35 / 72
Bal masqué
Chap.4 Sec.7
しおりを挟む帰りの馬車で、思いきって尋ねた。
「デュポン夫人と……何を話していたの?」
いつものように窓の外を眺めていたルネは、わたしの問い掛けに目を合わせると、吐息を混ぜて答えた。
「——引き抜きでございます」
「……デュポン夫人が、あなたを?」
「ええ、先日のピアノの件で、余計な噂が広まっておりまして。……ダンジュー様のお口添えもあるのでございましょう。デュポン家へ来ないか、と……」
「………………」
「……そのようなお顔をなさらないでください」
ルネは苦笑すると、すこし懐かしい空気をまとった。
「どこにも行くつもりはございません。お嬢様のそばに居ります」
穏やかな響きが、夜色の世界になじんでいく。見つめる先の瞳は外のランプを映し、やわらかに光を帯びている。
——あの使用人とじゃ、結婚はできないぞ。
フィリップに告げられた事実を思う。
それは、もちろんそうだろう。そんなことは、彼に恋をした幼き頃から理解している。家のためにも父のためにも、正しい婚姻が要る。
——この家を、必ず守らなくてはならない。
昔から重くつぶやく父の声は、わたしに向けてというよりも、自分への戒めのようだった。母とのあいだに娘ひとりしか生まれなかったことについて、父なりに責任を覚えて気にしているのか。控えめではあったが、何度も言われている。
——お前に負担をかけて悪いね……。
——あら、平気よ。男の子を産めばいいだけの話でしょう?
——うむ、そうは言うが……。
——何人だって産んでみせるわ。わたしの体はとっても丈夫だもの。嫁いだとしても、あちらと我が家。どちらも継げるよう、最低でも二人は男児を産むのよ!
父を縛りつける血統の鎖を払ってあげたくて、自信満々に明るく返すのが常だった。
貴族にとって婚姻は——重い。
だから、ルネと添い遂げることなど、はじめから夢にも思っていない。
ただ、
——どこにも行くつもりはございません。お嬢様のそばに居ります。
ずっと近くにいられたら、それだけでよかった。嫁ぐならば、嫁ぐ日まで。婿養子をとれるならば、ゲランのように末永く。どちらにしても、我が家にずっと仕えてほしい。
「……お嬢様?」
言葉なく見つめていたわたしに、ルネが首をかしげた。なんでもないわ、と。首を振ってみせる。
空気を変えるように、ルネは苦笑に軽さを出した。
「——とは言いましても、お嬢様がタレラン様とご結婚されれば、私は不要となりますから……その際はデュポン家にお世話になりましょうか」
冗談の響きで話す内容は、そう軽くもない。穏やかな表情に、記憶から恐ろしい声が浮きあがる。
——今の君は、俺のものだ。俺の匙加減で、君ら家族の生涯が決まると思え。
どちらが、彼の素顔なのか。
考えるまでもないのに、考えてしまう。
彼は何を考えているのだろう。
彼の気持ちはどこにあるのだろう。
——なら、確かめてごらん。
思いなやむ脳裏には、悪魔の囁きが聞こえる。
21
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
専属執事は愛するお嬢様を手に入れたい
鳥花風星
恋愛
結婚は待遇や世間体のためであり結婚しても恋愛が自由という国で、一途に思い合う結婚を思い描く令嬢エリス。その理想のせいで五度も婚約破棄をされている。
執事であるディルへの思いを断ち切りたくて結婚を急ぐが、そんなエリスにディルは「自分が貴族の令息だったならすぐにでも結婚して一途に思うのに」と本気とも冗談ともとれることを言う。
そんなある日、エリスの父親がだまされて財産を失いかける。そんな父親にとある貴族が「自分の息子と結婚してくれれば家はつぶれない」と話を持ち掛けてきた。愛のない結婚をさせられそうになるエリスに、ディルがとった行動とは。
専属執事とご令嬢の身分差ハッピーエンドラブストーリー。
◇他サイトにも掲載済み作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完
瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。
夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。
*五話でさくっと読めます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる