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極上のしずく
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何かごちゃごちゃ聞こえる。
「とにかく日焼け止め。日焼け止めは必ず塗って。肌の劣化は紫外線が……」
酔いが回りつつあるティアの話を片耳に、部屋にあった雑誌を勝手に拝借して開いていた。
メイクのページはすっ飛ばして、温泉特集。九州。由布院、別府、霧島……人気ランキング1位は黒川か。行ったことないな。
「——ね、聞いてる?」
「聞いてる。日焼け止めを塗りなさいって話だった」
「そうそう。レイちゃん、いつも塗ってる?」
「……まだ、夏じゃないし」
「…………紫外線は常にあるよ?」
「いや、だって……ベタベタするし……手を汚したくないし……」
「スティックタイプもあるよ?」
「………………」
「………………」
「……塗る。塗るから……ほら! 見てみて。温泉いきたい」
訴える瞳から逃れるために、話題を変えた。開いていたページを見せると、その目は丸くなった。
「……レイちゃん、温泉いきたいの?」
「……なんで意外そうな顔するのさ」
「だって君、ケチだから……」
今度は私が無言の目で訴える。
ティアは笑って目をそらした。
睨むのをやめて、薄く息を吐き出し、
「……うちの会社、福利厚生のポイントがあるんだけど、それをずっと旅行用として貯めてるの。使おうかなと思って」
「そんなのあるんだ? 貯めてたのに、使うの?」
「新婚旅行用だったから」
「………………」
「………………」
「……あ、レイちゃん。ほらほら、『なみだ』を飲んで。泣かないで失恋を乗り越えよう?」
「泣いてないよ。あと『なみだ』じゃなくて『しずく』な? 飲む資格剝奪するぞ?」
「きみってキレるとこ変じゃない?」
まったく。
日本酒に口付けて、文句ごと呑み込む。
ティアはテーブルの上に広げられた雑誌を眺めて、
「……温泉か。僕、こういう所は行ったことないな」
ぽつっと落ちた音に、私は首をかしげた。
「ないの? ティアくんって高級な温泉旅館を回ってそうだけど」
「君のなかの僕のイメージってなんなのかな……」
「謎めくセレブ」
即答すると、唇だけでくすりと笑う。
ただ、雑誌から離れた目は静かだった。
「旅行は行かないよ。外出用でもこのままの格好でも、出歩くと周りの目をひくから。旅行先なんて、とくに人が多すぎるからね」
「…………周りの目、そんな気になる?」
「うん。何してても見られるし、不審がられる。気持ちのいいものじゃないよ」
「………………」
「あと、新幹線や飛行機でいつもみたいに顔を隠してるのも疲れるし、長期移動は無理だね。この雑誌の……九州みたいに。遠い所へ行く気はないかな」
笑った形の唇は、なんでもないことのように話していた。
アルコールで染まった顔は、色が薄い。肌も髪もまつげも、すべての色素が抜けている。最初は驚いたけど(いや、性別のほうに気がいったけど)、今はだいぶ見慣れてしまった。
手にした器に、目を落とす。
さらりとした日本酒を見つめて、透きとおる輝きに何かを重ね、少しばかり考える。
目を彼へと戻して、
「……行ってみたいとは、思ってる?」
「……え?」
「九州。……顔を覆わずに行けるなら、行ってみたい?」
「うん? ……まぁ、うん? そうだね?」
「じゃあ、行こうよ」
「…………?」
彼の顔は、反応に困っているように見えた。
冗談にしてはひどい。でも、私がそんなことを言うかな……と。思っている。
「私、運転うまいんだよ」
「……そうなの?」
「学生の頃、友達と格安旅行してたから。というわけで、レンタカー借りて行こう」
「え……僕は運転できないよ……?」
「いいよ。昔から私ひとりで運転してたし、長距離も余裕。10時間こえて運転したことも全然あるから、任せて」
「や、それは悪いよ……」
「なんで? すこしも悪くないよ。運転は好きなんだよ」
「……でも、道中はよくても……旅行先で、注目を浴びたくないし……」
「見てくるひとがいたら、私が睨んであげるよ。『何見てんじゃワレぇ』ってヤカラぶっとくよ」
「えぇぇぇ……?」
「いや、今のは冗談。シンプルに『なんですか? なんで見てくるんですか?』って絡んどく」
「………………」
八の字の眉に、戸惑いが見える。
重くならないように、軽く笑った。
「無理にとは、言わないよ。でも、行きたかったら行こう。遠慮もしないでね? こんだけ家にやって来て好き放題やってる私に遠慮するなんて……馬鹿げてるよ?」
「……たしかに」
「そこは納得するんだ」
「するよね? きみ、もう自分の家だと思ってるとこあるでしょ?」
「否定できないな……」
あきれた吐息が、彼の唇からもれる。
笑い返して、日本酒に口をつけた。澄みわたる香りが、すっと喉に流れていく。
「……あとさ、旅行って格言あるじゃん。『旅は道連れ』って。周りの目も、誰かと一緒なら、平気にならないかな」
「道連れって……ちょっとひどい言い方じゃない?」
「じゃあ、『旅の恥はかき捨て』?」
「どっちもひどい」
「あはは」
こぼれた笑いは、明るくテーブルの上に響いた。
手のなかの水面がゆれて、きらりと光る。
伏せられた目。悩んでいるらしいティアの顔に、もう一言だけ、
「一緒なら、私きっと、日焼け止めもちゃんと塗るよ?」
ふっと上がった目が、私を映した。
「……それは、大事だね。レイちゃんの肌を守るためにも……行ってみようかな?」
淡く笑う顔は、まだ少し迷いを含んでいるけれど、希望も浮かんでいる。
——僕、こういう所は行ったことないな。
こぼれ落ちた、ひとしずくの本音。
救いあげたいと思ったのは、恩返しの気持ちだ。
未知の世界を見せてくれた彼に、私も何か見せてあげられたら——。
「……ところで、レイちゃん?」
「ん? なに?」
「誘ってくれて嬉しいけど……僕の性別、完全に忘れてない?」
「………………」
「……うん。きみって素で失礼だよね……?」
その唇からこぼれ落ちた吐息は、明るく軽やかだった。
「とにかく日焼け止め。日焼け止めは必ず塗って。肌の劣化は紫外線が……」
酔いが回りつつあるティアの話を片耳に、部屋にあった雑誌を勝手に拝借して開いていた。
メイクのページはすっ飛ばして、温泉特集。九州。由布院、別府、霧島……人気ランキング1位は黒川か。行ったことないな。
「——ね、聞いてる?」
「聞いてる。日焼け止めを塗りなさいって話だった」
「そうそう。レイちゃん、いつも塗ってる?」
「……まだ、夏じゃないし」
「…………紫外線は常にあるよ?」
「いや、だって……ベタベタするし……手を汚したくないし……」
「スティックタイプもあるよ?」
「………………」
「………………」
「……塗る。塗るから……ほら! 見てみて。温泉いきたい」
訴える瞳から逃れるために、話題を変えた。開いていたページを見せると、その目は丸くなった。
「……レイちゃん、温泉いきたいの?」
「……なんで意外そうな顔するのさ」
「だって君、ケチだから……」
今度は私が無言の目で訴える。
ティアは笑って目をそらした。
睨むのをやめて、薄く息を吐き出し、
「……うちの会社、福利厚生のポイントがあるんだけど、それをずっと旅行用として貯めてるの。使おうかなと思って」
「そんなのあるんだ? 貯めてたのに、使うの?」
「新婚旅行用だったから」
「………………」
「………………」
「……あ、レイちゃん。ほらほら、『なみだ』を飲んで。泣かないで失恋を乗り越えよう?」
「泣いてないよ。あと『なみだ』じゃなくて『しずく』な? 飲む資格剝奪するぞ?」
「きみってキレるとこ変じゃない?」
まったく。
日本酒に口付けて、文句ごと呑み込む。
ティアはテーブルの上に広げられた雑誌を眺めて、
「……温泉か。僕、こういう所は行ったことないな」
ぽつっと落ちた音に、私は首をかしげた。
「ないの? ティアくんって高級な温泉旅館を回ってそうだけど」
「君のなかの僕のイメージってなんなのかな……」
「謎めくセレブ」
即答すると、唇だけでくすりと笑う。
ただ、雑誌から離れた目は静かだった。
「旅行は行かないよ。外出用でもこのままの格好でも、出歩くと周りの目をひくから。旅行先なんて、とくに人が多すぎるからね」
「…………周りの目、そんな気になる?」
「うん。何してても見られるし、不審がられる。気持ちのいいものじゃないよ」
「………………」
「あと、新幹線や飛行機でいつもみたいに顔を隠してるのも疲れるし、長期移動は無理だね。この雑誌の……九州みたいに。遠い所へ行く気はないかな」
笑った形の唇は、なんでもないことのように話していた。
アルコールで染まった顔は、色が薄い。肌も髪もまつげも、すべての色素が抜けている。最初は驚いたけど(いや、性別のほうに気がいったけど)、今はだいぶ見慣れてしまった。
手にした器に、目を落とす。
さらりとした日本酒を見つめて、透きとおる輝きに何かを重ね、少しばかり考える。
目を彼へと戻して、
「……行ってみたいとは、思ってる?」
「……え?」
「九州。……顔を覆わずに行けるなら、行ってみたい?」
「うん? ……まぁ、うん? そうだね?」
「じゃあ、行こうよ」
「…………?」
彼の顔は、反応に困っているように見えた。
冗談にしてはひどい。でも、私がそんなことを言うかな……と。思っている。
「私、運転うまいんだよ」
「……そうなの?」
「学生の頃、友達と格安旅行してたから。というわけで、レンタカー借りて行こう」
「え……僕は運転できないよ……?」
「いいよ。昔から私ひとりで運転してたし、長距離も余裕。10時間こえて運転したことも全然あるから、任せて」
「や、それは悪いよ……」
「なんで? すこしも悪くないよ。運転は好きなんだよ」
「……でも、道中はよくても……旅行先で、注目を浴びたくないし……」
「見てくるひとがいたら、私が睨んであげるよ。『何見てんじゃワレぇ』ってヤカラぶっとくよ」
「えぇぇぇ……?」
「いや、今のは冗談。シンプルに『なんですか? なんで見てくるんですか?』って絡んどく」
「………………」
八の字の眉に、戸惑いが見える。
重くならないように、軽く笑った。
「無理にとは、言わないよ。でも、行きたかったら行こう。遠慮もしないでね? こんだけ家にやって来て好き放題やってる私に遠慮するなんて……馬鹿げてるよ?」
「……たしかに」
「そこは納得するんだ」
「するよね? きみ、もう自分の家だと思ってるとこあるでしょ?」
「否定できないな……」
あきれた吐息が、彼の唇からもれる。
笑い返して、日本酒に口をつけた。澄みわたる香りが、すっと喉に流れていく。
「……あとさ、旅行って格言あるじゃん。『旅は道連れ』って。周りの目も、誰かと一緒なら、平気にならないかな」
「道連れって……ちょっとひどい言い方じゃない?」
「じゃあ、『旅の恥はかき捨て』?」
「どっちもひどい」
「あはは」
こぼれた笑いは、明るくテーブルの上に響いた。
手のなかの水面がゆれて、きらりと光る。
伏せられた目。悩んでいるらしいティアの顔に、もう一言だけ、
「一緒なら、私きっと、日焼け止めもちゃんと塗るよ?」
ふっと上がった目が、私を映した。
「……それは、大事だね。レイちゃんの肌を守るためにも……行ってみようかな?」
淡く笑う顔は、まだ少し迷いを含んでいるけれど、希望も浮かんでいる。
——僕、こういう所は行ったことないな。
こぼれ落ちた、ひとしずくの本音。
救いあげたいと思ったのは、恩返しの気持ちだ。
未知の世界を見せてくれた彼に、私も何か見せてあげられたら——。
「……ところで、レイちゃん?」
「ん? なに?」
「誘ってくれて嬉しいけど……僕の性別、完全に忘れてない?」
「………………」
「……うん。きみって素で失礼だよね……?」
その唇からこぼれ落ちた吐息は、明るく軽やかだった。
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