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スクール・フェスティバル

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 宙に倒れるサクラを追ったヒナの体は、勢いあまって向こう側へと滑り落ちた。
 迷いなく伸ばしたヒナの手は、サクラの服を掴んでいて——
 
「う、わっ!」
 
 ——落ちる。
 体に襲いかかった浮遊感に、全身がぞわりと震えた。
 勢いづいた体は頭から落下し、不安定に身を崩したが——力強く手を掴まれ、引っ張られたかと思うと、空中でサクラによって包み込まれていた。
 ぎゅっと抱きしめられた腕のなか、ふと感じた匂いが懐かしいような……
 
(いや、それどころじゃなくて! おれ死ぬっ?)
 
 とっさに目をつむって地面との衝突を覚悟したが、ぐしゃり。ということはなく。
 ドスン、と。なんだか想定よりも軽い音で、全身に落下の衝撃が伝わってきた。
 一瞬の時が永遠に感じる——などという錯覚はなかった。痛みもなければ、走馬灯もない。
 頭にあった飛び降りのイメージから随分と掛け離れた感覚に、そろりと目を開ける。
 
「……無事かな?」
 
 状況にそぐわない穏和な声が聞こえ、頭上を見上げる。
 見上げる、と思ったが、正しく確認すると自分は、寝そべったサクラの胸にのし掛かった状態で頭の方に顔を向けていた。上に乗ったまま、サクラと目が合う。
 
「……あ、あれ……? おれ、今……落ちませんでした?」
「落ちたね。あそこから」
 
 寝転ぶサクラの目が、天を示す。目の先を追って首を回せば、屋上から身を乗り出したハヤトの顔が。
 
「大丈夫かっ? いや、大丈夫なわけねぇ……んだけど? あぁ? ……ん?」
 
 大声のあとに、ハヤトは地上の状況を理解して混乱している。こちらも混乱の最中さなかなので何も返せない。
 
 ——落ちた。百パーセント落ちた。屋上から。
 なのに……なんか無事だ。なんで?
 
「え……これ、まさか……夢?」
「夢ではないよ」
 
 導き出した答えは、下敷きにした人物から否定される。
 目を戻せば、サクラは瞳を合わせてクスリと笑った。
 
「先日、特許を取った新素材の衝撃吸収マットを購入してね。避難用だが、屋上を開放するに当たり全方に用意させたんだよ。舞い上がった君たちが万が一にでも落下しては——と、案じてね?」
 
 唖然あぜんとした。
 人生でこれほど呆気あっけに取られたことはない。
 
「……えぇ? つまり? サクラ先生、知ってて飛び降り——」
「冗談のつもりだったんだが、君が押すから……綺麗に落ちたね?」
「えっ、おれ押してないですよっ?」

 文句とともに起き上がろうとしたが、動けない。いまだ上体はサクラの腕にくるまれている。
 
「あのっ……」
「——君は、」
 
 訴えかけた声は、サクラに遮られた。
 少し強めの声音だったので、つい説教を身構えるように口を閉じてしまった。
 
「……私を、全く憶えていないのか?」

 続いたのは、疑惑の響き。
 角度的に見下すような目つきをびくびくと見返しながら、

「い、いつの話ですか……? おれ、サクラ先生と会う機会なんて、なかったはずですよ……?」
「生まれてすぐに会っているよ」
「生まれてすぐっ?」
「……君が急に、櫻屋敷への就職を希望して桜統学園を目指し出したから……私に会うためかと思ったのだが……まさか乗っ取りを企んでいたとは。親の心子知らずとは、よく言ったものだね?」
「いやいやっ、なんでおれがサクラ先生に会いたいっていう思考になるのか全然理解できないんですけど!」
「生まれたての君に、何かあったら私を頼りなさいと教えただろう?」
「そんなのっ! 覚えてるわけないじゃないですか!」
「……君はもっと賢い子だと思っていたのだけどね……」
「乳児の記憶あるやつなんてサクラ先生くらいだ!」
「……すこし静かにしてもらえるかな。近くで騒がれると……君は賑やかな声だから」

 うるさいを婉曲的に言われた。(だったら離れますけど!)サクラの胸板を突っぱねたが、びくともしない。「痛いよ」とだけ言われた。ついで、おまけの吐息をこぼすように、

「誰にも愛されていない——と君は言ったが、それは間違っているよ」
 
 サクラは独り言を唱えてから、両手を開いた。
 解放された体をどけて、そろりと半身を起こすと、
 
「おい! 大丈夫か!」
 
 ハヤトの声が聞こえた。屋上から1階まで走ってきたらしい。分厚いマットの上、傷ひとつないこちらの様子を見上げて驚いている。
 
「なんだ? このマット」
「浮かれたおれたちの、落下防止だってさ……」
「……はぁ?」
 
 片眉を上げていぶかるハヤトの反応には共感しかない。
 隣で先に立ち上がったサクラが、
 
「安全性は高いが、頭から落ちた際のリスクは残るね。もうしばらくすると後夜祭が始まるが……興奮して屋上から飛び降りないようにね?」

 マットの検証結果みたいなことを口にした。
 状況を捉えきれていないハヤトが「あ、はい……」素直に返事を返してから、首を傾けて疑問符を浮かべている。(もっと突っこめよ。突っこみのハヤトだろ)
 
 ハヤトから目を離し、マットの上でバランスを取りながら立ち上がる。ふらついた体をサクラに支えられ、近寄った距離に……
 
「——君が忘れているだけで、君を大切に思う者はいる。目の前の彼も、クラスメイトたちも……君に関わってきた、他のひとたちも」

 諭す声が、そっと聞こえた。
 目を向ければ、微笑をえがく顔がいつもの位置で見下ろしている。
 
「消えたいなんて、もう思わないね?」
 
 念を押すような、確かめるような響き。
 夕暮れの日によって桜色に染まる瞳は、約束を求めるようにこちらへと注がれている。
 うまく言葉を出せず……小さく頷き返すと、サクラは普段どおりに淡く微笑んだ。
 その笑顔に、聞いたばかりの独り言が思い浮かぶ。
 
——誰にも愛されていないと君は言ったが、それは間違っているよ。

(……落ちたとき、サクラ先生、おれのこと護ろうとしてくれた……)
 
 その、事実が。
 胸に刺さるようで、みるような。
 不思議な思いで、長く宿敵と見据えていたはずの青年の微笑みを、無言のままに見上げていた。
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