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小犬のワルツ
Chap.3 Sec.4
しおりを挟むこの時期の晩餐会は夕暮れに始まる。
色の変わりゆく空を背にした屋敷は、贅沢に灯された光に包まれ、訪れる者の目を奪う美しさだった。
「まぁまぁ! なんと可愛らしいのでしょう!」
タレラン家の別宅である屋敷にて、訪問の挨拶を交わした今宵の主催者——タレラン夫人は、豊かな胸をたっぷりのフリルで飾り、華やかなジュエリーを身につけていた。
対して、わたしのドレスは非常にシンプル。白の細い釣りがね型。裾は装飾が少なく、ライトブルーのレースが少し。袖も最近の流行に反して腕を出し、白のロンググローブで覆っている。
「フィリップが見そめたお嬢さん! 本当に嬉しいわ。なんて堅実そうで控えめなのかしら……こういう子が好みだったのねぇ」
堅実で控えめ。質素で地味をうまく言い換えただけで、見定める目には本音がちらりちらりと見えているような。
(いいえ、お宅の息子さんとは犬猿の仲だと思います)
こちらも胸中の本音は隠して、あいそ笑いを返す。ついでに、隣に並ぶフィリップとやらにも。
目が合う。そろそろ気づいて追い返されるのではないかと思う。しかしながら、
「よぉ、婚約者殿」
「…………どうも、こんばんは」
笑った顔のまま、口角が引きつった。思っていた展開ではない。わたしの顔を見ても理解しないとは、この男の記憶力はどうなっているのだろう。不敵に笑う顔を見上げて、首をかしげてみせた。
「……わたしのこと、覚えていらっしゃる?」
「当然だ」
「……どなたかと、お間違えでは?」
「間違えるかよ。あんたこそ忘れてるんじゃないだろうな?」
「……温室で?」
「よし、覚えてるな。(——覚悟しとけよ)」
唇だけで付け加えられたセリフに、彼の意図がうっすらと読めてきた。読めてきたが、まだちょっと理解が及ばない。
まさかこの男、公の場でわたしを貶めてやろうと思っているのだろうか。そのために婚約? ……冗談もいいところだ。
§
「……頭が痛いわ」
食事の支度を応接室で待ちながら、耐えきれずにぽつりと愚痴をもらしていた。他の招待客に拾われることなく、わたしが座るソファの背後にいたルネが、軽く身をかがめ、
「大丈夫でございますか?」
「……ええ、だいじょうぶ」
「飲み物を頂いてまいりましょうか?」
「……いえ、だいじょうぶ」
「………………」
のぞき込んでくるルネの顔は、主人を心配する健気な執事の顔をしている。これが演技なのだから、人とは恐ろしいものだ。エレアノールの比じゃない。ここまでくると尊敬もする。見習いたい。
「……ルネさん、」
「はい、なんでございましょう?」
「今夜の晩餐会——美食会? ……とにかく、食事の席で……わたしは血祭りに上げられるのかも……」
「……なんとおっしゃいました?」
「血祭りに、上げられる」
「血祭りに、上げられる?」
「そう」
「……ほう?」
すこし表情をくずしたルネの顔は、対岸の火事というか……(なに言ってるんだろな?)くらいの雰囲気で、あまり深刻さが伝わっていない。目許に不満をこめて見つめる。
「(これは婚約じゃないのよ。あのひと、わたしに仕返ししようとしてるの)」
「(……お話の筋が、私には分かりかねます)」
「(なぜ! 分かるでしょう!)」
「(……いいえ)」
「(あなたそれでもわたしの執事なの!)」
「(……仕返しされるようなことを、お嬢様が彼になさったのでございますか?)」
「(……そこまでのことは……していないと思うのだけれど……)」
「(では、何故そのように思われるのでございましょう?)」
「(……女の直感)」
「(それはまた、えらく理のない……)」
「(いいえ! 女の直感は侮れないと、古来から決まっているのよ!)」
「(さようでございますか……)」
こそこそと話していると、食事の支度が終わったらしく、それに伴ってあの男が——わたしの方へと。
「……タレラン様、なにか?」
「あんたをエスコートしに来てやったんだろ。ほら、立ち上がって手をよこせ」
直角に曲げられた彼の左腕に、
(そうか、名目上わたしは婚約者なのか)
現状を捉えたが、手を伸ばす気どころか立ち上がる気力も湧いてこない。今から血祭りの晩餐会なのに。どうしてみずから向かわなくてはいけないのか。
「——お嬢様、お手を」
難しい顔でじっと見ていた彼の腕の前に、ひらりと白い手が差し出された。目を向ければ、ルネの穏やかな微笑みが。すこし、泣きたくなる。
(行きたくないのよ)
(行かれるべきでございましょう?)
重なる目が、わたしの意思を待っている。気が進まないながらも、ルネの手を取って立ち上がった。触れた指先を、彼はぎゅっと握ってくれた。
——離したくない。
でも、その手はたやすく離れてしまう。
頼る先を失った手で、フィリップの腕に手を添えた。従順なわたしが愉しいのか、見下ろす顔に傲慢な笑みが浮かんでいるが……腹も立たない。ただただ気が重い。
進もうとした足を、ふと、フィリップのほうが止めた。
「……おい、あんたは使用人だろ。ここにいろよ」
黒の眼が捉えたのは、わたしの背後に控えたルネだった。フィリップの命令を受けて、細く笑ってみせる。
「主人の命で、お嬢様と共にするよう言い付けられております」
「はあ? そんな特例は認めてないぞ。給仕の使用人は十分にいる。あんたが来る必要はない」
「——いえ、お嬢様には、ときおり持病の癪がございますので……突然の事態にそなえて、すぐそばで仕えるよう昔から命じられております。タレラン=ペリゴール夫人にも、あらかじめお伝えしてございます」
「……ほんとうか?」
「はい」
「…………病気持ちか」
事のなりゆきを見守っていると、差別的な発言を最後にフィリップの目がルネを放した。差別的ではあったが、彼の発言はきつくはなかった。独り言のような音だった。
無言で、ルネに目を送る。
(わたしって、持病の癪なんて起こしたことあったかしら)
ふっと笑う彼は、その唇で優しく唱えた。
——いつでも、おそばに。
それは、音には成らなかったけれど。
ルネの声で、たしかに胸に響いていた。
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