【完結】好奇心に殺されたプシュケ

藤香いつき

文字の大きさ
上 下
12 / 72
囚われの蝶々

Chap.2 Sec.1

しおりを挟む
 明るい陽光に包まれた食卓を、久しぶりに家族で囲んでいた。
 父と母。給仕のためのメイドがいるのは普段どおりだが、ルネが控えているのは珍しかった。彼は父の傍らで報告をしていた。父の居ないあいだの屋敷についてではなく、わたしの素行についてだった。

「そうか、人並みにダンスができるようになったか!」

 明るい表情を浮かべる父とは対照的に、わたしは粛々と口を動かしている。
 父のそば、母が口を開いた。

「あら、違うわよ。この子は本当は上手なのだから……知らない殿方と踊るのが、苦手なのよ。緊張してしまうのよ……ねぇ?」

 わたしに尋ねる顔は、頬の肉が落ちて青白い。さらにせたのではないか……心配する気持ちを隠して、唇を曲げてみせた。

「そうなの。でも……だいぶ緊張もしなくなったわ」
「それは成長したわね。あなたくらいの頃は、わたしも緊張で胸がいっぱいだったわ。どんな相手と踊ったか、すこしも覚えていないもの」
「それは、お父様と出会ったからでしょ? お母様は、お父様のことしか見えていなかったんだから……はなからほかのひとなんて頭に入っていないのよ」
「あら……よく知っているわね?」

 この会話は初めてじゃない。父と母の物語など、無限にくり返されている。——でも、最近の母の記憶からは抜けがちだった。父との思い出を忘れるのではなく、それをわたしに話したかどうか、分からなくなっている。

 驚く母の丸い目に、笑顔を返した。

「お父様のどこが素敵だったの? 教えて、お母様」
「そうねぇ……」

 母の瞳が、父を映す。父は困ったような顔をしている。

「本人のいないところで話してもらえないかね?」

 そのとおりだけれど、父が母といない時間など、ここ最近はない。父は母のそばを離れない。可能なかぎり、一番近くにいようとしている。

「今ではこんなにふっくらしてるけれど……当時はとってもスリムでね。くりっとした眼と、はにかんだときの目許めもとのしわが可愛くて……あのとき——紹介されたときに、一目で恋に落ちていたのよ。このひとが、わたしの王子様に違いないわ、一生を共にする相手だわ——と」

 夢みる少女のように微笑む母の目には、きっとそのときの父が映っているのだろう。困り顔だった父の頬は、かすかに赤みを帯びていた。傍らにいるルネの表情は、人形のような微笑で止まっているが——ふと、わたしの視線に気づいて、クスリと笑みを深めてみせた。
 胸が高鳴った気がするのは、勘違いだ。あるいは、恐怖だと思いたい。

「……お父様、そういえば、ゲランさんはどうしたの? 帰ってきてから、一度も見かけてないわ」
「ああ、休みを与えたんだ。視察に長く付き合ってくれたからな……」

 父の言葉に、母が、

「ゲランさんは……今年で、おいくつかしら?」
「私のふたつ上だから、47だよ」
「あまり無理をさせられないわね」

 たまに交わされる会話を、前回とまったく同じ言葉で父と母が唱えた。
 黙って見つめてしまったわたしに、父が(心配ないよ)と、やわらかく微笑んだ。久しぶりに顔を合わせた娘の表情が重いのは、母の病状を案じているからだと思っている。
 ルネには、じつに都合のいいことだろう。

 目線を下げて、今日の日程を父と確認している彼の微笑は、すこしも崩れなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

専属執事は愛するお嬢様を手に入れたい

鳥花風星
恋愛
結婚は待遇や世間体のためであり結婚しても恋愛が自由という国で、一途に思い合う結婚を思い描く令嬢エリス。その理想のせいで五度も婚約破棄をされている。 執事であるディルへの思いを断ち切りたくて結婚を急ぐが、そんなエリスにディルは「自分が貴族の令息だったならすぐにでも結婚して一途に思うのに」と本気とも冗談ともとれることを言う。 そんなある日、エリスの父親がだまされて財産を失いかける。そんな父親にとある貴族が「自分の息子と結婚してくれれば家はつぶれない」と話を持ち掛けてきた。愛のない結婚をさせられそうになるエリスに、ディルがとった行動とは。 専属執事とご令嬢の身分差ハッピーエンドラブストーリー。 ◇他サイトにも掲載済み作品です。

処理中です...