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囚われの蝶々
Chap.2 Sec.2
しおりを挟む「お嬢様、お散歩ならば私がお供いたしましょう」
——ふざけないで。
そう言ってしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。
これから先どうしたらいいのか——多くのことに悩まされて憂鬱な気持ちを、花を眺めながら落ち着け、問題と冷静に向き合おうとしていたというのに。
問題の核が、のこのことやってきて、あげくの果てにお供をするなどと宣った。わたしが何も言えないのをいいことに、付き添いのメイドを返す彼は……何を考えているのか。
「……あなた、ご自分が何をしたか、覚えていらっしゃらない?」
「さあ、なんの話でございましょう? ご教示いただけますか?」
唇を閉じて、睨みつける。それくらいしかできない自分が情けない。
彼の微笑を、もう優しいとは思わない。
「……なんの用なの」
真紅のバラと緑を背に、ルネはふっと笑って執事の仮面を取った。
「随分と冷たいな。昨日まではあんなに従順で可愛いお嬢様だったというのに」
「……お互い様だわ」
「君の〈優しいルネ〉がお望みなら、演じてやろうか」
ひらりと伸びた手が、わたしの頬に触れる。曲がった唇が近づき、まるでキスでもするかのように——と思ったそれは、唇ではなく、わたしの耳許へと、
——可愛いお嬢様、お慕いしておりますよ。
瞬時に顔を染めた熱は、怒りだっただろうか。
胸に湧いた感情をごまかそうと、彼の胸板を突き飛ばしていた。
「やめてっ」
渾身の力を込めて押したつもりだったが、反応を読んでいたのか、彼にとって大した力でもなかったのか、その長躯はよろけることもなく——くすりと笑う余裕さえ残っていた。
「お嬢様は、〈優しいルネ〉がお嫌いでございますか?」
「——これ以上わたしを侮辱するなら、わたしにだって考えがっ……」
沸き立つ感情のままに声をあげると、彼は、よりいっそう唇を曲げてみせた。
「——考え?」
離したはずの彼の体が、距離を詰める。
後退した足は、小さな迷宮のローズガーデンによって阻まれた。
「……ち、近寄らないで!」
強気に発したつもりの声は、震えている。怒りなのか怯えなのか。自分でも判断つかない。
距離はあっさりと消え去り、彼の手がわたしの腕を掴んだ。
「これ以上、君を侮辱すると……どうするって?」
「……はな、して……」
「離せないな。君が言う考えとやらを、聞かせてもらおうか」
「……わ、わたしが、誰かに話せば……困るのは、あなただって同じでしょうっ……」
「へぇ……君が、俺を脅すのか」
掴まれていた腕ごと、彼の胸のなかに引き寄せられた。
首の下にすべり込んだ彼の手が、わたしの顎を捕まえて上を向かせ——今度こそほんとうに、唇を奪われる。
薄く柔らかな唇が、咬みつくようなキスを落とし、拒絶をこじ開けて舌先を差し込む。
逃げようとした体は、背に回された手によって押さえられ、踏みにじるように動く舌を受け入れるしかなかった。
口腔を舐めまわす舌先は、やがてわたしを捕らえる。ぬらりと絡まるそれに包まれると、背筋が震える。体の奥が、じんと痺れるような。彼からの凌辱のなかで憶えた——思い出してはいけない感覚が、呼び覚まされる。
舌先がほどけると、近すぎる距離で、薄い灰色の眼が——愉しげに。細くわたしを捉えていた。
顎から離れた手が、腰から太ももにかけて体のラインをなぞるように落ちていき、スカートの裾をたくし上げる。晒された肌が外気に触れて、ひやりと恐怖が走った。
「やめてっ……こんなところで……ほんとうに、ひとを呼ばれたいのっ?」
「呼びたければ、大声を出してみたらどうだ? 俺は別に、こちらでも構わない。可愛いお嬢様の人生を、壊してやろうか」
素肌を撫でる掌が、薄いドレスの下、何も身につけていない無防備な下半身に伸びようとする。身をよじろうとも、背に回された腕は、わずかも揺るがない。
「——どうせなら、一度の過ちではなく、派手にいこうか? 使用人に庭園で犯されるところを、メイドに目撃させるのも——醜聞が効いていて盛り上がりそうだ」
「ほ、本気で言っているの? そんなことになったら、あなただって、ただでは済まないわ……」
「言っただろ? 俺は、構わない。……ほら、大声を出してごらん?」
クスクスと笑みをこぼす唇が、耳許で甘く囁いてみせる。震える体に寄り添い、背をかがめた彼の指先が、腰から下へと——おりていく。
「……おねがい……やめてっ……」
ぴたりと、指先が止まった。
絞り出した懇願の音を、確かめるように、
「聞こえないな、なんだって?」
「……やめて……ください」
彼の唇から、軽い吐息の音がした。嘲笑うようなその響きは、けれども——どこか、〈優しいルネ〉の慈しむ顔を彷彿とさせた。
身を離した彼は、優しさなど欠片もない冷たい微笑で、突き放すように唱える。
「脅しているのは、俺だ」
薄い色の眼は、獲物を捉えたまま。
唇だけが、面影をなぞって微笑みを浮かべた。
「ゆめゆめ、お忘れなきよう——お嬢様」
慇懃な執事の仮面に、震える唇で「……はい」と。
小さく応え、うなずくしかなかった。
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