【完結】好奇心に殺されたプシュケ

藤香いつき

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Bal masqué

Chap.4 Sec.15

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「まだ疑ってるのか」

 白地に青と金の仮面。ふたつの穴から細く見下ろしてくる淡い色の眼を、無言のまま瞳だけで見上げていた。

 入室禁止(らしい)温室にいつまでもいるわけにいかず、メイン会場となるボールルームへと移動していた。音楽家たちの演奏に合わせてダンスしているひともいれば、話しているひともいる。別室で軽食をとっているひともいるのだろう。規模のわりには緩い空気だった。
 そして、ボールルームに響く横笛フルートの音に妨げられることなく、ルネの声はわたしの耳に届いている。なので、聞こえていながら応えずにいるという……つまりこれは沈黙の反抗だった。濡れた頬はハンカチでぬぐわれて乾いている。崩れた化粧は都合のいいことに仮面で隠れていて、ルネを小さくめあげる瞳だけが表に出ていた。

「君は知らないだろうが、俺は14まで学びに閉じめられて育った。そこから君の家で12年……どこに遊ぶ隙があるんだ」
「……出会いがないぶん、メイドをつまみ食い……」
「そんな言葉をどこで覚えてくる——エレアノール嬢だな? あの娘は昔から余計なことしか言わない」
「……エレアノールを悪く言わないでちょうだい」
「どうせそのエレアノール嬢に余計なことを吹き込まれたんだろう?」
「…………余計じゃないわ」
「余計だ。偽りに振り回されて……馬鹿げてる」
「……偽りと確定したわけじゃないもの」
「——あのな、はっきり言っておくが俺は暇じゃないんだ。おてんば娘の子育てだけじゃなく、執事としての仕事もある。無駄に遊んでる暇なんてない」
「……大人になって、わたしの手が離れたから、遊び始めた……?」
「……君は俺の話を聞いてるのか」

 壁ぎわで話していても、誰も挨拶にこない。肩書きや身分がないというのは非常に楽だが、ここから見えるひとたち皆、誰が誰だか分からず、奇妙で不安な気持ちにもなる。
 隣の彼ですら他人のような心地がする。仮面を被っているのに、被っていない。〈優しいルネ〉ではない。
 無実を主張する不敬な唇を見つめて、

「……だったら、うちの若いメイドがころころと変わるのはどうして?」
「ころころも変わってないだろ」
「……たまに変わるのはどうして?」
「人事が俺になってから、告白してくる者は解雇クビにしてる。どの屋敷も使用人は恋愛禁止がつねだ、知らないのか」
「……言い寄ってきた子に手を出して、泥沼となる前に切ったのではなく?」
「何度も言うが暇じゃない」
「………………」
「君は、俺が君と離れてるあいだに遊んでると思ってるのか? 人事に加えて今や屋敷の管理も俺なんだが?」
「……そうなのよね。大変そう、いつ眠ってるのかしら、と……思っていたわ」
「思っていたなら疑う余地はないはずだ」
「………………」

 唇をむっつりと閉じる。言いぶんは分かるが、どうも納得いかない。でもたしかに、彼は多忙ではあった。執事の仕事にわたしの付き添いが足されているのだから、尋常でなく忙しいことになる。……なるけど、隙間時間に遊ぼうと思えば遊べそうな。下手に夜を知っているだけに、手慣れている感が拭えない。一人二人はつまんでいそうな。

「……まだ疑ってるのか」

 再三と口にされている彼のセリフに、じっとりと目を投げる。

「……なら、訊きますけれど」

 淡白に前置きしてから、

「わたしの前で、服を脱げなかったのは、どうしてでしょう?」
「それは理由を話しただろ」
「……お体に傷などありませんよね?」
「ああ、無いな」
「……ほら、やっぱり」
「やっぱり? 君が不審な態度だから警戒しただけだろう?」
「………………」
「逆に訊くが、なぜ服を脱がせる必要があった?」
「……フランソワ様が、服を脱がせれば遊んでいるかどうか分かる……と」
「……なるほど、君は周りの人間に振り回されるのが好きなんだな。さすが無知なお嬢様だ」
「……無礼だわ」
「知らないか? 今夜は無礼講らしい」

 ルネの声でざっくりと話されると、違和感が強い。失礼な態度も改善されない。仮面の下は本当にルネだろうか。だんだんと疑念が湧いてくる。
 疑いの目を二重に向けていると、

「——見つけた!」

 トランペットに似たよく通る声を発して、黒の仮面がこちらに向いた。仮面から先ほどの紳士が連想されたが、脳内ですぐに否定する。髪色は同じだがまったくの別人。フィリップだった。隣にはエレアノールもいる。

「捜したぞ。どこにいたんだ」
「……この辺にずっといましたわ」
「嘘だ。ここはさっきも見たぞ」
「……呼び出されて、さっきまでフランソワ様といましたの」
「フランソワ? そういやあいつもいないんだ。俺に別室で待ってろと言っておきながら来ないから……あんたと居たのか? なんでだ?」
「さぁ……彼とはとくに話さなかったけれど……フランソワ様のなされることは、よく分からないわ」
「そうか? で、そのフランソワはどこだ? 仮面のせいでどこにいるか、ちっとも分からない」
「わたしも存じません。こちらには来ていないのでは?」

 フィリップから浴びせられる質問に答えていると、エレアノールがちらんっとルネを見ていた。うかがう視線に、ルネは仮面越しでニコリと笑い返した。余計なことしか言わないエレアノール嬢。そんな気持ちが透けて見えるような。

「まあ、フランソワはいいか。そんなことより——俺とダンスは?」
「……え」
「俺と踊ったことないだろ? 一緒に踊らないか」
「……わたし、そんなに得意ではないから……」
「心配するな、俺がリードしてやる」

 やんわりとした拒否が伝わらない。手を取られて強制的にダンススペースへと連れ出された。止めてくれるかと思ったルネは我関われかんせずで、振り返った先、唇は笑顔のままだった。

 温かく大きな手に握られる。ルネと違って指が太くしっかりとしている。厚みのあるてのひら。引き寄せられた体を支える腕も安定している。
 踏み出す彼の足に、仕方なくステップを踏む。

「おい、なんで腰を引くんだ。離れるとやりにくいだろ」
「……言ったでしょう、ダンスは苦手なの」
「あんたはそれでも貴族か? 使用人なんかの教育だから……」
「わたしの執事を馬鹿にしないで」
「だったらまともに踊ってみせろ」

 偉そうな話し方に、ふーっと長息する。おざなりな足許に意識を回し、フィリップから距離を取っていた体を合わせた。
 こんなものは大したワルツじゃない。簡単なステップを、音楽に合わせて踏んでいく。優雅に揺れるドレスの裾まで計算して動いてみせると、目の前から多少は感嘆のこもった声が聞こえた。

「踊れるじゃないか」
「ええ、この程度なら」
「俺のリードが上手いんだな」
「…………はい?」

 ふざけた解釈に、その自己満足に満ちた顔をつねってやろうかと。思ったが、周りの目もあるので我慢した。
 一曲踊って満足したのか、もともとダンスなんて好きでもないのか。演奏が曲の終わりを奏でると、フィリップは足を止めた。

「何か飲みに行くか」
「……お好きにどうぞ」
「なに言ってるんだ、あんたも一緒に決まってるだろ」

 そんな決まりはない。このれなれしい婚約者顔を、そろそろ真剣にどうにかしなくてはいけない。

「……フィリップ様」
「ん?」
「……わたしは、あなたと結婚する気はないのよ」
「まだそんなこと言ってるのか」
「まだも何も、意見はずっと変わらないの」
「使用人との結婚なんて無理なのに? あんたバカなのか?」

 みんなして馬鹿バカと失礼な夜だ。わたしは馬鹿じゃない。

「あなたには分からないでしょうけど……今の気持ちで、誰かと婚姻を結ぶなんてできない。まして……」

 ——体を重ねるなど。

「そんなこと言ってると婚期を逃すぞ。子を産む気がないのか?」
「…………あるわ」
「だったら、」
「——それでも、……無理なものは無理なのよ」
「………………」

 破綻はたんした主張に、フィリップが目を細める。むちゃくちゃなことを言っていると理解はしている。でも、どうしようもできない。ルネのそばを離れるなんて、今は想像できない。

「……一緒ならいいのか?」

 無意識のようにつぶやいた黒い仮面を見上げる。言葉の意味はまったく分かっていない。あちらも考えながら話している。

「一緒に貰ってやっても……別に、いいような?」
「……自分が何を言ってるか、あなた分かってないでしょう」
「使用人としてなら……まあ、気にしないでやる。ただ——不貞だけは、絶対にゆるさない」

 スッと伸ばされた手が、わたしの顎を持ち上げた。親指が、唇に触れる。

「キスも。この国の緩いヤツらが目をつぶるようなもの全部、俺は認めない。発覚した瞬間に離縁する」
「…………それは、わたしを脅してるの」
「そうかもな」

 幼い目は、仮面に縁取られるせいか本来のものよりも恐ろしく光った。怖いと思うほどではないが、甘く見るな——そういう警告の意を発している。
 くちづけをするような体勢で、しばし言葉なく目を合わせていたが……

「——お嬢様」

 ふわりと柔らかに、あいだを割る声と手が、フィリップからわたしを引き離した。
 失礼ではない程度だが、しかし明確な妨害に、黒い仮面の目がりあがった。

「またあんたか。いちいち鬱陶うっとうしいぞ、使用人のくせに」

 フィリップの不平に対して、ルネは穏やかな微笑を返し、

「……ああ、これは失礼いたしました。こちらの美しいお嬢様しか目に入っておりませんでした」
「あ?」

 さも今気づいたと言わんばかりのリアクション。理解できないフィリップを無視して、ルネの仮面がわたしに向く。

「よければ、わたくしと踊っていただけませんか?」
「え……?」

 向き合う仮面に、きょとんとした目を返す。フィリップのほうが応えた。

「なに言ってんだ。使用人に主人と踊る資格はない」
「使用人とは、誰のことでしょう?」
「はあ? あんたのことだろう」
「——今宵は、身分も肩書きもございません。名前すら名乗る必要はなく、仮面の下にあるのは幻影ファントームのみ」

 なめらかに紡いだセリフは、仮面舞踏会バル・マスケの招待状に書かれていた飾り言葉。

「——美しい方と踊る機会は、私にもございます」
「……ハッ、そうかよ。だったら踊ってみせろ。使用人が踊れるもんならな」

 あざける呼気を鳴らしたフィリップを横目に、ルネは口角を持ち上げる。
 改めてわたしに向き直ると、うやうやしく手を差し出し、

「——どうぞ、お手を」
「………………」

 白くつややかな布地が、わたしを誘う。ためらいながらも……そっと、その手に自身の手を重ねた。
 布越しでも、わかる。吸いつくように重なる掌、引き寄せられる腰と、背に回される彼の右手によって包み込まれる安心感。向き合う仮面は見知らぬ者のようだが——肌に伝わるすべてが、彼だ。間違いなく。

 新たな音楽が始まる。踏み出したステップに、一切の不安なく体をゆだねると、奏でられる音楽がするりと体に溶け込む。やわらかに、なめらかに、歌うように体が流れる。
 円をえがく動きは、極上のワインのように——まろやかに。

「……なんで踊れるんだ?」

 あっけにとられるフィリップのもと、遅れてやって来たエレアノールがそろりと告げた。

「彼女にダンスを教えたのは、ルネさんよ」
「……嘘だろ」

 しとやかに舞う二人に、周囲の目が奪われる。色とりどりの仮面に囲まれながらも、向かい合うふたつの仮面は互いしか見えていない。
 美しい旋律せんりつが響くなか、幻のような夜が更けていく。
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