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嘘の始まりを教えて
Chap.1 Sec.4
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「おはようございます、お嬢様」
やわらかな響きが、悪夢を取り去った。
勢いよく開かれたカーテンからはまぶしい陽光が射し、寝ぼけまなこを容赦なく貫いた。
「……おはよう……ルネ……」
目が覚めて最初に顔を合わせるのが、メイドではなく彼であることは、非常にめずらしい。成人してから初めてのことではないだろうか。ぼやけた頭でそんなことを思いつつ、陽射しを背負った彼の優しい顔に笑い返し——たのは、最善の行動だった。
睡眠の足りていない脳は、何も思い出せていなかった。
「……どうしたの? ルネが来るなんて、久しぶり……」
「お嬢様がまったくお目覚めにならない、と。メイドが心配しておりましたので」
くすりと笑う顔に、ほんのすこし気恥ずかしい思いをする。ごまかすように、
「わたし、なにか怖い夢を見たわ……」
ぼやきながら、すこし傾いていた体をしっかりと起こして、悪夢の記憶をなぞっていた。
——そう、たしか彼が、とても怖い目でわたしを……
「ああ、昨夜のオペラの影響でございましょうか?」
「きっとそうだわ。とっても迫力があったもの……」
「テノールの方の歌声でございますね?」
「そう……あんなにも震えたのは初めて……」
「お嬢様のお心を震わせるとは、羨ましいかぎりでございます」
ぱちっと。目と頭が覚醒した。
ベッドから降りるのを手伝うため、差し伸べられた彼の手を取りながら、熱くなる頬を隠そうと下を向いた。彼はたまに、わたしの心を見透かしたような戯れを口にする。誠実な顔で唱えられるセリフは、わたしが期待するほどの意味を持たないのだろうけれど。
「——さあ、身支度いたしましょう。メイドを呼んでまいります」
§
身支度といっても、午前のうちは綿モスリンの薄いドレスで過ごしている。最近ではコルセットがまた流行のきざしを見せているので、午後のドレスに着替える際は身につける予定だが……
——なぜ、あんな物が必要なのだろう。昔の物よりもはるかに簡素で緩いらしいが、はっきり言って不愉快だ。いま身につけている薄っぺらなシュミーズ・ドレスで一生過ごしていたい。……冬は寒いか。
わがままな不満を胸に、メイドを連れて庭園を散歩していた。去年まで母と共に午後の散歩を楽しんだこの庭園は、変わらず今も美しい。色鮮やかな花が、今年も豊かに咲き誇っている。
散歩にはルネが付き合ってくれたこともあったな——最近は仕事ばかり。
わがままには不満も重なり、むっとした頬を、なびく風が駆けていく。まとめ上げられた髪は、昔のように風に舞うこともない。大人になるということは、感性をひとつひとつ失っていくことのように思う。
風のゆくえを追っていて、目線が屋敷へと向いた。白亜の美しい城館は、一度は手放されたものの——こうしてまた家名を冠し、わたしは知らないが、昔を取り戻しつつあるとゲランが語っていた。彼は知らないのだ。節約と称して修復をひかえる父が、ちゃっかりとへそくりの宝石をため込んでいるなんて。それを使えば、あの古びた尖塔など、もっとピカピカに——
目の先で、尖塔の屋根が針のように空を刺していた。細く鋭く、蝶の羽を留めるピンのように、薄い雲を突いていて、
頭に、闇のなかで見つけた光景がひらめいた。
夢のように捉えていた記憶が、はっきりと現実のものであると——思い出してしまった。
やわらかな響きが、悪夢を取り去った。
勢いよく開かれたカーテンからはまぶしい陽光が射し、寝ぼけまなこを容赦なく貫いた。
「……おはよう……ルネ……」
目が覚めて最初に顔を合わせるのが、メイドではなく彼であることは、非常にめずらしい。成人してから初めてのことではないだろうか。ぼやけた頭でそんなことを思いつつ、陽射しを背負った彼の優しい顔に笑い返し——たのは、最善の行動だった。
睡眠の足りていない脳は、何も思い出せていなかった。
「……どうしたの? ルネが来るなんて、久しぶり……」
「お嬢様がまったくお目覚めにならない、と。メイドが心配しておりましたので」
くすりと笑う顔に、ほんのすこし気恥ずかしい思いをする。ごまかすように、
「わたし、なにか怖い夢を見たわ……」
ぼやきながら、すこし傾いていた体をしっかりと起こして、悪夢の記憶をなぞっていた。
——そう、たしか彼が、とても怖い目でわたしを……
「ああ、昨夜のオペラの影響でございましょうか?」
「きっとそうだわ。とっても迫力があったもの……」
「テノールの方の歌声でございますね?」
「そう……あんなにも震えたのは初めて……」
「お嬢様のお心を震わせるとは、羨ましいかぎりでございます」
ぱちっと。目と頭が覚醒した。
ベッドから降りるのを手伝うため、差し伸べられた彼の手を取りながら、熱くなる頬を隠そうと下を向いた。彼はたまに、わたしの心を見透かしたような戯れを口にする。誠実な顔で唱えられるセリフは、わたしが期待するほどの意味を持たないのだろうけれど。
「——さあ、身支度いたしましょう。メイドを呼んでまいります」
§
身支度といっても、午前のうちは綿モスリンの薄いドレスで過ごしている。最近ではコルセットがまた流行のきざしを見せているので、午後のドレスに着替える際は身につける予定だが……
——なぜ、あんな物が必要なのだろう。昔の物よりもはるかに簡素で緩いらしいが、はっきり言って不愉快だ。いま身につけている薄っぺらなシュミーズ・ドレスで一生過ごしていたい。……冬は寒いか。
わがままな不満を胸に、メイドを連れて庭園を散歩していた。去年まで母と共に午後の散歩を楽しんだこの庭園は、変わらず今も美しい。色鮮やかな花が、今年も豊かに咲き誇っている。
散歩にはルネが付き合ってくれたこともあったな——最近は仕事ばかり。
わがままには不満も重なり、むっとした頬を、なびく風が駆けていく。まとめ上げられた髪は、昔のように風に舞うこともない。大人になるということは、感性をひとつひとつ失っていくことのように思う。
風のゆくえを追っていて、目線が屋敷へと向いた。白亜の美しい城館は、一度は手放されたものの——こうしてまた家名を冠し、わたしは知らないが、昔を取り戻しつつあるとゲランが語っていた。彼は知らないのだ。節約と称して修復をひかえる父が、ちゃっかりとへそくりの宝石をため込んでいるなんて。それを使えば、あの古びた尖塔など、もっとピカピカに——
目の先で、尖塔の屋根が針のように空を刺していた。細く鋭く、蝶の羽を留めるピンのように、薄い雲を突いていて、
頭に、闇のなかで見つけた光景がひらめいた。
夢のように捉えていた記憶が、はっきりと現実のものであると——思い出してしまった。
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