上 下
71 / 72
真実が終わりを告げる

Chap.6 Sec.11

しおりを挟む
 カーテンの開けられた窓からは、月明かりがしていた。
 マホガニー製のピアノは歌うのをやめ、ひっそりとした静寂に身を染める。
 手を止めた彼女は立ち上がった。

「おかえりなさい……ご主人様?」

 眉を下げて首を傾ける顔に、ルネがそばへと歩いていく。

「貴方にそう呼ばれる覚えはありませんよ」
「そうね、わたしも違和感がすごいわ」
「……ゲランさんに、何か言われたのでしょう?」
「——平気よ。心配は要らないわ」
「……泣いた跡がございますよ」
「そうだった……あなたって昔から目ざといのに、忘れてたわ」
「貴方が昔から隠すのが下手なんですよ」
「ルネは上手だものね」
「………………」

 笑ってみせたが、彼は眉間を狭めただけだった。

「話したいことがあるのだけど……その前に、敬語をやめてもらってもいい? もうわたしの執事でもないのに、ずっとそのままなのは……変よね?」
「……そうですね」
「両親を亡くしたから、せめて〈優しいルネ〉だけでも演じてあげようと……気にしてくれたの?」
「——そんなつもりはない」
「それなら……〈優しいルネ〉のイメージを壊してやろう?」
「……なるほど、閉じ籠められてよっぽど暇だったらしいな。そんなどうでもいいことを考える時間まであったか」
「そうね、自分の気持ちと向き合う程度には時間があったわ」

 瞳は上に。こうして間近で向かい合って見上げるのは、まだすこし慣れない。
 薄い色の眼は、こちらを探っている。

「——どこまで聞いた?」
「どこまで?」
「……どうして泣いたんだ」
「両親を思って泣いただけよ。わたしは一人娘だったから、両親から甘やかされて、大切にされて……とても愛されていたわ。別れは悲しいことだけれど……愛された思い出があるから、大丈夫」

 ひらりと、ルネの手がわたしの頬に触れた。

「こんなに泣いておきながら……よくそんな嘘が言えるな」
「嘘じゃないわ。もう両親のことでは泣かないと思う……たぶんね」
「……分からないな、君はどこまで聞いたんだ?」
「あなたが知ることは……すべて聞いたのかしら? 今ではわたしのほうが詳しく理解してるかも……?」
「どういう意味か、全く分からない」
「ルネにも分からないことがあるのね?」

 手は、頬から離れた。
 見定める瞳だけが残っている。

 昔から、わたしに向けられていた双眸。
 その淡い色の眼を見つめて、迷うことなく告げた。

「ルネ、わたしは、あなたが好きなの」

 向かい合う瞳が止まる。

 ずっと、言いたくても言えなかった言葉。
 告白するよりも先に叶わないと知らされて、心に封じ込めた想い。

 口にしてしまえば、何かが壊れると思っていた。
 その何かを、今は壊してしまいたい。
 その先にあるものを——知りたい。

「……聞いてた?」

 反応のなさに対して尋ねると、ルネは理解できない顔で、

「君は——なんのために言ってる? 今の俺に言う意味はないだろ?」
「……どうして?」
「君が好きなのは俺じゃない。兄代わりの優しかったルネだ」
「……でも、それってあなたでしょう?」
「君は、俺が最初から報復のためにやって来たことを知らないのか?」
「それは聞いたわ」
「なら全部が演技だったと分からないか?」
「……でも、わたし、ずっと考えていたのよ」

 背の高いルネの顔をのぞき込むように、そっと近寄る。

「フィリップ様のお屋敷で……見捨てずにそばにいてくれたわ」
「それは主人の命令だったからだ」
「デュポン夫人のときは……なぜわたしを追いかけてくれたの?」
「………………」
「オペラ座で、タレラン様のときに護ってくれたのは?」
「……何故そんなことを知っている?」
「すこし聞こえていたのよ。……尖塔に閉じ籠めたのも、わたしを護ろうとしてくれていたのではないの?」

 瞳はそらされない。
 答えてくれない彼は、いま何を思っているのだろう。
 この先を知りたいと願ったけれど、ほんの少し怖くなっていた。

 彼の気持ちを知りたい。
 でも、それは望むものじゃないかもしれない。
 そんな不安が、胸を占めていく。
 ——それでも、訊かずにはいられない。

「……ルネ、嘘はもうたくさんなの。……本当のことを教えて。どんな真実でも受け入れるから、あなたの本当の心で話して。……あなたは、わたしのことが嫌いなの? ……ずっと憎んでいたの?」
「……俺は、」

 そらされた目に——拒絶された気がして、思わず彼の手を取っていた。

「お願いだから、嘘は言わないでっ……」
 
 息を呑む音が聞こえた。
 振り払われるかと思った手はそのままで、彼は瞳をこちらに戻し、答えを聞く前に泣きそうになったわたしを見て——困ったように、小さく笑った。

 掴んだ手に、上から手を重ねられる。
 そっと、まるで壊れ物を触るみたいに。
 
「この手が……昔から苦手だった」

 視線が、重なった手に落ちた。

「小さな手で、すがりつかれると……振り払えなくなる。涙をこぼしたときは……その涙を止めるためなら、なんだってしてやりたいと思う。……この気持ちは、君には分からないだろうな」

 ふっと上がる瞳が、わたしを見つめる。

「せっかく逃がしてやろうと思ったのにな……もう無理だ、放せない」

 ほどけた手は、ためらうことなく体へと回され、その胸にわたしを抱き寄せた。
 温かな腕に、ぎゅっと力が込められる。

「何よりも、君が大切だ。昔から——出会った瞬間から泣き出した君を、泣きやませたいと思ったあのときから——君を大切に思ってる。君が俺の手を取るなら、もう誰にも渡さない」

 耳に、彼の唇が触れる。
 大好きな声が、短くも優しい音を奏でた。


 あの恐ろしい夜に、わたしの恋心は砕け散った。
 あなたを知りたいという——好奇心によって、無垢な恋は殺された。
 ……でも、そのあとに残ったのは?
 恋心のあとで、生まれたのは、


「——わたしも、愛してるわ」


 幼い頃から憧れていた言葉を、こぼれ落ちる熱い涙とともに、その胸へと返した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸
恋愛
男女比1:100。 女性の価値が著しく低下した世界へやってきた【大鳥奏】という一人の少年。 夢のような世界で彼が望んだのは、ラブコメでも、ハーレムでもなく、男の希少性を利用した引き籠り生活だった。 ネトゲは楽しいし、一人は気楽だし、学校行かなくてもいいとか最高だし。 しかし、男女の比率が大きく偏った逆転世界は、そんな彼を放っておくはずもなく…… 『カナデさんってもしかして男なんじゃ……?』 『ないでしょw』 『ないと思うけど……え、マジ?』 これは貞操観念逆転世界にやってきた大鳥奏という少年が世界との関わりを断ち自宅からほとんど出ない物語。 貞操観念逆転世界のハーレム主人公を拒んだ一人のネットゲーマーの引き籠り譚である。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...