【完結】好奇心に殺されたプシュケ

藤香いつき

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小犬のワルツ

Chap.3 Sec.5

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 再会したあの女は、こわばった笑顔をしていた。
 どう見ても、親に言われて嫌々渋々やってきましたという出来損ないの笑顔で、こんなにあからさまな女はいただろうか、と。フィリップは思わず笑いそうになるくらいだった。(実際、彼は半分笑っていたが)
 『女はすべてが演技』と言ったのは誰だったか。偉人ではなく友人のフランソワだったかも知れない。そうなると、笑顔のひとつすらまともにやれないこの女は、女じゃないと言える。何にせよ、これだけ引きつった笑顔を見られれば胸がすく。フィリップの頭を占めていた不愉快な気持ちは、なかなかにれていた。

 ——しかし、食事の席へと移動するときになって、状態は変化していた。
 エスコートのため、フィリップの腕に手を添えたところまでは、沈痛な顔をしていて。(ざまぁみろ)と清々しく眺めていたのだが、付き添いの使用人が食事の席についてくると分かった途端、急に表情が変わった。

 長テーブルにつく。男女交互に並ぶのが通例なのもあり、フィリップの横に女が座る。女の家からの贈り物であるという食前酒で乾杯がなされ、そのついでに彼女を紹介する。その間は、身を硬くして様子を見る感じがあった。
 しかし、紹介が終わると緊張をゆるめ、彼女はそろりと一度振り返ると——背後の壁に使用人が控えていることを確認し、安心したように前を向き直した。その顔はもう引きつった笑顔でも沈痛な表情でもなく、平常どおりな空気である。なんなら運ばれてきたスープを見て、目を丸くしている。

「温かい!」

 変なところに驚いているなと思ったが、なるほどコース料理を知らないのかもしれない。多くの晩餐会は大皿で提供されると聞く。そして、その料理は冷めているとも。
 スープを口に含むと、さらに目を丸くしていた。美味おいしいらしい。きらきらと瞳を輝かせ、せっせとスプーンを動かしている。おそらく、こちらのことはもう頭から抜けている。
 喜ばせるつもりではなかったのに。まあ仕方がない。うちのシェフは、その辺のとは格が違う。

「……あんた、女のくせによく食うな……」

 頻繁に食べるフィリップからすると、大して感動はない。なので運ばれる料理を隣で次々と口に入れていく彼女にあきれて、ついそんな意見がもれていた。
 ぱちりと目をまたたかせて、彼女がフィリップを見る。そういえば居たわ、というような顔をしてから、キリッと表情を締めた。

「血祭りに備えているのよ。この美味しい料理で、これから来る不幸のぶん、幸せを得たわ。どうぞ、いつでも貶めてくださってけっこうよ」
「あ? ……なんて言った? ちまつり?」
「血祭り」
「ってなんだ?」
「あなた、わたしを公の場でどうにかしてやろうと企んでるでしょう。——だから、せめて料理はすべて頂いていくわ」
「………………」

 かっこつけたような顔で、なに言ってるんだろう。
 短く見積もっても5秒は思考が止まっていた。そのあいだに、

「コルセットなんて外してくればよかったわ……根本からして女は不利なのよ……」

 ぶつぶつと呪文みたいなことを唱え、胸の下あたりを苦しそうに押さえている。
 女というものは、えてして物を食わない。フィリップの前だからか、コルセットで締める体のせいか、はしたないとでも思うのか。理由はさまざまなのだろうが、とかく食べない。そういうものだと理解している。
 しかし、彼女は。美食会の特別な料理であるから、普段より食べるにしても……
 コースの皿を着々と空にしていく姿に、

「……あんたは女じゃないな」
「失礼ね、わたしのどこをどう見たら女じゃないと言えるの!」
「ぜんぶ」
「あなた、ほんとうに失礼なひとだわっ」

 ぎゅっと力の入った眉で、目立たないよう小さく怒っている。以前はもっと歳上に感じたが、どうやら近い気がする。怒る頬は赤みが差していて、前の印象よりも幼く見えた。

「——だってあんた、モテないだろ? 正直に言えよ」
「いいえっ、きちんとダンスの申し込みもありますから」
「それはあんたの家柄にかれてるだけで、あんた自身がモテてるわけじゃ……」
「あなたが言うの!」
「俺は人気あるぞ」
「さっきの家柄うんぬん、そっくりそのままお返しするわ」

 これだけ話していても、合間にちゃっかり食べている。運ばれてきたオレンジのゼリーには、いったん手を止めて皿の上を見つめ、

「……きれい。こんな綺麗なマーブル模様、どうやって作るのかしら……」

 オレンジの皮に収まるのは、果実ではなく。果実と同じように収められた、赤とブラウンの透きとおった大理石マーブルのゼリーに、彼女は静かに見れていた。パクパク食べるのかと思いきや……そういうところは、女っぽい。
 スプーンでひとくち掬いあげ、口に運ぶ。薄紅うすべにの唇が小さく開き、ゼリーが吸い込まれていく。ぱっと華やぐ表情は、いっそう幼い。

「宝石のようなのに……見た目だけじゃなくて、とてもおいしい! あなたも食べないの?」

 食事で機嫌が上がっているのが分かる。こちらに尋ねてくる顔は、幸せそうに笑っている。れた唇は、微笑みの形で薄く開かれていて、自然とそこに目がいった。

「……食べる」

 目をそらして、ゼリーへと。

「こんなに美味しいものが食べられるなんて、来てよかったわ。ここから先が血祭りでも、わたしは平気よ」

 どうしてか勝ち誇った声で話しているが、元から彼女の言う〈血祭り〉なんてものは食卓に無い。しいて言うなら、このあと。食後の時間が特殊なだけ。
 ただ、そこであざ笑ってやろうと思っていた気持ちは……じょじょに溶けてきている。テーブルの中央に飾られた工芸菓子ピエス・モンテの砂糖細工が、蝋燭ろうそくの火によって緩んでいくように。

「……おい、あんたさ、」

 呼びかけると、瞳がこちらに向く。
 顎でテーブル中央の菓子を示し、

「あれ、ぜんぶ食えるって知ってるか?」
「——え!」

(やっぱり、知らないよな)

 甘い匂いをまとった唇が、驚きにあんぐりと開かれる。
 馬鹿みたいに驚愕きょうがくするその顔に、どうしても耐えられず——笑ってしまった。


 えんもたけなわと、にぎやかなテーブル。本人たちは犬猿の仲のつもりだが、タレラン夫人を含め招待客の多くが、仲睦なかむつまじい二人の様子を、アルコールに浮かれた頭で微笑ましく見守っていた。
 ただ一人、壁ぎわに立つ青年の目が、そっと細められたことには、誰も気づいていない。
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