69 / 72
真実が終わりを告げる
Chap.6 Sec.9
しおりを挟む
冷たい空気が張りつめている。
全身にめぐる緊張と胸をたたく鼓動に、そっと目を閉じた。
ひとりで入室した地下室は、持ち運びのランプの灯火によって、温もりのような色を広げている。
恐れることなく、手にした手紙に向ける目を開いた。
長い文章を、ゆっくりと丁寧にたどっていく。
一文字も逃さぬように。父の遺志を、余すところなく掬いあげるように。
言葉の多くは、わたしも知る事実が並んでいて、それを父の側から紐解くものではあったが……
〈——真実を告げるべきだった。当時父が亡くなり、爵位を守るためだけに継いだが、ルネ君が現れた時点で返すべきだった。それなのに、隠し通してしまったのは、妻に——お前の母に、失望されるのが怖かったのだ。由緒ある貴族の私を『わたしの王子様』と嬉しそうに語っていた妻へ、私は真実を話せなかった〉
連なる謝罪の言葉は、筆跡が強い。どんな思いでこれを書いたのだろう。
ありえないことだが、もしその場にいたなら、わたしは母の気持ちを教えてあげられたのに。
——お父様がどんなひとであっても、母にとっては王子様だったのよ。貴族じゃなくても、いつも穏やかで優しいお父様の人柄を愛していたの。
〈——悩むうちに妻の病気が発覚し、長くは生きられないと医師に宣告され、私はこの結末を決めた。
革命後の動乱で、今の裁きはひどく極端だ。今さら真実を告白すれば、私だけでなく妻とお前まで裁判に掛けられ処罰されることだろう。
したがって、私の入れ替わりの真実は妻がその命を終えた日に、私の死をもって公開する。これを読むころには、すでに公のこととなっているかも知れない。
しかし、当人のいない裁判はなされない。娘であるお前が引きずり出されることもなく、刑に処されることはない。
これは、知り合いの貴族たちにも根回しをしてあるから心配しなくてもよい。親しくしてきた者たちが、議会で必ずお前を護ってくれる。非難する者よりも、護ってくれる者のほうがはるかに多いはずだ〉
そこには、繋がりの深い貴族の家名が並んでいた。エレアノールとジョゼフィーヌの家も。
父の読みどおり、わたしは処刑どころか首都に呼び出されてもいない。遺書に名前を載せなかったのも、それが証拠として議会に出された際に、わたしの名前が不必要に知られないよう配慮したのだ。
考えても分からなかったのだが、なぜ父は毒物での自死を望んだのか——その答えも、ここにある気がした。
死ぬための楽な手段なら、もっと他にある。あえて苦しく辛い死を選んだのは……処刑の代わりなのだろう。首を落とされるよりも、重い罰を受けるべきだと……そう思ったのか。
(いつも笑っていたのに……)
あの笑顔の裏には、どんな気持ちがあったのだろう。
にじむ視界を瞬きでやり過ごし、手紙の文字を追った。
〈——お前を巻き込んですまないと思う。この問題がどれだけお前の人生に影響するのか、手は尽くしたが、はかり知れない。
ひどく厳しい状況であるならば、遺した宝石を売って安全な地へと逃げなさい。かつて国外で身を寄せた地の知り合いにも頼んであるから、そこを頼りにするとよい。連絡の手段を最後に載せておく。
ただ、もし今、ルネ君が爵位を取り戻せているのなら。そして、彼なら。お前を大切に思う彼ならば、私が遺した宝石を使わずとも、お前を救う道を示してくれることだろう。まずは、彼と話を。ひとりで悩まずに、お前の気持ちをためらわず彼に話しておくれ。お前の気持ちが、必ず道を切りひらいてくれるだろう。
最後になるが、お前の幸せを心から願っている。私がこの世に残せた、何よりも価値のあるものは、たったひとりの娘であるお前だ。これからも、そのまっすぐな心で人と向かい合っておくれ。
——愛しているよ〉
ぽたり、と。
こぼれ落ちたものが、手紙の文字を濡らした。
父と母がいなくなってしまって、ずっと耐えていたものが、決壊したように……瞳の奥から次々とあふれていく。
母との別れだって、覚悟していたけれど、悲しくないわけじゃない。
目まぐるしい問題のせいで、悲しむ間などないと言い聞かせていただけだ。胸はいつも小さな孤独に苛まされて、そのたびに思い出に慰めてもらった。
——泣いていたの? なにか、悲しいことでもあった?
わたしが涙を耐えるとき、いつも母が掛けてくれた声を思い出して。
平気よ、と。
わたしは強いのよ。心配いらないわ。どんなときも、凛として気高く生きるのよ。
——だって、わたしは独りじゃないもの。
そばにはいつもルネがいるから——。
流れ落ちる涙を、止めようとはしなかった。
今だけは、すべて吐き出してしまおう。
この胸の悲しみがひとつ残らず流れ落ちたなら、残る想いとともに再び立ちあがろう。
全身にめぐる緊張と胸をたたく鼓動に、そっと目を閉じた。
ひとりで入室した地下室は、持ち運びのランプの灯火によって、温もりのような色を広げている。
恐れることなく、手にした手紙に向ける目を開いた。
長い文章を、ゆっくりと丁寧にたどっていく。
一文字も逃さぬように。父の遺志を、余すところなく掬いあげるように。
言葉の多くは、わたしも知る事実が並んでいて、それを父の側から紐解くものではあったが……
〈——真実を告げるべきだった。当時父が亡くなり、爵位を守るためだけに継いだが、ルネ君が現れた時点で返すべきだった。それなのに、隠し通してしまったのは、妻に——お前の母に、失望されるのが怖かったのだ。由緒ある貴族の私を『わたしの王子様』と嬉しそうに語っていた妻へ、私は真実を話せなかった〉
連なる謝罪の言葉は、筆跡が強い。どんな思いでこれを書いたのだろう。
ありえないことだが、もしその場にいたなら、わたしは母の気持ちを教えてあげられたのに。
——お父様がどんなひとであっても、母にとっては王子様だったのよ。貴族じゃなくても、いつも穏やかで優しいお父様の人柄を愛していたの。
〈——悩むうちに妻の病気が発覚し、長くは生きられないと医師に宣告され、私はこの結末を決めた。
革命後の動乱で、今の裁きはひどく極端だ。今さら真実を告白すれば、私だけでなく妻とお前まで裁判に掛けられ処罰されることだろう。
したがって、私の入れ替わりの真実は妻がその命を終えた日に、私の死をもって公開する。これを読むころには、すでに公のこととなっているかも知れない。
しかし、当人のいない裁判はなされない。娘であるお前が引きずり出されることもなく、刑に処されることはない。
これは、知り合いの貴族たちにも根回しをしてあるから心配しなくてもよい。親しくしてきた者たちが、議会で必ずお前を護ってくれる。非難する者よりも、護ってくれる者のほうがはるかに多いはずだ〉
そこには、繋がりの深い貴族の家名が並んでいた。エレアノールとジョゼフィーヌの家も。
父の読みどおり、わたしは処刑どころか首都に呼び出されてもいない。遺書に名前を載せなかったのも、それが証拠として議会に出された際に、わたしの名前が不必要に知られないよう配慮したのだ。
考えても分からなかったのだが、なぜ父は毒物での自死を望んだのか——その答えも、ここにある気がした。
死ぬための楽な手段なら、もっと他にある。あえて苦しく辛い死を選んだのは……処刑の代わりなのだろう。首を落とされるよりも、重い罰を受けるべきだと……そう思ったのか。
(いつも笑っていたのに……)
あの笑顔の裏には、どんな気持ちがあったのだろう。
にじむ視界を瞬きでやり過ごし、手紙の文字を追った。
〈——お前を巻き込んですまないと思う。この問題がどれだけお前の人生に影響するのか、手は尽くしたが、はかり知れない。
ひどく厳しい状況であるならば、遺した宝石を売って安全な地へと逃げなさい。かつて国外で身を寄せた地の知り合いにも頼んであるから、そこを頼りにするとよい。連絡の手段を最後に載せておく。
ただ、もし今、ルネ君が爵位を取り戻せているのなら。そして、彼なら。お前を大切に思う彼ならば、私が遺した宝石を使わずとも、お前を救う道を示してくれることだろう。まずは、彼と話を。ひとりで悩まずに、お前の気持ちをためらわず彼に話しておくれ。お前の気持ちが、必ず道を切りひらいてくれるだろう。
最後になるが、お前の幸せを心から願っている。私がこの世に残せた、何よりも価値のあるものは、たったひとりの娘であるお前だ。これからも、そのまっすぐな心で人と向かい合っておくれ。
——愛しているよ〉
ぽたり、と。
こぼれ落ちたものが、手紙の文字を濡らした。
父と母がいなくなってしまって、ずっと耐えていたものが、決壊したように……瞳の奥から次々とあふれていく。
母との別れだって、覚悟していたけれど、悲しくないわけじゃない。
目まぐるしい問題のせいで、悲しむ間などないと言い聞かせていただけだ。胸はいつも小さな孤独に苛まされて、そのたびに思い出に慰めてもらった。
——泣いていたの? なにか、悲しいことでもあった?
わたしが涙を耐えるとき、いつも母が掛けてくれた声を思い出して。
平気よ、と。
わたしは強いのよ。心配いらないわ。どんなときも、凛として気高く生きるのよ。
——だって、わたしは独りじゃないもの。
そばにはいつもルネがいるから——。
流れ落ちる涙を、止めようとはしなかった。
今だけは、すべて吐き出してしまおう。
この胸の悲しみがひとつ残らず流れ落ちたなら、残る想いとともに再び立ちあがろう。
21
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる