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Bal masqué
Chap.4 Sec.14
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ワインボトルを眺めていたデュポン夫人が、(そろそろ会場に顔くらい出そうかしら?)などと考えていると、開きっぱなしだった部屋のドアから金髪の青年が顔を出した。仮面は身につけていない。
「困るよ、マダム」
甥であるフランソワの文句に、彼女は顔を上げた。肩をすくめて歩いてくるフランソワは、ため息をついている。
「どうして彼を引き止めておいてくれないかなぁ……?」
「だって籠から逃げちゃったんだもの。去る者は追わない主義なの」
「せっかく俺が用意してあげたのに……しかも、あの子もどっか行っちゃったんだよねぇ……フィリップに引き渡すつもりだったんだけど、失敗したなぁ……」
「小犬の面倒は大変そうね?」
「そう、大変なんだよ。なのに貴女まで……ほんと困るなぁ……」
「放っておきなさいよ。好きな女の子くらい自分で落とすべきなのよ」
「そんなこと言ったって……あの執事くんが彼女にべったりなんだから、そう簡単に口説けないんだよねぇ……」
「……ムシュー・パピヨンは何をお考えなのかしらね? お嬢さんはどう見ても彼のことしか頭にないし……引き離すべきなのに放置しているなんて……よっぽど鈍感なのかしら?」
「さあ? 奥方のことしか頭にないのか……まさか執事と結婚させるつもりなのか……」
「あら、それはないわよ。ムシュー・パピヨンは、爵位と家を残すことを、とても気にしていらっしゃったもの」
「まぁ、そうだよねぇ……どこぞの馬の骨だか知れないような使用人と、自分の娘を結婚させる親が、この世にいるわけないか」
「娘が大切なら、なおさらね」
グラスを手に、ワインを飲む。柔らかで繊細な味は、病床に臥していると聞く奥方を思い出す。風が吹いたら儚く散ってしまいそうな、可憐な女性だった。
「……私が思うに、そう心配せずとも、小犬の婚姻は成り立つんじゃないかしら?」
「えぇ? 何を根拠に?」
「ひみつ。……あぁ、いっそルネくんごと貰ってあげればいいのよ。そのままそばに置いてあげるの。そうすれば丸く収まるじゃない?」
「いやぁ……それはフィリップには無理なんじゃ……」
「心の狭い子ね。妻の幸せが夫の幸せでしょうに」
「……それはあなたのところだけでは?」
曲がった唇から、微笑みの吐息が鳴る。隣に腰を下ろしたフランソワが、少し考えるように間をおいて、
「〈黄金のろば〉って、なんです?」
「……話を聞いていたの?」
「聞いてないよ。たまに話題に出てくるからさ」
「使用人を育てるための寄宿学校よ」
「使用人のための学校? そんな贅沢な……」
「ただの使用人じゃないの。あそこは特別なのよ」
「特別って?」
「あなたがダンジュー家を継いだら教えてあげるわ」
「ここまで話しといて隠すなんて、やな感じだなぁ……」
「こんなに優しい私に向けて何を言ってるの?」
「いやいや、執事くんを引き抜こうとしていたひとが、それこそ何を言うんだか……」
「あら、あれも優しさなのよ?」
「?」
ワインのグラスをくるくると回しながら、最後の香りを愉しみつつ、
「私のもとにいれば、誰も彼に手を出さない。彼が何かしでかしたときの責任は私にくるけれどね……」
「……あの執事くん、なにか面倒事でも抱えてるの?」
「……そう。しかも、自分がどれほど危険な淵をのぞいているか……知らなかったようね。私の差し伸べた手を取らなかったのだから……もう仕方ないわ」
グラスに残っていたわずかなワインを、飲みほしていく。
「……あとは、彼らのうちの誰かに任せましょう。ひょっとしたら……彼は、もう目をつけてるかも知れないわね?」
「まったく……意味深なことばかり言って……俺にはさっぱりだよ。素面で聞く酔っぱらいの話って、これだから嫌いなんだよねぇ……」
「そんなこと言って、私が大好きなくせに」
「それは大いなる勘違いだね?」
軽口をたたく彼に笑いながら、グラスをテーブルへと置いた。
適当に言ったが、真に彼はもう目をつけているような気がして、ほんのわずかだがルネに同情の気持ちをいだいていた。
(彼は鼻が利くのよね……美食家と呼ばれるだけあって)
空のボトルを、ちらりと見る。
ワインの染みが作った細い檻のなか、二匹の蝶は一緒になって囚われている。
「困るよ、マダム」
甥であるフランソワの文句に、彼女は顔を上げた。肩をすくめて歩いてくるフランソワは、ため息をついている。
「どうして彼を引き止めておいてくれないかなぁ……?」
「だって籠から逃げちゃったんだもの。去る者は追わない主義なの」
「せっかく俺が用意してあげたのに……しかも、あの子もどっか行っちゃったんだよねぇ……フィリップに引き渡すつもりだったんだけど、失敗したなぁ……」
「小犬の面倒は大変そうね?」
「そう、大変なんだよ。なのに貴女まで……ほんと困るなぁ……」
「放っておきなさいよ。好きな女の子くらい自分で落とすべきなのよ」
「そんなこと言ったって……あの執事くんが彼女にべったりなんだから、そう簡単に口説けないんだよねぇ……」
「……ムシュー・パピヨンは何をお考えなのかしらね? お嬢さんはどう見ても彼のことしか頭にないし……引き離すべきなのに放置しているなんて……よっぽど鈍感なのかしら?」
「さあ? 奥方のことしか頭にないのか……まさか執事と結婚させるつもりなのか……」
「あら、それはないわよ。ムシュー・パピヨンは、爵位と家を残すことを、とても気にしていらっしゃったもの」
「まぁ、そうだよねぇ……どこぞの馬の骨だか知れないような使用人と、自分の娘を結婚させる親が、この世にいるわけないか」
「娘が大切なら、なおさらね」
グラスを手に、ワインを飲む。柔らかで繊細な味は、病床に臥していると聞く奥方を思い出す。風が吹いたら儚く散ってしまいそうな、可憐な女性だった。
「……私が思うに、そう心配せずとも、小犬の婚姻は成り立つんじゃないかしら?」
「えぇ? 何を根拠に?」
「ひみつ。……あぁ、いっそルネくんごと貰ってあげればいいのよ。そのままそばに置いてあげるの。そうすれば丸く収まるじゃない?」
「いやぁ……それはフィリップには無理なんじゃ……」
「心の狭い子ね。妻の幸せが夫の幸せでしょうに」
「……それはあなたのところだけでは?」
曲がった唇から、微笑みの吐息が鳴る。隣に腰を下ろしたフランソワが、少し考えるように間をおいて、
「〈黄金のろば〉って、なんです?」
「……話を聞いていたの?」
「聞いてないよ。たまに話題に出てくるからさ」
「使用人を育てるための寄宿学校よ」
「使用人のための学校? そんな贅沢な……」
「ただの使用人じゃないの。あそこは特別なのよ」
「特別って?」
「あなたがダンジュー家を継いだら教えてあげるわ」
「ここまで話しといて隠すなんて、やな感じだなぁ……」
「こんなに優しい私に向けて何を言ってるの?」
「いやいや、執事くんを引き抜こうとしていたひとが、それこそ何を言うんだか……」
「あら、あれも優しさなのよ?」
「?」
ワインのグラスをくるくると回しながら、最後の香りを愉しみつつ、
「私のもとにいれば、誰も彼に手を出さない。彼が何かしでかしたときの責任は私にくるけれどね……」
「……あの執事くん、なにか面倒事でも抱えてるの?」
「……そう。しかも、自分がどれほど危険な淵をのぞいているか……知らなかったようね。私の差し伸べた手を取らなかったのだから……もう仕方ないわ」
グラスに残っていたわずかなワインを、飲みほしていく。
「……あとは、彼らのうちの誰かに任せましょう。ひょっとしたら……彼は、もう目をつけてるかも知れないわね?」
「まったく……意味深なことばかり言って……俺にはさっぱりだよ。素面で聞く酔っぱらいの話って、これだから嫌いなんだよねぇ……」
「そんなこと言って、私が大好きなくせに」
「それは大いなる勘違いだね?」
軽口をたたく彼に笑いながら、グラスをテーブルへと置いた。
適当に言ったが、真に彼はもう目をつけているような気がして、ほんのわずかだがルネに同情の気持ちをいだいていた。
(彼は鼻が利くのよね……美食家と呼ばれるだけあって)
空のボトルを、ちらりと見る。
ワインの染みが作った細い檻のなか、二匹の蝶は一緒になって囚われている。
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