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Bal masqué
Chap.4 Sec.13
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「おや……こんなところに、もうひとり迷い子とは……さすが仮面舞踏会の夜だ、趣があるな」
くっくっくっと笑う声が、温室に響くことなく消えていく。黒い仮面からのぞく眼は、漆黒の色をして細くこちらを眺めていた。
「その娘は私が先に見つけたのだがね……返してもらえないか?」
「渡せない。彼女は俺のパートナーだ」
「今宵の宴に、つがいなどはないのだよ。……君は知らないかな?」
「彼女を先に見つけたのは俺だ。あなたは横入りしただけだ」
「ほう……ならば、きちんと捕らえておきなさい。ここは魔の巣窟だ……一度でも手放せば、闇に喰われてしまうよ?」
物語の語り部のように告げると、囁くような話し方の紳士は去っていった。
残されたのは、
「——君は馬鹿か!」
振り返った仮面が、ルネの声で怒鳴った。
我を忘れたみたいにして止まっていたが、びくりと反応してその顔を見返す。どんな表情をしているか分からない。仮面に覆われた顔は、声だけで怒りをみせた。
「少し目を離しただけで、何故こうも問題を起こす? たった20分30分のあいだをどうして大人しくしてられないんだ? あれだけ男と二人きりになるなと散々教えてきたのに、前回といい今回といい君は本当に馬鹿なのか?」
淀みなくぶつけられる言葉に気圧されて、「ごめんなさい……」反射的に謝ってから、疑問が。
胸にじわじわと湧く何かと、頭のすみで冷静に考え始めるわたしが、(わたしが怒られている……?)現状に対して激しい違和感を覚える。
「謝るくらいなら初めから考えて行動しろ! 二度も同じ目に遭う馬鹿は君くらいだ。——それとも、俺に構ってほしくてわざとやってるのか?」
「……わざとなんかじゃ……」
「なら欲求不満か。俺だけじゃ飽き足らず、ふらふらと男を誘って……気高さが聞いて呆れるな」
「あ、あなたに言われたくないわっ……!」
不敬きわまりない発言に、胸に湧いていた感情が頭にのぼった。
震える唇は恐怖ではなく、悲しみでもなく、ただ怒りだけで、
「不貞を働いていたのはあなたでしょう? わたしと離れられたのをいいことに、デュポン夫人にまで手を出して!」
「俺は君とは違う。好きでやってるんじゃない」
「わたしだって好きでこんな所に迷い込んだんじゃないわ! あなたが夫人と猥りがわしいことをしていたから、それでっ……」
「君の失態の責を俺になすりつけるな」
「あなたこそ自分の行動を省みるべきよ」
「……君が邪魔しなければ、事はうまくいったんだ。それを君が……余計なことばかり……」
「余計なこと? そんなにデュポン夫人と関係を持ちたかったと言うの? だったらあなたのほうこそどうかしてるわ。メイドだけで飽き足らずに、よその奥様に手を出して——」
「——なんの話をしている?」
「あなたの話をしてるのよ! わたしが何も知らないと思ってるの? あなたがうちのメイドたちと関係があったことなんて、ぜんぶ知れているのよ!」
「……何を誤解してるのか知らないが、そんな事実はない。自慢じゃないが、俺は君しか知らない」
「なにを今さら、そんな嘘を——!」
激情にかられて高くなる声を閉じこめるように、ふいに引き寄せられて唇を彼のもので隙間なく埋められた。押しのけようとする力よりも強く抱きしめられ、流れ込む舌が訴えの言葉をねじ伏せる。鼻先で仮面が当たり、わずらわしく思ったのか、彼は角度を変えると深く舌を絡めなおした。
こんなささやかなことで、気持ちが揺さぶられて、抵抗できなくなる。
——ささやか?
彼女とだって、深く唇を合わせていたのに。
「……何を泣くんだ……」
瞳からあふれる涙は、見えるはずがない。
仮面に隠された感情など見えるはずがないのに、いち早く気づいた彼が、唇を離して問うた。
「ルネが……わたし以外のひととっ……」
「先に他の男とキスしたのは誰だ。大体……愛がなければ意味がないと、そう言ったのは君だろ」
「……うぅっ……」
思いは言葉にならず、むせび泣く音だけがこぼれていく。
うつむく目に、はだけた彼の鎖骨が——赤い跡を見せつけた。そこだけ穢された、赤い血のような。
涙が止まらなくなる。
「……泣くな。気高く生きるんだろ」
「……気高さが、聞いて呆れると……言われたわ……」
「本気で言ったわけじゃない」
体に回された腕に、力が込もった。
「君以上に気高い者はいない。誰よりも君が真っ直ぐに生きようとしてることを——俺が、昔から知ってる」
聞き知った声で、知らない話し方で。
耳にかけられる言葉は、胸にゆっくりと沁みていく。
何が真実か分からない。それでも、抱き寄せる力強さと、ぬくもりだけは……偽りなくわたしを支えてくれる。
確かな存在にすがりつくように、腕を背に回していた。
——誰にも渡したくない。
いつか誰かのものになってしまうことも、覚悟していたのに。たった一度見た今夜の光景が、すべての決意を掻き崩してしまった。
もう、取り戻せない——。
自分のなかにあった独占欲と、先のない恋を思って。
彼の腕のなか、ただ静かに涙をこぼしていた。
くっくっくっと笑う声が、温室に響くことなく消えていく。黒い仮面からのぞく眼は、漆黒の色をして細くこちらを眺めていた。
「その娘は私が先に見つけたのだがね……返してもらえないか?」
「渡せない。彼女は俺のパートナーだ」
「今宵の宴に、つがいなどはないのだよ。……君は知らないかな?」
「彼女を先に見つけたのは俺だ。あなたは横入りしただけだ」
「ほう……ならば、きちんと捕らえておきなさい。ここは魔の巣窟だ……一度でも手放せば、闇に喰われてしまうよ?」
物語の語り部のように告げると、囁くような話し方の紳士は去っていった。
残されたのは、
「——君は馬鹿か!」
振り返った仮面が、ルネの声で怒鳴った。
我を忘れたみたいにして止まっていたが、びくりと反応してその顔を見返す。どんな表情をしているか分からない。仮面に覆われた顔は、声だけで怒りをみせた。
「少し目を離しただけで、何故こうも問題を起こす? たった20分30分のあいだをどうして大人しくしてられないんだ? あれだけ男と二人きりになるなと散々教えてきたのに、前回といい今回といい君は本当に馬鹿なのか?」
淀みなくぶつけられる言葉に気圧されて、「ごめんなさい……」反射的に謝ってから、疑問が。
胸にじわじわと湧く何かと、頭のすみで冷静に考え始めるわたしが、(わたしが怒られている……?)現状に対して激しい違和感を覚える。
「謝るくらいなら初めから考えて行動しろ! 二度も同じ目に遭う馬鹿は君くらいだ。——それとも、俺に構ってほしくてわざとやってるのか?」
「……わざとなんかじゃ……」
「なら欲求不満か。俺だけじゃ飽き足らず、ふらふらと男を誘って……気高さが聞いて呆れるな」
「あ、あなたに言われたくないわっ……!」
不敬きわまりない発言に、胸に湧いていた感情が頭にのぼった。
震える唇は恐怖ではなく、悲しみでもなく、ただ怒りだけで、
「不貞を働いていたのはあなたでしょう? わたしと離れられたのをいいことに、デュポン夫人にまで手を出して!」
「俺は君とは違う。好きでやってるんじゃない」
「わたしだって好きでこんな所に迷い込んだんじゃないわ! あなたが夫人と猥りがわしいことをしていたから、それでっ……」
「君の失態の責を俺になすりつけるな」
「あなたこそ自分の行動を省みるべきよ」
「……君が邪魔しなければ、事はうまくいったんだ。それを君が……余計なことばかり……」
「余計なこと? そんなにデュポン夫人と関係を持ちたかったと言うの? だったらあなたのほうこそどうかしてるわ。メイドだけで飽き足らずに、よその奥様に手を出して——」
「——なんの話をしている?」
「あなたの話をしてるのよ! わたしが何も知らないと思ってるの? あなたがうちのメイドたちと関係があったことなんて、ぜんぶ知れているのよ!」
「……何を誤解してるのか知らないが、そんな事実はない。自慢じゃないが、俺は君しか知らない」
「なにを今さら、そんな嘘を——!」
激情にかられて高くなる声を閉じこめるように、ふいに引き寄せられて唇を彼のもので隙間なく埋められた。押しのけようとする力よりも強く抱きしめられ、流れ込む舌が訴えの言葉をねじ伏せる。鼻先で仮面が当たり、わずらわしく思ったのか、彼は角度を変えると深く舌を絡めなおした。
こんなささやかなことで、気持ちが揺さぶられて、抵抗できなくなる。
——ささやか?
彼女とだって、深く唇を合わせていたのに。
「……何を泣くんだ……」
瞳からあふれる涙は、見えるはずがない。
仮面に隠された感情など見えるはずがないのに、いち早く気づいた彼が、唇を離して問うた。
「ルネが……わたし以外のひととっ……」
「先に他の男とキスしたのは誰だ。大体……愛がなければ意味がないと、そう言ったのは君だろ」
「……うぅっ……」
思いは言葉にならず、むせび泣く音だけがこぼれていく。
うつむく目に、はだけた彼の鎖骨が——赤い跡を見せつけた。そこだけ穢された、赤い血のような。
涙が止まらなくなる。
「……泣くな。気高く生きるんだろ」
「……気高さが、聞いて呆れると……言われたわ……」
「本気で言ったわけじゃない」
体に回された腕に、力が込もった。
「君以上に気高い者はいない。誰よりも君が真っ直ぐに生きようとしてることを——俺が、昔から知ってる」
聞き知った声で、知らない話し方で。
耳にかけられる言葉は、胸にゆっくりと沁みていく。
何が真実か分からない。それでも、抱き寄せる力強さと、ぬくもりだけは……偽りなくわたしを支えてくれる。
確かな存在にすがりつくように、腕を背に回していた。
——誰にも渡したくない。
いつか誰かのものになってしまうことも、覚悟していたのに。たった一度見た今夜の光景が、すべての決意を掻き崩してしまった。
もう、取り戻せない——。
自分のなかにあった独占欲と、先のない恋を思って。
彼の腕のなか、ただ静かに涙をこぼしていた。
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