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*ハロー、クラスメイト。

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(病院の匂いって苦手だな)
 
 消毒液なのか別の薬品なのか、慣れない匂いが薄く漂う病院の個室で、ヒナは診療のためのベッドに座っていた。
 
 付き添いのサクラは外に出ている。
 今ヒナの前にいるのは、白衣を着た医師。別の医師がようとしていたところに、
 
——ああ、その子は私が診よう。治療もこちらで。
 
 通常の診察室から案内されたのは、特別室らしき部屋。桜統学園と提携している病院だけあって、桜統の生徒は優遇されるのか。それとも、学園でのトラブル隠蔽いんぺいのためだろうか。
 
「鬼ごっこをしていて転びました」
 
 医師には嘘の説明をした。
 急に現れたサクラにも、一言一句たがわない言い訳をしている。例の3人も空気を読んでヒナに同調した。
 
 はははっと明るく笑う医師のネームプレートには『覚王地かくおうじ』と書かれている。櫻屋敷さくらやしきやら壱正の順教寺じゅんきょうじやら、いかつい苗字が多い。
 覚王地医師は精悍せいかんな顔つきだが愛想のよい笑顔を浮かべていて、目尻のシワに親しみを見せる。40代くらい。先ほど廊下で、年配の患者から「王地せんせ」と声を掛けられていた。おばあちゃんの『おうじ』、漢字違うほうだと思う。ハートの瞳してた。
 
「桜統の生徒でも、鬼ごっこをするんだね?」
 
 頬の治療をしながら、ニコニコと話しかけてくる覚王地医師に、「はい、僕たちとっても仲が良くて」
 口から出任せで答えているが、これは外のサクラに聞こえているのだろうか。 
 
「頬の他に、ぶつけたところはないかな?」
「ないです」
「念のため全身を確認したいんだが、だめかな?」

 ダメっす。って言ったら、諦めてくれるのか。
 ちらっと自分で確認したのだが、カミヤハヤトに掴まれた腕が赤くなっていて……非常にまずい。見られると言い訳が通らなくなる。事実が明るみになれば、琉夏が「先に転入生がハヤトをぶっ飛ばすって言いましたァ~」とか言う。あいつ言う。証拠の録音データも出す。絶対おれが不利になるよう仕向けてくる。
 
 ごまかさなくては。何がなんでもごまかさないと、結果としてAクラ行き——どころか特待生から落とされるかも。ヒナにとっては退学と同等だ。なんで喧嘩なんかしちゃったんだ。
 
 長い黙考のあと、重く口を開き、
 
「服を脱ぐのは……いやです」
「……女性のドクターに代わるかい?」
「いや、どっちも嫌です。体を見られることが、嫌です」
「………………」
 
 神妙な空気が広がる。
 転入前にこの病院で健康診断を受けている。カルテにはどう書かれているのだろう。

「鴨居さん」
「……はい」
「以前もこちらから診察を勧めたようだが……やはり一度、どうかな? こちらでもいいし、カウンセラーでも……」
「今は要らないです。治療可能な18になったら診察を受ける予定です」
「……うん、分かった。ただ、何か気掛かりなことがあったら、いつでも相談においで。私でもいいし、他のドクターでも。スクールカウンセラーや……ああ、君の担任の先生でもいい。周りの大人を活用しようね」

 活用。
 ヒナが表現を気に留めているあいだに、覚王地医師は、カルテが映っていたと思われるラップトップを閉じた。ここから先の話はデータを打ち込みません、というパフォーマンスに思うのは、穿うがちすぎ……?
 
「鴨居さんは、今年度からの転入生らしいね? 学園生活はどうかな?」
「……楽しくやってます」
 
 疑いを残しつつ、無難に回答する。覚王地医師の目はまっすぐとしているが、全身の違和感を探られているような。
 
「学年は?」
「……2年です」
「おや、私の息子と同じだね?」
「え……先生の息子さん、桜統なんですか?」
「うん、それもあって私はここで働いているんだよ。反抗期で私とは話してくれないんだが……それでも、とても優しくて可愛い子だ」
「……親御さんに愛されて、その子も幸せですね」
「この世に愛されない子はいないさ」
 
 覚王地医師の爽やかな笑顔に、ヒナは愛想笑いの頬が引きつった。さいわい頬は大きなガーゼによって隠れている。
 否定したい気持ちを、静かに抑え込んだ。施設育ちのヒナは、親に愛されない子を散々見ている。
 
(この先生、脳内お花畑かな。いいとこ出の坊ちゃんって、みんなこんなもんなのかな)
 
 ファンタジー先生って呼ぼう。
 もやもやする思いの発散に、ヒナが覚王地医師に対する心の呼称を決めていると、
 
「私の子は、颯人はやとという名だ。もし会ったら、よろしくね」

 今度こそ、ヒナの愛想笑いが固まった。
 にっこりしたまま、表情と一緒にフリーズした脳を再起動して、覚王地医師のネームプレートを目に留め、
 
「あ、あぁ~……あるある、よくある名前だ。覚王地 ハヤトくん。いやしかし、とっても素敵なお名前だなぁー」
 
 うっかり出た失礼な発言を取りつくろう。
 気にさわったようすなく、覚王地医師はにこやかに、
 
「息子は妻の姓だから、狼谷かみや 颯人だよ」
 
——先生、おれやっぱり頭打ったかも。幻聴がします。
 
 思わずこぼれそうになった訴えは、かろうじて唇にき止められた。
 
「わー、カミヤハヤトくん、ぼくのクラスメイトだー」

 棒読みにも程がある。
 しかし、
 
「クラスメイトとは奇遇だね。仲良くさせてもらってるのかな?」
「あー……ハイ、鬼ごっこしました。ハヤトくん、足速くてかっこいいんですよー。改めて見ると覚王地先生に似てますねー?」
「ありがとう、嬉しい言葉だ」
 
 お花畑なファンタジー先生は一向に気づかず、適当に始めた嘘は取り返しのつかないあたりまで。
 
「鴨居さん、これからも颯人と仲良くしてやってね」
 
(おれは仲良くしたいんすよ。あっちが仲良くしてくれないんすよ。お父さん、どういう教育してるんすか。しかもあいつ、おれの腕を折ろうとしたんすよ? 腕の力えぐすぎ)
 
 心の声は、すべて閉ざして、
 
「はい! こちらこそ!」

 満面の笑みで応える。
 良心というものがあるとしたら、ヒナはそれを、たったいま全力で宇宙の彼方に放り投げた。
 
(これ、いつかどっかで矛盾が出る!)
 
 せめて卒業まで、嘘のほころびが出ないことを願った。
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