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オペラ座の幻影
Chap.5 Sec.7
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ルネはどこへ行ってしまったのか——。
捜すまでもなく、彼は廊下に出て少し行った先で見つかった。
壁に寄りかかる彼に駆け寄ると、彼は片手で目許を覆っていた。見える範囲の肌は蒼白で、ひどく具合が悪いように見える。
「ルネ? どうしたの?」
呼びかけて顔をのぞきこむが、反応がない。眼を隠す手に触れると、ぴくりと動いて、「……お嬢様」離された手の下、憔悴したような暗い目つきがこちらを捉えた。
「……どうしたの? どこか具合がわるいの……?」
「………………」
「……ルネ?」
見下ろす眼が、どこか虚ろにこちらを見ている。唇だけで何か唱えた気がするが、なんと言ったのか分からない。聞き取ろうと顔を寄せると、ルネの手が伸びてわたしの頬に触れた。
——熱い。掌が、燃えているような。
「おい! 何してるんだ」
その手に触れて確かめようとしたが、横から別の手に引き剝がされてしまった。
「あんたな、俺に文句言っといて使用人には許すのか——」
「——違うわ。フィリップ様、ちょっと離して」
「何が違うんだ」
「ルネがおかしいのっ」
「あっこら!」
掴まれた肩をよじってフィリップの手から抜け出す。
いまだ壁にもたれたままのルネの額に触れようと手を伸ばした。少し崩れた前髪に手をくぐらせて、ぺたりと掌を合わせる。
「……ひどい熱。どうして急に……もしかして、ずっと辛かったの……?」
「……申し訳ございません。お嬢様に付き添う身でありながら……うつりますので、お嬢様は離れて……」
「無理に喋らないで。今すぐ屋敷に帰りましょう? 今なら、お母様のお医者様が診てくださるわ」
距離を取ろうとわたしから離れるルネの声は、いつもの張りがない。一方的に話してフィリップを振り返った。
「フィリップ様、そういうわけだから帰ります。お父様にもわたしの代わりに謝っていただける?」
「えっ……あ、まぁ……伝えるくらいはいいけど。……え? 体調が悪いのか? ここから帰るまでだいぶあるのに……一旦うちで休むか? 医師も呼んでやれるぞ」
「ほんとう? いいの?」
「ああ。父上とうちの使用人にも伝えてくるから……待ってろ」
くるりと身をひるがえしたフィリップの背からルネに目を戻すと、血の気のない顔が困惑を見せて首を振った。
「……いえ、タレラン家にお世話になるわけにはいきません。オペラもまだ続きますから、私に構わず……鑑賞してくださいませ」
「そんなことできないわ。こんな状態のあなた放っておけない」
「この程度ならば、オペラが終わるまでに落ち着きますから……なんの差し支えもございません」
心配で触れようとした手を、拒絶するように押し返された。ふらりと揺れそうな体を直立にととのえ、落ちていた前髪を掻き上げる。伏せられた瞳はわたしを見ることなく、淡々とした声だけを返した。
「……お気遣いなく」
その姿は、優しいルネでもなく、素顔の彼でもなく。
他人のような冷ややかさを纏って、一切の接触を拒むような距離を感じた。
返す言葉を見つけられず、無言で立ち尽くしていると、フィリップの戻ってくる気配がした。
「……ん、なんだ? どうした?」
互いに沈黙して動かない二人を疑問に思いながら寄ってきたフィリップは、首をかしげつつ彼女に話しかけた。
「……フィリップ様、お父様は……?」
「え? ……ああ、伝えた。こっちに来そうだったから、そこまでは要らないだろうと思って止めたけど……?」
「お心遣い、ありがとう。でも……ごめんなさい、やっぱり帰るわ」
「……は?」
「タレラン家の方にうつしては申し訳ないから、今夜は帰ることにする。気を回してくださったのにごめんなさい。このお詫びはきちんとしますから……ゆるして」
思いつくまま話しながら、フィリップの手を取って謝罪した。両手で包み込むように彼の手を握り、精一杯の誠意を示すと、彼は驚いたように固まったが……理由を考えている余裕はなかった。
話の流れにルネが何か口を挟もうとしたが、咎めるように強く目を送り、
「——帰ります。わたしの命に、あなたが逆らうの?」
「…………いいえ」
振りかざしたことのない立場の剣で彼を制し、帰宅を指示した。
今まで避けていた手段を用いたことに嫌気が差したけれども、ほかの手段など浮かばなかった。
捜すまでもなく、彼は廊下に出て少し行った先で見つかった。
壁に寄りかかる彼に駆け寄ると、彼は片手で目許を覆っていた。見える範囲の肌は蒼白で、ひどく具合が悪いように見える。
「ルネ? どうしたの?」
呼びかけて顔をのぞきこむが、反応がない。眼を隠す手に触れると、ぴくりと動いて、「……お嬢様」離された手の下、憔悴したような暗い目つきがこちらを捉えた。
「……どうしたの? どこか具合がわるいの……?」
「………………」
「……ルネ?」
見下ろす眼が、どこか虚ろにこちらを見ている。唇だけで何か唱えた気がするが、なんと言ったのか分からない。聞き取ろうと顔を寄せると、ルネの手が伸びてわたしの頬に触れた。
——熱い。掌が、燃えているような。
「おい! 何してるんだ」
その手に触れて確かめようとしたが、横から別の手に引き剝がされてしまった。
「あんたな、俺に文句言っといて使用人には許すのか——」
「——違うわ。フィリップ様、ちょっと離して」
「何が違うんだ」
「ルネがおかしいのっ」
「あっこら!」
掴まれた肩をよじってフィリップの手から抜け出す。
いまだ壁にもたれたままのルネの額に触れようと手を伸ばした。少し崩れた前髪に手をくぐらせて、ぺたりと掌を合わせる。
「……ひどい熱。どうして急に……もしかして、ずっと辛かったの……?」
「……申し訳ございません。お嬢様に付き添う身でありながら……うつりますので、お嬢様は離れて……」
「無理に喋らないで。今すぐ屋敷に帰りましょう? 今なら、お母様のお医者様が診てくださるわ」
距離を取ろうとわたしから離れるルネの声は、いつもの張りがない。一方的に話してフィリップを振り返った。
「フィリップ様、そういうわけだから帰ります。お父様にもわたしの代わりに謝っていただける?」
「えっ……あ、まぁ……伝えるくらいはいいけど。……え? 体調が悪いのか? ここから帰るまでだいぶあるのに……一旦うちで休むか? 医師も呼んでやれるぞ」
「ほんとう? いいの?」
「ああ。父上とうちの使用人にも伝えてくるから……待ってろ」
くるりと身をひるがえしたフィリップの背からルネに目を戻すと、血の気のない顔が困惑を見せて首を振った。
「……いえ、タレラン家にお世話になるわけにはいきません。オペラもまだ続きますから、私に構わず……鑑賞してくださいませ」
「そんなことできないわ。こんな状態のあなた放っておけない」
「この程度ならば、オペラが終わるまでに落ち着きますから……なんの差し支えもございません」
心配で触れようとした手を、拒絶するように押し返された。ふらりと揺れそうな体を直立にととのえ、落ちていた前髪を掻き上げる。伏せられた瞳はわたしを見ることなく、淡々とした声だけを返した。
「……お気遣いなく」
その姿は、優しいルネでもなく、素顔の彼でもなく。
他人のような冷ややかさを纏って、一切の接触を拒むような距離を感じた。
返す言葉を見つけられず、無言で立ち尽くしていると、フィリップの戻ってくる気配がした。
「……ん、なんだ? どうした?」
互いに沈黙して動かない二人を疑問に思いながら寄ってきたフィリップは、首をかしげつつ彼女に話しかけた。
「……フィリップ様、お父様は……?」
「え? ……ああ、伝えた。こっちに来そうだったから、そこまでは要らないだろうと思って止めたけど……?」
「お心遣い、ありがとう。でも……ごめんなさい、やっぱり帰るわ」
「……は?」
「タレラン家の方にうつしては申し訳ないから、今夜は帰ることにする。気を回してくださったのにごめんなさい。このお詫びはきちんとしますから……ゆるして」
思いつくまま話しながら、フィリップの手を取って謝罪した。両手で包み込むように彼の手を握り、精一杯の誠意を示すと、彼は驚いたように固まったが……理由を考えている余裕はなかった。
話の流れにルネが何か口を挟もうとしたが、咎めるように強く目を送り、
「——帰ります。わたしの命に、あなたが逆らうの?」
「…………いいえ」
振りかざしたことのない立場の剣で彼を制し、帰宅を指示した。
今まで避けていた手段を用いたことに嫌気が差したけれども、ほかの手段など浮かばなかった。
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