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嘘の始まりを教えて

Chap.1 Sec.7

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 見つかって怒られるのを半分承知で、地下室へと降りていった。秘密の逢瀬おうせみたいでドキドキするな、と。ついさっきまでの緊張とは別の高鳴りを生んでいた。

 彼が振り返ったときに——どんな目をするのだろう。ゲランに頼まれたとして、こんな時間にひっそりと行っているのだから、きっと極秘の仕事。警戒する目つきは、相手がわたしだと知ったら、困ったものに変わる気がする。鋭い瞳も見てみたいけれど、困り果てた彼の顔も見てみたい。口止めの代わりに、キスでもねだってみようか——なんて、言えるはずない。
 ぎりぎりまでは、彼の望む〈慎み深いお嬢様〉でありたい。

 地下の廊下を進むと、奥の扉は昨日と同じように、わずかな隙間ができている。手許のオイルランプは……消す意味もない。
 彼の姿を求めて、のぞき込んだ。
 しかし、誰もいない。中央のテーブルにランプが置かれているが、彼の姿はなかった。

(あら……?)

 肩すかしをらった気分で、扉を開け、誰もいない室内へと入った。
 どこかですれ違って、私室か別室にでもいるのだろうか。すれ違う場所などほぼ無いので、私室にいたのか。
 それにしては、施錠せず行ってしまうなんて不用心だ。こんなところ誰も来ないとはいえ。

 期待は裏切られ、残念に思いながら奥の本棚に向かう。彼が見ていた羊皮紙の束は、まだあるだろうか。本末転倒というかなんというか、本来の目的に届きそう……

「——お嬢様」

 びくりと、心臓ごと肩が跳ね上がった。
 背後から掛けられた声に、反射的に振り返り——カシャン、と。手からすべり落ちたランプが床に当たって、ガラス部分が砕ける。
 しかし、そこに気をひかれることはなかった。背にしていた扉のかげ、暗がりから姿を現した彼の——静かな微笑が、すべての意識をさらっていた。

「……ルネ」

 にこりと、笑みが深まる。
 薄い色の眼には、テーブルの上のランプを受けた火が、きらりとともっている。

「このような時間に、どうされましたか?」
「……眠れなくて……」
「そうでございますか。——では、温かな飲み物でもご用意いたしましょうか?」
「……ええ、お願いするわ」
「承知しました。メイドに伝えてまいります」
「………………」

 出ていくようなセリフを口にしたが、彼は扉に手を掛け、わたしの退室を待っていた。
 音のない命令のような、無言の圧。

「……ルネこそ、こんなところで……何してるの?」

 冷ややかな沈黙を破りたくて、ドアに向かいながらも、笑って問いかけた。——でも、うまく笑えたか分からない。頬は引きつった気がした。

「片付けを進めておりました」
「……こんな遅い時間に?」
「はい、日中は他の仕事がございますので」

 促されて、部屋をあとにする。
 背後の割れたランプが気になり、振り返ると、「心配はございません。あとで他の者に片付けさせましょう」大したことではないように応えられた。

 寝室までの道のりは、ひどく静かだった。屋敷には間違いなく誰かが起きているのに、まるで誰ひとり——ルネとわたしを残して——いなくなってしまったかのように、静寂が広がっていた。

 寝室のドアを、彼が開いてくれた。
 部屋に置かれたピアノを目の端に入れながら、絨毯じゅうたんの上を進んでいく。奥のソファに座って待っているよう言われたが……座る前に、口を開いていた。
 出ていこうとする彼を、どうしてか引き留めたくて、余計なことを——

「あの地下室の鍵は、どうしたの?」

 振り返ったルネの顔に、動揺はない。変わらない微笑だけが浮かんでいる。

「なんの話でございますか?」
「……鍵が、あったでしょう? あそこの地下室に……さっきの部屋に入るためには、鍵がないと……」
「——いいえ? 施錠されておりませんでしたよ」
「そんなはずは——」

 ない。
 言いきろうとして、(あの部屋が父の私的な部屋であり、ひとつきりの鍵でしか開けられないことは、周知の事実だっただろうか?)頭のなかで疑問が重なった。
 屋敷の管理を任された者しか、把握していない? そして、そんなこと、わたしが知っているなど——彼は思ってもいない?

 まとまらない思考を、彼のやわらかな声が遮った。

「……お嬢様は、以前にも入室されたことがございますのでしょうか?」
「え? ……え、ええ。父と……一緒に」
「……さようでございますか」

 微笑に、何か得体の知れない表情が差し込んだ。一瞬だけ横に流れた瞳が、
 ——どうしようかな?
 そんな、思案するような目の動きにも見えた。

「……ルネ、」
「はい、なんでございましょう?」
「……紙の……束は、どうしたの? ……燃やしたの?」
「——ああ」

 ため息のように、彼の唇が吐息に乗せて声を吐き出した。
 火を灯す眼を、細く研ぎすまして、

「——やはり、お嬢様でしたか」

 優しい声から、敬意が抜け落ち、軽い響きが空気を震わせた。
 堅苦しさを失いかけている言葉遣いと、穏やかながらも冷たい瞳は、今まで一度も見たことのない——わたしの知らない彼だった。

「……あなたは、誰なの」

 震える唇がこぼした問いに答えることなく、彼はその微笑の仮面をぎ取り——


 見てみたいと思っていた、わたしの知らない彼の顔。
 それは、〈ほんとうの彼〉だった。
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