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囚われの蝶々

Chap.2 Sec.4

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 ——つまり? わたしのなかで秘密の恋だと思っていたルネへの想いは、周りからしたら全くもって秘密ではなく。友人は当然のように気づいていて、もしかしたらルネもとっくに見抜いていて、なんならメイドたちも察しているかもしれない、と?
 そういうこと?
 ……まさか、お父様たちまで気づいていることはないわよね? 娘の片想い相手と知りながら、ルネにこんな——社交の付き添いを任せるのも、おかしな話よね?


「……お嬢様、何かお困りごとでございましょうか?」
「…………いいえ」

 舞踏会のための絢爛けんらんたるボールルームサル・ド・バルで、神妙な顔をしているわたしは周りから浮いていた。

 付き添いのルネの顔を見られない。いっそ誰の顔も恥ずかしくて見られない。わたしは今日、ドレスに着替えて用意するあいだも、ずっとメイドたちと目を合わせられなかった。同様に、馬車につく使用人たちとも。
 誰もが、わたしの秘密を知っているような気がする。顔に出やすいというなら、ルネとの姦淫もあっというまに見透かされる。もうすでにわたしの人生は終わりだと思う。

 消えてしまいたいと思いながら、(そうよ、仮面よ。仮面が欲しいわ……)追い詰められた思考は混乱を極め、最終的によく分からないがマスカレードバル・マスケの派手な仮面を求めていて、つい今ほど言葉を交わしたエレアノールにも、

「わたし、仮面が欲しいわ……」

 などとこぼし、

「——あら、仮面舞踏会バル・マスケなら、今度デュポン夫人が開催するそうよ」

 耳に寄ったエレアノールのピンクの唇が、こそりと愉しげに応えた。ルネに聞かせないようささやかれた言葉に、(話がずれているのだけども……)わたしも小声で、

「認められるわけないでしょう? どこの誰かも分からない相手と触れ合うなんて……みだりがわしい、と。反対されるに決まってるわ」
「また執事に振り回されて! 使用人にしては、彼が特別に素敵なのは分かるけれどね、想いを届けるなんてできないのよ。彼なんて放っておいて、今を楽しまないと。あたしだったら……恋のひとつも味わえないまま、言いなりの婚姻で泣く羽目になるなんて嫌よ」

 ひっそりとした忠告だけ残して、彼女は次の相手と踊りにいったのだった。
 自慢したがっていたペールピンクのドレスは、細かなレースが分断ふんだんにあしらわれ、妖精のようで可愛らしく、

「あたくし、エレアノールと言いますのよ」

 可憐かれんな声でしなを作ってみせる姿には、友人ながら舌を巻く。遠目に見ていても、昨日のやかましい彼女とは別人だった。

(あれくらいの演技力が欲しいわ……)

 ふたつの意味で遠い目をしていると、下がっていたルネが、一歩前に。演奏されていた美しいハーモニーに、その声音を重ねた。

「——お嬢様も、他の方々とのダンスはいかがでしょうか?」
「……必要最低限の方とは、もう踊ったでしょう? ……あちらだって、わたしに興味をなくしているわ。求められてもいないのに、お声がけする意味がわからないわ……」
「それは、お嬢様がお相手にご興味を持たず、お話を拒むからではございませんか?」 

 ルネの意見に、エレアノールの言葉が浮かぶ。

——だってあなた、出会うひとみんな、彼と比べてばかりじゃない。

 背後の彼を振り返ると、灰色の眼が、わたしを見ていた。淡い色の、光を取り込みやすい虹彩こうさい
 モノトーンの彼を、幼い頃は闇の王子様みたいだと思った。女性のように繊細だった顔立ちは、今では大人びて鋭さが生まれている。背も伸び、折れそうだった四肢ししはしっかりとした筋肉に覆われ、わたしの力で突き飛ばしても揺るぎはしない。かつての、おとぎ話のようなはかなさは失われ、目の離せない存在感を帯びていた。

 彼のダークネイビーのコートは、そこまで上質な物ではないのに。夜空色の蒼黒をまとう彼が、ここにいる誰よりも美しいと思ってしまうのは——恋で、めしいてしまったからだろうか。

「……あなたが、踊りなさいと言うのなら……踊ってくるわ」

 従順なセリフを、小さく唱えた。
 エレアノールには、仮面舞踏会など反対されると言ったが……今の彼がなんと言うか、わたしにはもう分からない。
 好きにしろ。そう言って見放されるのかもしれない。

「——どうしたらいい?」

 わたしの盲目の瞳に映る、ほのかな彼の笑みは——わずかに、消えかけた気がした。
 一瞬だけ、すべての音楽が消えたかのように笑顔をなくした彼の素顔が、世界を止めたけれど、それは幻のように時を取り戻していた。

「……お疲れのようでございますから、屋敷へと、もうお帰りになりましょうか」

 当たりさわりのない提案に、そうね、と——返そうとしたときだった。

 ざわりと、不自然なざわめきが起こり、反射的に目を元へと戻していた。視線の先、先ほどまで見守っていたエレアノールが数メートルばかりの距離にいて、その彼女が——真っ赤な顔で、涙を浮かべていた。
 丸い目から、耐えきれずに、大粒のしずくがこぼれ落ちる。

「ひどいわ……」

 何かをつぶやく声は、彼女と向き合うダークブロンドの青年に向けられたもの。こちらからは彼の後頭部しか見えないが、暗いブラウンの流行にそった燕尾服テールコートは、背面のプリーツの留めボタンに見事な細工があり、上質な物のように見える。どこかの令息だろうと思うが……

「——そうやって泣けばいいと思ってるだろ? それで何か解決するのか?」
「………………」
「俺はお前に興味がない——最初に言ったよな? 俺らの話も分からない、くだらない恋愛のことしか頭にない女が、しつこく絡んでくるな。不愉快だ」

 突き放すような厳しい声が、次の曲へと移ろうとしていた音楽のあいだで、ひどくはっきりと響いた。金管楽器に近い、突き抜ける響きの声質。
 青年の周りにいた友人らしき者たちが彼をなだめるが、それを振り払うようにして彼はボールルームから出ていく。取り残された彼女に声を掛けようとしたが、先に近くに寄っていたジョゼフィーヌに肩を抱かれ、目付けの者があわてて駆け寄り、どこか——控えの間あたりへと、早々に連れて行かれた。
 さわさわとした一部だけのざわめきは、すぐに音楽によって消えていく。

「……わたしも、エレアノールのところへ行ってくるわ」

 ざわめきの名残なごりのなか、背後のルネを振り向くことなく告げた。 

「すぐに戻るから……そうしたら、帰りましょう」

 返事を待たずに、足を踏み出していた。
 控えの間に向かうふりをして——わたしは、廊下の奥に見えた青年の後ろ姿を追っていた。

 頭のなかは、夢みる彼女の可愛らしい声で満たされている。

——明日は、あたしが自分で捜すのよ。運命のひとを!
——恋のひとつも味わえないまま、言いなりの婚姻で泣く羽目になるなんて嫌よ。

 いつか。
 自分の意思に関係なく、婚姻を結ばなければならない日が来ることを……彼女は分かっている。

 ——それを。
 彼女のささやかな勇気を、人前で、ああもおとしめてみせる必要が——あったのか。

 胸にともる強い感情によって、足はまっすぐに突き動かされていた。
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