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 ——その夜、ヒナは二人のクラスメイトと通話した。
 アカペラメンバーを確定する前に、ふと思うところがあって。
 
 そうして、翌日。
 
「ル~イくんっ」

 ヒナの跳ねる声が、登校してきたばかりのルイを呼び止めた。
 青の残光。目に鮮麗なスカイブルーを焼き付ける日傘が、ふわりと振り返る。
 日傘をかざしたルイの隣にはウタがいた。二人は集中講座に参加するため、高等部の敷地に向かって歩いていた。
 
 ルイは挨拶を返そうと振り向き、ヒナだけでなく麦もいることに気づいた。ヒナは笑顔だが、麦の表情が……困っているような。麦は眉を八の字に下げて、申し訳ないようすでヒナの横に立っていた。
 
「……どうかした?」

 ちぐはくな二人の雰囲気に、ルイはミルクティー色の髪をさらりと揺らす。
 傾いたルイの顔に向けて、ヒナがにっこり。
 
「ルイくん、アカペラやらない?」
「——絶対イヤ」
 
 間髪を容れずに却下。きっぱり突き放して、ルイは眉をひそめる。
 
「……朝からどうしたの? この話、昨日したよね?」
「だよなぁ。……まぁ、ルイくんが出たくないのは分かってるんだ。カラオケだけ行ってみたかったって、言ってたもんな?」
「そうだよ? ……カラオケは楽しかったけど、人前に出る気はないよ? 理由も話したよね?」
「うん」
 
 ルイは家の事情で出られない。出たくもない。そう返答している。
 
「でもさ、——ウタくんは?」
「え?」
「ウタくんは、出られない事情はないよな?」
 
 ヒナの目が、ルイの隣に向く。ルイも釣られて横を向いていた。
 憂いの見えるウタの表情に、
 
「……もしかして、ウタは出たいの?」
「私は……」
 
 ルイの視線から目を伏せ、ウタは口ごもった。
 わずかに困惑したルイだったが、何も言わずにヒナへと目を戻した。
 
「ウタも、出たいとは言ってないよ?」
「出たくないとも言ってないよな?」
「………………」
「……おれ、昨日ウタくんと話したんだ」
 
 昨夜の通話の一人目は、ウタだった。

——ウタくんさ、ほんとはアカペラやってみたいって思ってない?

 ウタが参加を断った理由。それはルイなのではないだろうかと、ヒナは思っていた。
 ウタはいつもルイに付き添っている。クラスメイトから聞いた話によれば、二人は小さな頃から家族ぐるみで付き合いがある。ウタは、ルイに付き従い護るよう両親から言われているらしい——。
 
——歌いたいなら、一緒にやろう。
——できません。ルイさんが参加したくないものを、私ひとりで出ることは……認めてもらえません。
——誰に?
——両親に、認めてもらえません。
——それって、ルイくんが認めたら、親御さんも『いいよ』って言ってくれる?
——それは……もちろん、そうですが……。
——じゃあ、ルイくんのことは、おれがなんとかするから。

 ウタの歌声を聞いたときに、なんとなくヒナは察していた。
 ウタは、歌うことが好きなんだろうな。こんなに伸びやかに歌うのだから、きっと気持ちいいんだろうな——。
 ヒナには分からない『歌う楽しさ』みたいなものが、歌声を聞いているだけで伝わってきた。
 ウタと、一緒に歌ってみたいとも——思った。
 
——ウタくんは、どうしたい?
——無理に出る必要はないと……
——まって。そういう頭で考えるんじゃなくて……心で決めようよ。おれたち、まだ子供なんだからさ。大人っぽい都合は抜きで。……ウタくんの心が、一番ドキドキする選択で。
——ドキドキ? なんとも曖昧あいまいですね……?
——分かりにくい? だったら……ワクワクでもいいよ!
 
 太陽が眠る時間。きらきらと光る星空に似た声で、ヒナはウタを誘った。
 その答えは、今。
 
「——ルイさん」
 
 伏せられていたウタの目が、上がった。
 しっかりとした声で、振り向いたルイを見つめて、
 
「私は……皆さんと一緒に、歌ってみたいと思います」
「……本気で言ってるの? 僕は出ないのに?」
「……すみません」
「——それ、僕は不参加って知ったら、君のご両親は辞めさせちゃうよ? 分かってる?」

 脅迫めいたルイのセリフは、言葉のわりに案じるような響きだった。わがままな王子様が、ほんの少し良心をのぞかせるような。従者への指摘ではなく、クラスメイトとして、心配するような。
 
 そして、そのセリフには、ヒナが明るく応えた。

「——はい、では。おれは今からルイくんを買収したいと思います」
 
 そこそこ深刻な空気を、パチンと割って。
 なにやらとっても不穏なワードが。
 
「……え?」
 
 聞こえた言葉の意味を考えるルイに、ヒナが右手を上げて『こちらへどうぞ』のように麦を示した。
 
「ウタくんの参加と練習を認めてくれるなら、そのかん麦くんが毎日とっても美味しいお菓子を作ってくれます。執事喫茶に、麦くんオリジナルデザートを出してみたいそうで。料理サークルの宣伝も兼ねて。……つまり、そのデザート試食権利がルイくんのものに」
 
 昨夜の通話相手。二人目は麦だった。
 ヒナの提案に、ルイの目が輝いた。
 
「え! ほんとっ?」
「——しかし、断って親御さんに悪く言うと、お菓子は今後いっさい無くなります。いつも君が楽しみにしている料理サークルの手作りお菓子もなしです」
「えぇっ? 待ってよ! そんなの脅しだよっ?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。これは脅しではなく、夏休みの予定を述べたまでです」
「最初に買収って言ったよっ?」
「ん? 全然覚えてない」

 散々ロボットのように淡々と話していたくせに、ヒナは最後だけ空々しく首を振って否定する。
 横の麦が、苦笑いで小さく頭を下げた。
 
「ルイくん、ごめんね? ヒナくんに相談されて、僕が提案しちゃったんだ。……でも、僕らも不参加じゃなくて、一緒に集まらない? 歌うのは、僕も恥ずかしいから無理だけど……アカペラの練習を聴きながら、一緒にデザートを決めようよ。みんなの代わりに学祭準備を進めるんだから、試食の権利は貰えるよ」
「……外堀を埋めてくるね? 僕も参加ってことにすれば、ウタは一緒にいるのを認められるもんね?」
「そういうわけじゃ……僕はただ、夏休みもクラスみんなで過ごす時間があってもいいかなって……」
「……あのね? 僕ら、秋もずっと一緒なんだよ。冬も一緒だよね? 問題を起こさなければ来年も一緒……うんざりするくらい一緒なんだよね?」
「……うん」
 
 苦笑して頷く麦の肩に、ヒナが手を乗せて、
 
「今年の夏は、今年の夏しかないんだぜっ」

 さっぱり意味の分からない禅問答を、決めゼリフのように吐いた。
 笑い声をこぼして、麦はルイに尋ねる。
  
「僕、がんばって美味しいデザートを作るから……どうかな?」
 
 ルイが嘆息たんそくした。
 
「あぁもう……ずるい」
「おっ? ……ということは? ルイくん、参加おっけー?」
「聴くだけね! デザートを食べるついでに、聴いてあげるだけだから」
「っしゃー!」
 
 拳を握りしめて歓喜したヒナは、ウタに寄ってその手を上げた。
 開いたてのひら。一瞬きょとんとしたウタは、遅れて理解したようで……
 
「アカペラよろしく! ウタくん!」
「……はい、よろしくお願いいたします」
 
 パチン。
 セミの鳴き声に重ねて、ハイタッチの音が爽やかに響いた。
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