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真実が終わりを告げる

Chap.6 Sec.11

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 カーテンの開けられた窓からは、月明かりがしていた。
 マホガニー製のピアノは歌うのをやめ、ひっそりとした静寂に身を染める。
 手を止めた彼女は立ち上がった。

「おかえりなさい……ご主人様?」

 眉を下げて首を傾ける顔に、ルネがそばへと歩いていく。

「貴方にそう呼ばれる覚えはありませんよ」
「そうね、わたしも違和感がすごいわ」
「……ゲランさんに、何か言われたのでしょう?」
「——平気よ。心配は要らないわ」
「……泣いた跡がございますよ」
「そうだった……あなたって昔から目ざといのに、忘れてたわ」
「貴方が昔から隠すのが下手なんですよ」
「ルネは上手だものね」
「………………」

 笑ってみせたが、彼は眉間を狭めただけだった。

「話したいことがあるのだけど……その前に、敬語をやめてもらってもいい? もうわたしの執事でもないのに、ずっとそのままなのは……変よね?」
「……そうですね」
「両親を亡くしたから、せめて〈優しいルネ〉だけでも演じてあげようと……気にしてくれたの?」
「——そんなつもりはない」
「それなら……〈優しいルネ〉のイメージを壊してやろう?」
「……なるほど、閉じ籠められてよっぽど暇だったらしいな。そんなどうでもいいことを考える時間まであったか」
「そうね、自分の気持ちと向き合う程度には時間があったわ」

 瞳は上に。こうして間近で向かい合って見上げるのは、まだすこし慣れない。
 薄い色の眼は、こちらを探っている。

「——どこまで聞いた?」
「どこまで?」
「……どうして泣いたんだ」
「両親を思って泣いただけよ。わたしは一人娘だったから、両親から甘やかされて、大切にされて……とても愛されていたわ。別れは悲しいことだけれど……愛された思い出があるから、大丈夫」

 ひらりと、ルネの手がわたしの頬に触れた。

「こんなに泣いておきながら……よくそんな嘘が言えるな」
「嘘じゃないわ。もう両親のことでは泣かないと思う……たぶんね」
「……分からないな、君はどこまで聞いたんだ?」
「あなたが知ることは……すべて聞いたのかしら? 今ではわたしのほうが詳しく理解してるかも……?」
「どういう意味か、全く分からない」
「ルネにも分からないことがあるのね?」

 手は、頬から離れた。
 見定める瞳だけが残っている。

 昔から、わたしに向けられていた双眸。
 その淡い色の眼を見つめて、迷うことなく告げた。

「ルネ、わたしは、あなたが好きなの」

 向かい合う瞳が止まる。

 ずっと、言いたくても言えなかった言葉。
 告白するよりも先に叶わないと知らされて、心に封じ込めた想い。

 口にしてしまえば、何かが壊れると思っていた。
 その何かを、今は壊してしまいたい。
 その先にあるものを——知りたい。

「……聞いてた?」

 反応のなさに対して尋ねると、ルネは理解できない顔で、

「君は——なんのために言ってる? 今の俺に言う意味はないだろ?」
「……どうして?」
「君が好きなのは俺じゃない。兄代わりの優しかったルネだ」
「……でも、それってあなたでしょう?」
「君は、俺が最初から報復のためにやって来たことを知らないのか?」
「それは聞いたわ」
「なら全部が演技だったと分からないか?」
「……でも、わたし、ずっと考えていたのよ」

 背の高いルネの顔をのぞき込むように、そっと近寄る。

「フィリップ様のお屋敷で……見捨てずにそばにいてくれたわ」
「それは主人の命令だったからだ」
「デュポン夫人のときは……なぜわたしを追いかけてくれたの?」
「………………」
「オペラ座で、タレラン様のときに護ってくれたのは?」
「……何故そんなことを知っている?」
「すこし聞こえていたのよ。……尖塔に閉じ籠めたのも、わたしを護ろうとしてくれていたのではないの?」

 瞳はそらされない。
 答えてくれない彼は、いま何を思っているのだろう。
 この先を知りたいと願ったけれど、ほんの少し怖くなっていた。

 彼の気持ちを知りたい。
 でも、それは望むものじゃないかもしれない。
 そんな不安が、胸を占めていく。
 ——それでも、訊かずにはいられない。

「……ルネ、嘘はもうたくさんなの。……本当のことを教えて。どんな真実でも受け入れるから、あなたの本当の心で話して。……あなたは、わたしのことが嫌いなの? ……ずっと憎んでいたの?」
「……俺は、」

 そらされた目に——拒絶された気がして、思わず彼の手を取っていた。

「お願いだから、嘘は言わないでっ……」
 
 息を呑む音が聞こえた。
 振り払われるかと思った手はそのままで、彼は瞳をこちらに戻し、答えを聞く前に泣きそうになったわたしを見て——困ったように、小さく笑った。

 掴んだ手に、上から手を重ねられる。
 そっと、まるで壊れ物を触るみたいに。
 
「この手が……昔から苦手だった」

 視線が、重なった手に落ちた。

「小さな手で、すがりつかれると……振り払えなくなる。涙をこぼしたときは……その涙を止めるためなら、なんだってしてやりたいと思う。……この気持ちは、君には分からないだろうな」

 ふっと上がる瞳が、わたしを見つめる。

「せっかく逃がしてやろうと思ったのにな……もう無理だ、放せない」

 ほどけた手は、ためらうことなく体へと回され、その胸にわたしを抱き寄せた。
 温かな腕に、ぎゅっと力が込められる。

「何よりも、君が大切だ。昔から——出会った瞬間から泣き出した君を、泣きやませたいと思ったあのときから——君を大切に思ってる。君が俺の手を取るなら、もう誰にも渡さない」

 耳に、彼の唇が触れる。
 大好きな声が、短くも優しい音を奏でた。


 あの恐ろしい夜に、わたしの恋心は砕け散った。
 あなたを知りたいという——好奇心によって、無垢な恋は殺された。
 ……でも、そのあとに残ったのは?
 恋心のあとで、生まれたのは、


「——わたしも、愛してるわ」


 幼い頃から憧れていた言葉を、こぼれ落ちる熱い涙とともに、その胸へと返した。
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