【完結】好奇心に殺されたプシュケ

藤香いつき

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Bal masqué

Chap.4 Sec.9

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 こそこそとぎ回るのは、わたしに向いていない。——だから、ストレートに訊いてしまうのが無難なのだろう。

「ねぇ、ゲランさん」

 書斎にて書類を細々とまとめていた彼に、デュポン夫人から招待状が来る旨を伝えたあと、世間話のように切り出した。

「最近、ルネさんの服の下を見た?」
「……なんのお話でございましょう?」

 さりげなくを装ったが、内容に限界がある。敬意は残っているものの、丸眼鏡の奥にある瞳にはうろんげな気持ちが透けていた。
 大丈夫、この先の嘘は用意がある。

「ダンジュー家のフランソワ様が、ルネさんの体を見てあげてと言うのよ。もしかして、怪我けがでも隠しているのかしら……と思って」
「怪我でございますか……わたくしは存じ上げませんが……」
「古傷のことを言っていたのかしら?」
「……古傷とは、なんでございましょう?」

 首をかしげて見せたが、わざとらしかった気がする。しかし、ゲランは何も思っていないらしい。平常心と胸中で唱えつつ、さも知り尽くしたように、

「ルネさんは、お体に傷があったでしょう?」
「………………」

 眉をひそめるゲランの顔に、動揺を隠して笑った。

「違うのよ、変な意味じゃないわ。子供の頃に見たのよ。今でも残っていそうな傷だったから、てっきりまだあるのかと……」
「——いえ、わたくしの記憶が正しければ、彼にそのような傷はございません」
「……ぜったい?」
「おそらく、と申し上げます。……先日、使用人は健康診断を受けております。奥様に何かあってはいけませんので……しかし、怪我や古傷について、そこでの医師から報告はございません。わたくし自身も立ち会っておりますが、取り立てて気になることはなかったかと……。何分なにぶんそこまで注視しておりませんので、不確かではございます。些細ささいな傷はあるのやも知れません」
「……そうなの」
「……ダンジュー様が、彼の肌を目になさる機会がございましたのでしょうか?」
「さぁ……なんとなくで言ったのかもしれないわ。フランソワ様ってつかみどころのない方だから……」

 半分は真実を話している。最近まわりを見ていて分かったのだが、嘘というものはすべてを偽ろうとするから失敗するのだ。大半を真実で覆ってしまえば、偽りの部分は意外と気づかれない。
 怪我がないならいいのよ、気にしないでちょうだい。奇妙な顔をするゲランには軽く声をかけて、部屋をあとにした。
 ゲランの話を信じるならば、

——見苦しい傷痕がございますので、お嬢様の目に映すことのないよう。

 あれは、嘘になる。服を脱げない理由が、別にあったことになる。

(服を脱げない理由……いいえ、元を言えば……服を脱いだら分かるとは……?)



 §



「キスマークだわ」

 例のごとく小犬のような眼をぱっちりと大きく開いて、エレアノールが答えた。
 彼女の屋敷で、向かいにいたわたしは意味が分からず、隣に座るジョゼフィーヌを見る。彼女は黙って紅茶に口をつけていた。理解しているのかどうか判断つかないので、とりあえずエレアノールに目を戻し、

「キスマーク?」
「そう、キスマークよ。フランソワ様は、それを見てごらんと言ったんだわ」
「…………そんなものは、洗えば落ちてしまうでしょう?」
「——いいえ、落ちないのよ。あなたが思ってるのは口紅ルージュでしょう? それではなくて、別のキスマークよ」
「別のキスマーク……?」
「あたしは聞いたことがあるわ。情念が深くこもると、キスをしたときに肌に赤く残るんですって。つまり、深ぁくルネさんを愛する女のひとが、彼の肌にキスマークを残しているということよ!」
「またそんな……適当なこと言って。わたしをだまそうとしてるでしょう」
「してないわ! ほんとうよ!」

 きゃんきゃんと高くなる声から離れるようにイスを下げ、ため息をつく。彼女に相談したのがいけなかった。

——フランソワ様が変なことを言うのよ。

 ルネの身辺を洗うつもりなどなかったのに、どうしてか探るようなまねをしている。いや、まだこれは友人への愚痴ぐちの域だと思うが、話が変な方向に曲がっている。

「ひどいわ! どうして信じてくれないの!」

 ——だって、そんなことを言ったら、彼を想うわたしがキスをしても、それだけ赤くなるということでしょう? でも、彼の唇はそのままだったわ。そもそもキスのたびに唇が赤くなったらじゃない。不貞もすぐにバレてしまうわ。

 なんて言えない。絶対に言えない。どうあっても彼との姦淫かんいんだけは隠しきらなくてはいけない。
 表情に出ないよう、しずしずと菓子を食べる。エレアノールはまだ何か言っている。

「ほんとうなのに! ねえ、ジョゼットも聞いたことあるでしょう?」
「そうねぇ……」

 意外なことに、ジョゼフィーヌが肯定らしき声をふんわりと返した。驚きに横を見ると、唇を閉じて「ん~……」言おうか言うまいか、悩んでいるようす。

「情念がこもる……とは、すこし違うのだけど……肌を吸うと、付くらしいわね?」
「「肌を吸う?」」

 ぴたりと息が合った。エレアノールと目を合わせ、二人でジョゼフィーヌに説明を求める目を向ける。

「……私も見たわけではないのよ? ただ、お母様から……その、子づくりについてお話を受けたときに……すこし、そんな話を……」

 白い頬が、だんだんと紅潮していく。釣られてネリーとわたしも赤くなる。メイドはいつもどおり追い出されているので、三人で静かに赤面していた。わたしにおいてはルネとの行為まで思い浮かべてしまい、なおさら表情に出ないよう気を張った。

 こほん、とせきをこぼし、ジョゼフィーヌは居住まいを正す。

「——だから、ね? そういうキスマークもあるというのは、嘘ではないのよ」
「ほぉらね!」

 エレアノールの鼻高々な顔は無視して、話を続ける。

「それがあったからといって、メイドと関係があると断定はできないと思うのよ……どのみちフランソワ様が何をしたいのか分からないわ……」
「あら、あたし、それは分かるわよ?」
「え?」

 思いがけずあっさりと応えるエレアノールを見つめると、彼女はなぜか一度、困ったように悲しい顔をした。
 数秒間、言いかけてやめるような変な動作をしたあと、大きく息を吐いて、

「……怒らないで聞いてちょうだいね?」
「怒る話なの?」
「怒る……というよりも、悲しむ話かもしれないわ……」

 重い前置きをしてから、エレアノールは神妙な顔をした。

「あなたのおうち、若いメイドの入れ替わりが多いでしょ?」
「そうなのかしら? 言われると確かに……そうかもしれないわね?」
「……その理由が、ルネさんと恋仲になったりフラれたりの、恋愛問題らしいのよ」
「…………冗談でしょう?」
「冗談じゃないわ。あなたの気持ちを知っていて、こんな嘘を言うわけないでしょ」
「………………」
「この話、メイドたちのあいだでは有名なのよ。あなたがまったく知らないみたいだったから、黙っていたけれど……数年前から耳にしているわ」

 真面目な顔をしたエレアノールの瞳が、まっすぐにわたしを見つめ、

「フランソワ様が何をしたいか——それはそのままなのよ。タレラン家に嫁ぐなら、使用人にうつつを抜かしていないで、きちんとした身なりでありなさいと——戒めているんだわ」

 彼女のこんな真剣な顔は初めて見る。
 それはつまり、それだけこの話の重みを伝えていた。
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