評だったよ。『計画から運転まで、優しい彼氏でいいなー』ってコメントもあった」
「嘘に嘘を重ねている……」
「僕は性別について何も言ってないんだけどね?」
「否定しなよ。せめて私の性別だけは訂正してよ」
ふふふ、と笑うティア。
訂正する気がないのは、レイコの目にも明らかだった。
いっそリフレッシュ効果でやる気に満ちているならまだしも、出社する気力がすっかり失われたレイコは、通常運転で淡々と日々の仕事をこなしていた。
事件は、そんな折に起こった。
「——ティアくん!」
金曜日の夜、ティアの家に入ると同時に勢いよく名を呼んだ彼女に、ティアは思わず身を引いていた。
「えっ……どうしたの? なんかあった?」
「会社で……」
「会社で? ……あ、もしかして後輩のコがまた何か……」
「ちがう! そっちはとくに何も……いや、違うや。そこから始まるんだけど、」
「……?」
「……よし、とりあえず呑もう。酔って話す!」
「えぇぇ……?」
手には日本酒の瓶も抱えている。ぬかりはない。
テーブルに着いて、用意されていた酒器にそそぐのは『早瀬浦』。2千台で買える辛口純米吟醸で、コスパを重視するレイコの最推し。吟醸の味わい豊かな風味と奥深い旨みが——
「あ、これおいしいね?」
「そんなこといいから! 話を聞いて!」
冷やしてあった日本酒は、さらりと飲みやすい。しかし、ティアの感想そっちのけでレイコは話を始めた。
「会社で、みのりちゃんと話す機会があってね。なんだかんだ結局みのりちゃんも別れたらしくて、『先輩、一緒に恋活しましょう』なんて言ってさ、合コンみたいな呑み会? に誘われて……」
「この日本酒、いいね。辛口の概念変わるよね?」
「あれ? ちゃんと聞いてね? ……そしたら、たまたま近くにいた同期の……いま同じグループで隣の席のひとが、
——安井さん、彼氏いなかった?
——別れたんだよ。若い女の子と浮気されちゃってね。
——ひどいね。
——まあね。
この話題になった途端、みのりは非常に粛々と手を動かし、総会で使った大会議室の片付けをてきぱきと進めていた。
——安井さん、知らない人らと呑むくらいなら……俺と呑みに行かない?
——呑むのがメインじゃなくて、出会いがメインなんだよ。
——だから……そういう意味で。
——?
——彼氏いると思ってたから、諦めてた。でも、別れたなら……俺も、立候補していい? よかったら、今夜とか。日本酒の揃ってるお店があって……安井さん、好きだって話してたよね?
——って! 誘われたの!」
テンション高く報告したレイコの向かいで、ティアが大きく首をかしげる。
「……この話、いつの話?」
「今日だよ! めっちゃフレッシュな話だよ!」
「そうだよね、そんな感じだよね? ……じゃ、なんでレイちゃん今ここにいるの?」
「……?」
「今夜って誘われたのに、僕の前に今いるの……おかしくない?」
「今夜はティアくんと約束あったから? 断ったんだよ?」
「や、僕ら約束はしてないよ?」
「してないけど! 定番じゃん!」
「……うん、まぁ……そうだね?」
困惑ぎみのティアは、首をかしげたまま、
「僕が言うのもなんだけど、そっちを優先すべきだったんじゃ……?」
「えっ……」
「……男性って、一度断られると、次に誘うの……すごく勇気がいるんじゃないかな……?」
「………………」
「もう誘ってもらえないかも……?」
不穏な響きに、レイコがこっくりと黙り込む。
日本酒に口をつけて、ひとくち。
「……老後の独り身について、真剣に考えようと思う」
「うん、諦めが早い。もうちょっと頑張ろうか」
「でも! もう誘ってもらえないとか言うし!」
「や、冗談だからね。可愛くして、週明けにレイちゃんから提案してみて」
「可愛くっ?」
「……髪型と、ネイル?」
「あ、ちょうどヘアサロンは明日行くよ?」
「いいね。じゃ、ネイルは僕がしてあげよう」
「……え」
「爪と肌に優しいネイル用品の、紹介案件もらったんだ。シンプルなカラーだったから、『オフィスで使える、セルフジェルネイル』みたいな感じでやってみようと……今ひらめいた」
「利用されている!」
立ち上がったティアは、ネイルのカタログみたいな冊子を取って、レイコに手渡した。
柔らかなニュアンスカラーが並んでいる。たしかにオフィス向け。
「……そういえば、温泉旅行の写真と話を載せたら、レイちゃん好評だったよ。『計画から運転まで、優しい彼氏でいいなー』ってコメントもあった」
「嘘に嘘を重ねている……」
「僕は性別について何も言ってないんだけどね?」
「否定しなよ。せめて私の性別だけは訂正してよ」
ふふふ、と笑うティア。
訂正する気がないのは、レイコの目にも明らかだった。
70
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。


ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる