【完結】美容講座は呑みながら

藤香いつき

文字の大きさ
上 下
13 / 31
極上のしずく

12

しおりを挟む


「あははははっ……」
「……ティアくん、笑いすぎ」
 
 テーブルの向かいに座るティアは、いつまでも笑っている。
 いいかげん怒ってもいいなと思う。
 
「……だって! 娘が失恋して、『しずく』なんて日本酒を一升瓶で送ってくるお父さん……意味わかんないっ……思いっきり泣けってこと?」
 
 ふふふふふ。会話のあいまに笑いがこぼれている。
 いつもの日本酒よりもサイズが明らかにおかしいのは分かっていたが、銘柄に父のそんな意図があったかは知らない。
 勝手にウケて笑い続けているティアを細い目で見る。
 
「……あのさー、笑ってるとこ悪いけど、私は先に呑むからね。これ、かなりレアなお酒なんだから。普通には買えないんだよ」
「あ、やっぱり有名なお酒なんだ? 『黒龍 しずく』は知らないけど、『黒龍』って聞いたことあるな」
「『石田屋』とか出してるとこ。高級店にもあるもんね、ティアくんも知ってそう」
「うん? なんかちょっと引っ掛かる言い方?」

 首をかしげるティアを無視して、彼が用意してくれていた酒器を手に取った。
 
「……で、この『ちろり』はどうしたの?」
「え? なんて?」
「……この『ちろり』は、どうしたの? 買ったの?」 
「……チロリ?」

 チョコのお菓子みたいな言い方できょとんとするティアに、(あれ?)私も首をかしげた。
 日本酒を湯煎するための小さな酒器、ヤカン型。黒い酒器を掲げて見せると、ティアは顔にひらめきを見せた。
 
「あぁ、それのこと? それはもらった食器の中で見つけたんだよ。日本酒のデキャンタでしょ?」
「デキャンタ……って、ワインを移しとく水差しみたいな? まぁ、うん……これは熱燗あつかん用だと思うけど……似たようなもんか……」
「一升瓶だと大きすぎて困るかなって、出してみたんだよ」
「ティアくんち、ほんとなんでもあるね」
「そうかな?」
「グラスも増えてない? 新しい『ぐい呑み』まで……食器屋さんでも始めるの?」
「お客がケチなレイちゃんだけだから……破産だね?」
「ケチじゃない。計算高いだけ」
「……うん? それは自分で言う?」

 一升瓶の大きなボトルを手に、ちろりへと移していく。ふわりと広がる香りはフルーティ。米から生まれているのに、甘くみずみずしいフルーツを連想する。残りは冷やしておきたいので、ティアに頼んで冷蔵庫に入れさせてもらった。

「お好きなグラスでどうぞ、お客さま?」

 薄い唇がやわらかにをえがく。
 せっかくなので美濃焼のぐい呑みを。値段は考えない。
 軽い乾杯をして口に運ぶと、なめらかで澄みきった心地に口がほころぶのを感じた。
 ティアを見る。ぱっと華やかな笑顔を浮かべた。
 
「わぁ、なんだか綺麗な印象だね? するするして飲みやすい」
「そうでしょう? 美味しいでしょう? でも違うんだよ、これは食事に合わせてこそ最強なんだよ……なんっっにでも合うんだから。極上の水って感じ」
「君がつくったんじゃないよね? なんでそんな偉そうなのかな? ……極上の水ってたとえはどうなの……?」
 
 ぶつぶつ言っているティアを無視して、つまみに箸をつけた。
 
「ティアくん、これ何? ……マスカット?」
「あ、うん。シャインマスカットが届いたから……イカとマリネしてみた。ネットで見つけたレシピだよ」
「シャインマスカット……そんな高いやつを……いや、何も言うまい。文句なく美味しい。黒コショウが効いてる」
「ね、美味しいよね」
 
 美味しくつまみをいただきながら、『しずく』がいかに貴重な日本酒かを熱く語る。
 近場で買ったビールも用意してきたが、日本酒のみで終わりそう。さすがに一升瓶は飲みきらない。
 
「……そういえば、まつげ伸びたよ。美容液もいい感じ」
 
 ふと思い出して、おまけのように付け加えれば、
 
「え? ……あっ、美容液も買ったの? えっ、よかったって?」
「うん、よかったよかった」
「その話を最初に言ってよ! 日本酒のつくり方より興味あるよ!」

 明るい笑い声。
 極上のしずくを前に、失恋の涙は一滴もこぼれなかった。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

そこでしか話せない

上野たすく
ライト文芸
エブリスタ様にて公開させていただいているお話です。 葛西智也はある夜、喫茶店で不思議な出会いをする。

【R15】メイド・イン・ヘブン

あおみなみ
ライト文芸
「私はここしか知らないけれど、多分ここは天国だと思う」 ミステリアスな美青年「ナル」と、恋人の「ベル」。 年の差カップルには、大きな秘密があった。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

余命-24h

安崎依代@『絶華の契り』1/31発売決定
ライト文芸
【書籍化しました! 好評発売中!!】 『砂状病(さじょうびょう)』もしくは『失踪病』。 致死率100パーセント、病に気付くのは死んだ後。 罹患した人間に自覚症状はなく、ある日突然、体が砂のように崩れて消える。 検体が残らず自覚症状のある患者も発見されないため、感染ルートの特定も、特効薬の開発もされていない。 全世界で症例が報告されているが、何分死体が残らないため、正確な症例数は特定されていない。 世界はこの病にじわじわと確実に侵食されつつあったが、現実味のない話を受け止めきれない人々は、知識はあるがどこか遠い話としてこの病気を受け入れつつあった。 この病には、罹患した人間とその周囲だけが知っている、ある大きな特徴があった。 『発症して体が崩れたのち、24時間だけ、生前と同じ姿で、己が望んだ場所で行動することができる』 あなたは、人生が終わってしまった後に残された24時間で、誰と、どこで、何を成しますか? 砂になって消えた人々が、余命『マイナス』24時間で紡ぐ、最期の最後の物語。

処理中です...