上 下
7 / 72
嘘の始まりを教えて

Chap.1 Sec.4

しおりを挟む
「おはようございます、お嬢様」

 やわらかな響きが、悪夢を取り去った。
 勢いよく開かれたカーテンからはまぶしい陽光がし、寝ぼけまなこを容赦なく貫いた。

「……おはよう……ルネ……」

 目が覚めて最初に顔を合わせるのが、メイドではなく彼であることは、非常にめずらしい。成人してから初めてのことではないだろうか。ぼやけた頭でそんなことを思いつつ、陽射ひざしを背負った彼の優しい顔に笑い返し——たのは、最善の行動だった。
 睡眠の足りていない脳は、何も思い出せていなかった。


「……どうしたの? ルネが来るなんて、久しぶり……」
「お嬢様がまったくお目覚めにならない、と。メイドが心配しておりましたので」

 くすりと笑う顔に、ほんのすこし気恥ずかしい思いをする。ごまかすように、 

「わたし、なにか怖い夢を見たわ……」

 ぼやきながら、すこし傾いていた体をしっかりと起こして、悪夢の記憶をなぞっていた。
 ——そう、たしか彼が、とても怖い目でわたしを……

「ああ、昨夜のオペラの影響でございましょうか?」
「きっとそうだわ。とっても迫力があったもの……」
「テノールの方の歌声でございますね?」
「そう……あんなにも震えたのは初めて……」
「お嬢様のお心を震わせるとは、羨ましいかぎりでございます」

 ぱちっと。目と頭が覚醒した。
 ベッドから降りるのを手伝うため、差し伸べられた彼の手を取りながら、熱くなる頬を隠そうと下を向いた。彼はたまに、わたしの心を見透かしたようなたわむれを口にする。誠実な顔で唱えられるセリフは、わたしが期待するほどの意味を持たないのだろうけれど。

「——さあ、身支度いたしましょう。メイドを呼んでまいります」



 §



 身支度といっても、午前のうちは綿モスリンの薄いドレスで過ごしている。最近ではコルセットがまた流行のきざしを見せているので、午後のドレスに着替える際は身につける予定だが……
 ——なぜ、あんな物が必要なのだろう。昔の物よりもはるかに簡素で緩いらしいが、はっきり言って不愉快だ。いま身につけている薄っぺらなシュミーズ・ドレスで一生過ごしていたい。……冬は寒いか。

 わがままな不満を胸に、メイドを連れて庭園を散歩していた。去年まで母と共に午後の散歩を楽しんだこの庭園は、変わらず今も美しい。色鮮やかな花が、今年も豊かに咲き誇っている。
 散歩にはルネが付き合ってくれたこともあったな——最近は仕事ばかり。
 わがままには不満も重なり、むっとした頬を、なびく風が駆けていく。まとめ上げられた髪は、昔のように風に舞うこともない。大人になるということは、感性をひとつひとつ失っていくことのように思う。

 風のゆくえを追っていて、目線が屋敷へと向いた。白亜の美しい城館は、一度は手放されたものの——こうしてまた家名を冠し、わたしは知らないが、昔を取り戻しつつあるとゲランが語っていた。彼は知らないのだ。節約と称して修復をひかえる父が、ちゃっかりとへそくりの宝石をため込んでいるなんて。それを使えば、あの古びた尖塔など、もっとピカピカに——

 目の先で、尖塔の屋根が針のように空を刺していた。細く鋭く、蝶の羽を留めるピンのように、薄い雲を突いていて、

 頭に、闇のなかで見つけた光景がひらめいた。
 夢のように捉えていた記憶が、はっきりと現実のものであると——思い出してしまった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...